序章 ついてない少年の日常
早朝。学生は学校へ登校し、大人は会社へ出勤し始めるそんな時間帯。
それは高校生である西城幸助も例外ではなかったのだが。
「ついてねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
東洋人独特の黒髪を揺らしながら、学生カバンを手に持った西城は全速力で逃げていた。
天使から。
天使といっても、優しいとか可愛いとかの比喩的表現ではない。神の使いである実質的な意味だ。
なぜそんなものが存在するのか。
一言で言うと、『神の介入』という出来事が関係している。文字通り、神が地上に降臨したのだ。それも、人間の敵という形で。
滅亡を恐れた人類は、神の出した条件を飲むことで、生存することを選んだ。
その条件の一つとして、人間を監視する役を神から担わされたのが、『天使』というわけである。
そして、今まさに西城の背後には純白のワンピースのようなものを着た金髪の天使が、空中に浮いて、西城を追いかけていた。
「……くそッ!!………おれは何もしてねぇのに!?」
西城は走りながら、こうなってしまった原因を思い返す。
今朝は早く目が覚めた。不出来な母親に代わり家事をこなし、余裕を持って家を出た所まではいい。
そこまでは平穏だった。だが、西城の高校まであと一歩という所でそれは起きた。
たまたま、西城の横を通り過ぎて行った不良たちが神をバカにしたのだ。神の使いである天使がそんなことを許すわけがなく、不良たちを捕まえようと動き始めた。
しかし、運の悪いことに、ただ近くにいただけで何の関係もない西城が不良の一味だと誤解されたのだ。
そして、現在に至る。
西城が過去を回想しているうちに、天使との距離は二、三メートルまで詰まっていた。
「ッッッ!!」
たかが高校生の体力では天使から逃げ切ることは不可能。だが、西城はあきらめなかった。
西城は手に持った学生カバンを天使に向かって投げつけたのである。
筋金入りの運のなさのせいで何百回と天使に追いかけられている西城は知っていた。
天使はほぼ人間と同じだと。
例えば、人はボールが顔面に迫ると反射的に避ける。それと同じで、天使も遮蔽物が迫ると避ける。もしくは破壊するのだ。
さらに天使はあることに意識を向けると、別のことに意識がいかなくなる。
吸い込まれるように天使へと投げられた学生カバンは、天使にあたる直前で小さな光を放ったかと思うと、いきなり発火した。
そんな光景を西城は裏路地から眺めていた。学生カバンを投げた瞬間に裏路地へ転がり込んだのだ。
「……………」
天使は燃えている学生カバンをよそに、西城の姿を探す。
何度か見渡す動作を繰り返すと西城を見つけるのをあきらめたのか、どこかへ去っていった。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
西城は座り込みながら大きなため息をつく。そして、いまだに燃え続けている学生カバンへ目線を送る。
そこにはパチパチと音を立てながら灰になっていく教科書たちが。
「毎度のことだけど、教材費がバカにならないんだよなぁ」
西城自身から学生カバンを投げたのに、それを後悔するというなんとも自業自得な呟きをしながら、西城は立ち上がる。
「おい!」
細い裏路地の奥から男の声で呼び止められる。無視すればいいものをつい反射的に振り向いてしまった西城の目には三人組の男たちが映った。
その中のリーダー格のような男が、西城に愛想よく喋りかけた。
「よう兄ちゃん。あんた金持ってるだろ?」
「……どういうことだ?」
「どうもこうもないだろ?金だよ金!!さっさと渡せや!」
一人の短気な不良が手から炎を出す。そのままその炎を握り潰したかと思ったら、西城に向かって投げつける。
その投げられた炎は手で圧縮されたためか、一瞬に膨張して西城の目の前を覆いつくした。
「ッッ!!?」
「ハハハ!!思った通り『無能者』か!」
無能者。それは『異能』という科学的に証明できない力を持っていない者たちのことを指す差別用語だ。
