第一章 一節 天使は地上へと舞い降りる
とある地方に建てられた、宗教的施設を中心に成り立つ宗教都市と、教育的施設を中心に成り立つ文教都市が合わさったこの都市—―境内都市。
またの名を『聖都市』と言う。
元々、こういう名前では無かった。だが、すぐに定着してしまったのだ。
何故か?それは『能力の開花』が原因だ。
神の介入前後、ある一部の人間たちに『能力』が開花した。
その人間たちの約半分が子供。つまり、成人していない二十歳未満だった。
その中で能力を使い、犯罪を犯す者が出てくるのは必然と言えるだろう。日本各地で、数々の『異能者』が関係するの大事件が起こった。
そんなことを国が放っておくはずは無く、『異能力を一か所に集める』という方針を打ち出した。
異能者は表向きに『聖人』と呼ばれることになり、作られた都市は『聖人』が住む都市―『聖都市』と呼ばれ始めた。
西城はそんな聖都市に住む高校生の一人だったりする。
「いてて……なんだよあいつ。手加減ってもんを知らないのか?」
建物などを駆使しなんとか逃げ切った西城は、まだ五月だというのに滝のように汗を流しながら、橋の柵にもたれかかっていた。
西城の頬を涼しい風がなでる。都市中心部と住宅地を結ぶ川を横目に、西城は手に持ったレジ袋を探る。
「げッ……ストローが入ってない」
『ほぼ一週間分!野菜ジュース』というラベルの付いた紙パックを片手に西城は肩を落とした。
ストローがなければこの野菜ジュースは飲めない。つまり、ムダ金を使ったということだ。
毎日金欠の西城にとって、許しがたき事実であった。
ともあれ、過ぎてしまったことは仕方ない。そもそも、西城は野菜ジュースを買いたかったというわけではなかった。
学生カバンごと燃えてしまった昼飯の代わりに、総菜パンを買いたかったのだ。それが買えている以上、不満を言うのは間違いだろう。
「あ、学校」
朝から色々あったせいか、西城の頭からすっぽりと抜けていた。本分は学生であるはずなのにだ。
西城はため息をつき、空を見上げた。
「は?………み、巫女??」
そこには浮いている巫女がいた。
その巫女は空中を移動し、橋の上のアスファルトに着地する。
「いたッ!」
そして、見事にこけた。正確には着地した瞬間にバランスを崩してこけたのだ。
「……………」
「……………」
西城はこけた巫女と目が合う。数秒間見つめあう。
すると、何事もなかったように、白に近い薄水色の長髪を揺らしながら、巫女は立ち上がった。
白い小袖や緋袴に付いた砂をはたき、西城の顔を正面からとらえてこう言う。
「えっと……あなたは誰?」
「ツッコミどころ満載だなオイ」
「???」
「可愛らしく首を傾げて誤魔化そうとしてんじゃねぇ!!」
西城からの返答に巫女は戸惑った顔になり、詰まりながら答えた。
「だ、誰にでも失敗はあるよ」
巫女は目を泳がせながら、慌てふためいていた。
西城は唖然とした。
なんせ、巫女が空から降ってきたあげく、着地に失敗し、目の前で失敗したことを認めたのだ。
「……はぁ。なんで自分から自白してんだ。………バカなのか?」
「バカって言った方がバカだもん!!」
「それはバカの上等文句だぞ」
西城は突っかかってくる巫女を軽くあしらいながら、さらにバカにした。
それが逆鱗に触れたのか、巫女は頬を膨らましながら、西城に近寄る。
「バカじゃないもん!!」
そう言って、涙目になった巫女の顔が、西城の目の前にずいっと出てくる。女の子独特の甘い香りが西城の鼻孔をくすぐった。
突然の出来事に西城は一歩下がると、それに合わせて、巫女も一歩前に出る。
「わ、わかったから落ち着けって!」
西城は巫女をどうにかなだめようする。しかし、巫女は言うことを聞かない。
というか逆効果だった。すぐにでもとびかかってきそうな勢いだ。追い詰められた西城は、いつもように逃げる算段を考え出す。
巫女は先ほど浮いていた。ということは、風系統か、重力系統の異能者だろう。
