第一章 二節 お食事とともに
橋から離れたあるファミレスの隅っこで一人大食い選手権が繰り広げられていた。もちろん選手はラインである。
「ふごふごふご、ふごごごッ!!」
「口に物が無くなってから喋ろうな?」
口の中に含まれた色とりどりの料理たちが飲み込まれ、やっとラインが意味の通じる言葉を口にする。
「こんなに美味なものを食べたの初めてかも!!」
西城は改めてどこぞのお嬢様なのだろうかと思考を巡らせる。
ファミレスも包装も見たことがないようだったし、名前から察するに外国の令嬢なのかもしれない。
ただ一つ疑問があるとするならば、お嬢様が大食いだという情報は聞いたことがないことだ。
机の上に積みあがっているレシートの数は通常の十倍以上はある。どれもこれも細かな字で埋め尽くされ、金額も高額だ。
西城はそんな紙の山に顔面蒼白になっていた。途中で銀行に駆け込んだのは言うまでもない。
「ラインさん。そろそろ止めてくださいますかね」
「ふぐッ??何が?」
皿に伸びた手が止まり、口に含んでいた料理を飲み込んだラインは西城を正面から見る。その目はまだお腹いっぱいじゃないと訴えていた。
「はぁ、わかった。わかったよ。食べてもいいが事情は説明しろよ?」
瞬間、ラインの目が輝いたのは見間違いではないはずだ。
数十分後、満足げな顔をしながらお腹を撫でているラインが目の前にいた。心なしか彼女の肌は艶々しているように見える。
「それでお前はいったい何者なんだ?」
「私?私は天使だよ。神の使いで人類の敵の天使様」
「は?」
西城は絶句する。
ガラス張りの窓の外の歩道を一人の天使が過ぎてゆく。西城はそんなことを横目に冷や汗を掻いた。
「冗談だよな?天使は感情がないし、人類の監視役だろ?それが何で……」
動揺を隠しきれない西城は声を潜めて話す。周りの人々が聞いていたら一大事だ。
そんな冗談であっても言ってはいけないことをラインは言った。
「本当だよ。まぁ、この聖都市にいる天使とは少し違うけどね」
ラインは隠す必要がないように普通の音量ではなす。西城の配慮を裏切る行為だとは気が付いていないようだった。
「す、少し違う?」
「元々、天使には感情があるし食欲もある。だけど聖都市を管理してる天使たちは感情を抜かれ、監視という目的のために利用されているロボットみたいなものになってるの」
「じゃあ、お前は本来の天使の姿ってことか?」
ラインは頷き西城の問いを肯定した。
とんでもないことを聞いてしまった。西城はそう直感する。
天使に何百回も追いかけられている西城からしてもイレギュラーな状況だった。
人類の敵である天使にご飯代を奢り、仲良く喋っているのだ。傍から見ても可笑しいと分かるだろう。ラインが天使と分かればだが。
「ん?でもお前に感情が抜かれてないんだよな。なんでだ?」
「それは…………」
これまで何でも答えてきたラインが渋る。コップの中の氷がからんと音を立てた。
「逃げてきたから」
どこからと聞く必要はなかった。天使が集う場所は一つしかないだろう。天使の使える主、神様である。
「なッッ!!」
少しの間を空け、脳の回転が追い付いた西城は席を立ちあがった。
「あのーお客様。お静かにお願いしたいのですが……」
近くにいた店員に西城はなだめられ席に座る。バツの悪そうな顔になっているラインを正面から見つめ、西城は覚悟を持って聞く。
「大丈夫、じゃないよな。神様から逃げてきた挙句、この聖都市に逃げてきたんだ。天使からしたら裏切り行為なんじゃないのか?そもそも何で逃げてくる必要があったんだ?」
「言行録」
西城はラインの発言が理解できなかった。なぜなら、その呟きが余りにも小さかったからだ。
「なんだって?」
「言行録って言ったの!……意味はわかるよね?」
ラインの大声は周囲の人々の騒音にかき消されていく。
西城はかよの発言に意味がわからないとぼやいた。深いため息をついたかよは呆れた目になる。
「多分、中学生でもわかるはずなのに。バカなんだね」
「なッ!?バカじゃねぇ!!」
「バカは大概そういうんだよ」