ちなみに、『異能』を持っている者たちを指す差別用語は『異能者』と言う。
そして、こんな言葉たちが作られたのも、神の介入の影響の一つだったりする。
覆いつくした炎を前に避けきれないと思った西城は強く目をつぶる。
「………?」
西城は全身に痛みが走ると覚悟していた。だが、そんな覚悟とは裏腹に西城は痛みを感じなかった。
何事かと思い、西城は恐る恐る目を開ける。そこには驚いた顔の不良たちがいた。
「—―—聖都市内での異能の使用は禁じられていますよ、不良さん」
その声は不良たちの背後から発せられた。
その声の主は西城と同じ高校の女子制服を身に纏い、漆黒のポニーテールを揺らしながら近づいてくる。
「チッ!!異能者の衛士か!」
少女の身元にいち早く気が付いた不良たちは焦り始める。
それもそのはず。警察がいないこの都市において、警察の代わりをしているのが『衛士』なのだから。
「その通り。私は『衛士』です。異能の使用によりあなたたちを拘束します」
その言葉と同時に、少女は三つの手錠を不良たちへ投げる。一人の不良が手から炎を出し、手錠に当てようとするが、それを手錠はうまくかわす。
「浮いてる!?」
「私の異能は『重力』。いろいろと欠点はありますが、ほとんどの物を自由自在に操ることができるんですよ。先ほどの炎も万有引力を利用して、上空に捻じ曲げたんです」
少女が説明する間。ガチャリッ!!という音を立てながら、不良たちの手首にかかる。
「使用者の確保が終わりました。回収をお願いします」
どこかに連絡を入れた少女は西城へと向き直る。
「ふぅ。後はあなただけですね、『変態』さん」
「はぁ……もうやめにしないか?」
西城はめんどさそうな顔になった。
そして、果たしてこの問いは何回目だろうかと西城が首を捻る。たしか、天使に追いかけられた回数よりかは少ないと西城は記憶していた。
「まさか、あなたが私にしたことを忘れたとは言いませんよね?」
「ちょッ!!誤解を招くような発言をするな!」
これは西城がこの少女になにかしたというわけではない。断じて違う。
西城は不良に絡まれている彼女を助けただけなのだ。ただ絡んでいたのは不良ではなく、少女だったという誤解があっただけである。
「誤解したのはあなたですよ。それに、あの時つかまえられなかったから、睡眠時間を削ってまで逮捕しなくちゃいけなくなったんですよ!どう責任とってくれるんですか!!」
「責任とるっても……というか睡眠時間ってまで不良をとりしまりたいのかよ」
西城も流石に不良たちが可哀そう見えてくる。
そもそも、この都市の不良の大半は無能者なのだ。それを二十四時間形態で見張るというのは不良た
ちにとって過酷すぎる。
「悪いとは思ってますよ」
ばつの悪い顔になりながら、少女は西城の意見を肯定した。
「でも、放っておけるわけがありません。そんなことしたらこの都市の治安は悪くなる一方です」
西城は正論に黙りこくってしまう。
確かにこの都市の不良の大半は無能者だ。
だが、無能者が何もできないわけじゃない。それこそ、ピンセットでカギ穴を開けることから車を運転することまで、と出来ることは多種多様だ。
放っておけば、治安が悪くなるのは当たり前だろう。
西城はそこまで考え、少女が手錠を手に持ち笑っていることに気が付く。
「――というわけで、治安を悪くする変態さんは逮捕です」
とびっきりの笑顔だった。西城が不気味さを感じてしまうほどに。
手錠が宙を舞う。しかし、西城は頭を掻きながらこう言った。
「あーもうめんどくさい。消えろ」
瞬間、世界がブレた。
少女は苦汁を舐めたような顔になる。
何度も見てきた光景だがこうもあっさり自らの異能を打ち破り、現実を見せつけられるとなると少女にも苛立ちが募るものだ。
「外面だけ無能者づらしといて何なんですかッ!!」
西城は口角を吊り上げる。
余裕のある笑みを浮かべ西城はこう言った。
「誰が異能者じゃないと言ったんだよ、ばーか」
その後、ある裏路地の一角で凄まじい騒音が起こり、破壊された壁の破片が辺り一面に散らかったのは言うまでもない。