空中から追いかけてくるのであれば、追ってこれないところに逃げればいい。そう例えば、水中とか。
そこまで考えた西城はとてつもなくめんどくさそうな顔になった。水中から逃げるということは、制服が濡れるということだ。
これから学校に行く西城にとって、それは避けたい。
それに今は五月。まだ肌寒い季節なのだ。巫女のせいで風邪を引きましたなど、シャレにならない。
「……ぇ、ねぇ!聞いてるの!?」
ご乱心の巫女を止めることは不可能。背に腹は代えられぬかと、西城が考えた時、奇妙な音が鳴った。
ぎゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる
その音の音源は前方にいる巫女の腹だった。今までの態度とは打って変わり、顔は赤面し、口をパクパクさせた。
「あー食べるか?」
西城の問いに、巫女はうつむきながら、コクリと頷くことで答えた。
それ を見た西城はレジ袋の中にある総菜パン取り出し、巫女へ優しく渡す。
巫女は手に取った総菜パンをそのまま食べようと……
「ちょっと待て!!?」
せっかくのお食事タイムを邪魔されたからか、巫女は不機嫌そうに西城を見つめる。
西城はどれだけ腹が減ってたんだと、呆れ返る。
それはさておき、西城が巫女を止めたのには明確な理由がある。
「お前、包装ごと食べようとしてたよな?」
そう、巫女は包装から総菜パンを取り出さず、包装された総菜パンをそのまま食べようとしたのだ。
いくらお腹が減っているからと言っても、普通こんなことはしないだろう。
西城は確認したかった。この巫女が常識人であることを。そして願わくば、「間違えちゃった!てへぺろ」と冗談交じりに誤魔化して欲しかった。
しかし、現実は悲しきかな。思った通りにはいかないものである。
「ん?そういう食べ物じゃないの?」
西城は肩を落とした。どうやら、包装を食べ物だと勘違いしたらしい。現代社会を生きているうえでは、この手の包装などざらにあるというのに。
勘違いしたということは、どこぞのお嬢様か、それとも山の中で生活していたのかと西城は思考を巡らす。
といっても巫女によってすぐに中断させられのだが。
「あのーこれどうやって食べるの?」
「……ああ、これは包装をひっぱって開けるんだよ」
西城は包装を開ける動作の手本を見せる。巫女は一見、難しそうな顔になり、工夫を凝らして開けようとする。
「………開かない」
だが、結局あきらめた。そして、西城に熱い眼差しを向け始めた。
それに気が付いた西城は、手のひらを出して、総菜パンを渡すように勧める。巫女はおずおずと総菜パンを出しながら、西城の手のひらに乗せた。
そこからは早かった。
西城は一瞬にして包装を開け、目を爛々とさせている巫女に総菜パンを渡した。
すると、次の瞬間には総菜パンが跡形もなく消えていたのだ。この時、西城は少し背筋が凍ったという。
「ふぅ、ごちそうさまでした。………えっと、名前は?」
機嫌が直ったように見える巫女は、戸惑い気味に質問する。
「ん?俺の名前は西城幸助だ」
「へー古風な名前だね」
「よく言われる」
初対面の相手からはほぼ毎回言われることだった。親のネーミングセンスが時代遅れなのかもしれないが、西城自身名前をそれなりに気に入っている。
「私はライン。ルークリプト=ガイドライン」
巫女は自らの名前を披露する。巫女―ラインは外見通り外国人のようだった。どこの国の人かは分からないが。
「それで腹ペコな巫女さんがなんでお空を散歩なんかしてたんだ?」
「うん?えっと……」
ラインが答えようとする瞬間、先ほどの奇妙な音が鳴る。
ぎゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる
赤面するラインに西城は温かい目で話しかける。
「あーまだ食べるか?」
ラインはこくりと頷いたのだった。