どこかで繰り広げられたような光景を作り出す西城とライン。
とはいえ、西城が知らないのは事実。馬鹿にされても文句をいえる立場ではない。
ラインが咳ばらいをすることで、西城に真剣さが戻る。
「言行録を簡単に説明すると、人物の言ったことや行動したことを記録したもの。言ってしまえば、伝記に近いかもね」
「で、それがどうしたんだ?」
ラインが切り出したことだ。頭が悪い西城でもそれが重要なことはわかる。
何かを渋るようにもぞもぞを動いたかよは紙コップに入った水を飲む。そのことで決心がついたのか話し始める。
「私にはそれが見えるの。全人類、いや全神の言行録がね」
「ちょっと待て?言行録ってのは言ったことや行動したこと。つまり、過去のことが書かれているんだよな?見えること自体すごそうだけど、それはあんまり重要じゃないんじゃ……」
西城が覚えた違和感をかよにそのままぶつける。ラインは真顔でこう答えた。
「ああ、説明が足りなかったね。私が見える言行録は人物が言ったことや行動したこともそうだけど、それだけじゃないの。人物がこれから言う言葉。起こす行動を書き記してあるものなんだ」
ぞわりッ。西城の背筋が震えた。
そして、こう思う。それは完全な予言書と変わらないのではないか、と。
顔から血の気が引いている西城とは対照的に、ラインはつまらないというような顔になっていた。
理由は、話を聞いた人が同じ反応ばかりするかららしい。
「要約すると、私が見ることができるのは運命が書かれた本みたいなものかな。でも、そのせいで神に狙われてる」
ラインは巫女服の裾を強く握る。それを見た西城はハッとなった。
西城はなぜか不運だ。
それは体質なのか、それとも呪いにかかっているのかは知らないがそのことを酷く恨んだことが何度かある。
なぜ他の奴らではなく自分なのかと。このことはラインにも当てはまっている。
生まれながら持った力のせいで神という強大な敵に狙われている。それがどれだけあの小さな肩に重圧としてのしかかっているのか、西城にはわからなかった。
「まぁ、仕方ないんだけどね」
ラインは弱弱しく笑った。西城は何か言葉を紡ごうとするが、うまく言葉が出てこない。
どうにかしたいという気持ちがあるというのに、何をすることもできない。西城はそんな自分が歯がゆかかった。
「それでも、私は神々に捕まるわけにはいかないの。多分、私が捕まったら人類は滅ぶよ」
「ッ!……それは、神々が言行録を悪用するって考えでいいのか?」
サラッととんでもないことを言うライン。
神という存在がいる以上、人類は常に滅亡の危機にある。神の介入がいい例だ。
このことはニュースやら学校やらで口うるさく言われていることだった。そのため、西城はたいして驚かない。
「少し違うかな。私を狙っているのはある一人の神だけ。本当は言行録を悪用してはいけないっていう神の間での決まり事があるんだけど、その神は私が仕える神だから誤魔化すこともできる。それに……」
ラインの言葉が近くにいた子供の泣き声にかき消される。
ラインが何を言おうとしたのか西城にはわからなかったが、その目にはとても悲しい顔が映っていた。
「さてと。お腹もいっぱいになったことだし、そろそろ移動しなきゃ」
「行く当てはあるのか?」
気が付けば西城はそんな言葉をラインにかけていた。
心配とも同情とも違う気持ち。その感情の正体をどうにも西城はうまく言葉にできない。
「うん。神様の中にも派閥があるからそこをあてにしようと思ってる。それがダメなら海外逃亡かもね」
ラインは前向きに物事を考えていた。
それでも神様の事情から逃れられない彼女の生き方を西城は否定したかった。超越的存在に振り回されなくてもいいと否定したかった。
けれども、そんな力が西城にあるかと言えばないのである。
「そうか。……じゃあ、せめてこのご飯代ぐらいは奢ってやるよ」
ラインを助けることのできない西城は一種の歯がゆさを抱えながらお金を払う。
その西城の背中を見つめるラインはそっと微笑んだ。
「幸助。ありがと」
感謝の声が聞こえたと思い、西城が振り向くとその場にはラインの姿はなかった。