シンゴウキの、ほすと?
赤色くんと別れて、数時間。
ここぞとばかりに、洋服やらお菓子を大量に買った私は、薄暗くなった町を歩いていた。
右手には紙袋を、自分の好みのシャツがたくさん入っている。
黄色には、洋服センスを笑われたけど、私はそれだけで好みを変えることは出来ない。
好きな物は好きだし、欲しい物は欲しい。
途中、リンゴ飴を見つけて、二つ購入。左手も塞がった。それを交互に口に頬張る。
今の自分が、物凄く贅沢な気がして、心が満たされる。
「お姉さん、そこの、お姉さん! リンゴ飴のお姉さん!」
うるさいな。と、振り向けば、ちゃらちゃらしている、怪しそうな若い男が私を見て、笑っている。
瞬間、デジャウが頭を過る。
また、危ない仕事の勧誘だろうか。だが、今の私は、生憎、金に困っていない。
「……結構です」
直ぐに立ち去ろうと、足を踏み出せば、男は私の前へと立ちはだかった。
軽く睨みつける。しつこい奴だ。
「まあ、そう言わないでよ。お姉さん、リンゴ飴好きなの? そんなに口に入れてー。でも、美味しいよね。うちの店、たくさん飴あるよ。寄って行かない?」
「リンゴ飴はまだあるから、いらない。じゃ」
避けて通ろうと歩き出せば、男が必死に誘惑してくる。
「あ、待って! 格好いい男の人とか、いっぱいいるよ」
「興味無いんで」
「じゃ、じゃあ、酒! 美味しいお酒たくさんあるよ!」
「リンゴ飴に忙しいんで」
早歩きになれば、最後の一声! と言わんばかりの、男の声が後方からした。
「うー、あっ、スモモ! スモモ飴があるよ!」
「……まじで?」
ぴたっと、私が足を止めたのは、言うまでもない。
私は、誘惑に弱かった。
「一名様、ご案内でーす!!」
スモモ飴を求めて入った店内は、明らかに駄菓子が置いてある店とは程遠い。
ど派手な赤い絨毯、薄暗い店内、酒や煙草の、香水の匂い。
店に入る前に通った脇に、金の枠に入った男の写真の数々。写真の下には、ケンだとかミヤビだとか。名前なのか?
「ここは、ホストクラブ?」
「そうですよ」
「本当にスモモ飴があるの? どこ?」
先ほど出会った男と促されるがまま、席に座った。
キョロキョロと店内を見回すが、薄いカーテンが邪魔で見えない。
「そんなの、後で持って来るから。お姉さん、荷物たくさん持っているねー、何を買ったの?」
「っ、触るな!」
男に肩を抱かれ、私の荷物にあろうことか勝手に手を掛けた。
全力で拒否した為、手に持ったリンゴ飴が、男の派手なスーツにべっとりと付いた。
「あ」
「ちょっと、お姉さん! どうしてくれるの? 高かったんだよ!」
椅子から立ち上がり、私を見下ろし冗談っぽく怒る男。
私がどう出るか試しているのだろう。なにせ、ほいほいと釣れた女だ。良いカモだと思っているに違いない。なんて、気付いていても、そんなことは、どうでもいい。
「……知らないよ、あんたが悪いんだろ? くっつくから。それより、スモモ飴は?」
リンゴ飴を今もなお、何事も無かったかの様に頬張り、辺りを見回せば、男の逆鱗に触れたらしい。
「舐めやがって! この女! 飴飴って、食い気しかねぇ、ぶっさいくな趣味の悪い女、誰も相手しねえから、俺が声かけて夢をみせてやろうと思ったのに!」
「……リンゴ飴舐めているのと、私の今の態度をかけたの? 上手いじゃん。それよりも……」
「馬鹿にしてんのか、てめえ!! どこ見てんだよ! こっち見ろや!」
男が水の入ったコップを、私に投げる。
水が勢いよく私とリンゴ飴を濡らした。コップが床に落ちる。絨毯が良いのか、割れはしなかった。
「おい! 何しているんだ!!」
私達に気付いた周囲のホストが駆け寄って来る。
どうやら、この男は店の問題児らしい。別のホストがタオルを持って寄って来る。
「どうもすみません。俺、リョウって言います。どうぞ、タオルを……」
慣れた手つきで跪き、タオルを差し出すために顔を上げた金髪の男、リョウ。
私は彼に見覚えがある。リョウではないが、そう、今朝会ったからだ。黄色くんこと、黄也、だっけ?
私に気付いて黄色は目を見開き、石化する。
タオルも中途半端に止まっている。
「ありがとう。ねえ、黄色くん、あのさ、この店、スモモ飴は……」
タオルを受け取り、顔を拭きながら、スモモ飴の行方を尋ねようとした。
黄色くんは、はっ、と我に返って、私の両腕をがっしり掴んで、寄って来た。
「悪かった!! な、何で、セツちゃんが? いや、そんなことよりも、この事は、アオ兄には、その……」
何を言おうとしているのかは、焦っている顔色で、だいたい予想着く、ような。
「アイちゃんには言わないよ。それよりも、スモモ飴どこ?」
「さんきゅー。スモモ飴? 無いに決まってんじゃん。ここホストクラブだよ?」
安心した顔から、直ぐに、私の腕を離し、タオルで濡れた髪や腕を拭いてくれ、スモモ飴なんかね~よ、とチャラい様子が帰って来た。
内心がっかりしたのもつかの間、黄色くんの背後に、アイちゃんらしき人が見える。
あ、ヤバい。と思って黄色くんに声を掛けようとすれば、タイミング悪く、私の足を軽く持ち上げ、タオルで拭いている所だった。
アイちゃんから見れば、黄色が跪いて、私の足にキスしているように見えなくもない。
「……何してんだ、てめえ」
睨みように見下ろしながら、黄色くんの背後からアイちゃんが、低く、冷たい、怒りのこもった声を出す。
黄色くんが一瞬肩を震わせ、顔から血の気が無くなっている辺り、声の主が解っている様だ。
周りもざわざわし始め、まずい、と思った。
「アイちゃん、違うんだよ。あの、変な男に、水かけられて。それで、たまたま黄色くんが、助けてくれたんだ!」
私の言葉に黄色くんは、ぱあっと表情を明るくした。
アイちゃんにも伝わったらしく、しばらく黙って私達を見ていたが、だんだん眉間に皺を寄せたかと思えば。
「てめえ、いつまで雪に触ってんだ!」
ぶんっと、空気の音がし、黄色くんの頭を、思いっきり蹴った。
蹴られた黄色くんは、頭に引っ張られるように、右の方へ飛んで行った。
今のは、私にはどうしようもない。
私に駆け寄って来るアイちゃんの表情は、冷たさなんてなくて、不安げに見つめてくる。
「雪、大丈夫か? 可哀想に、こんなに濡れて。来るのが遅くなってごめんね」
どうして私がここにいたのを知っているのか、とか。色々聞きたいがとりあえず。
大丈夫、と答えた。アイちゃんは、安心したのか、私の頭を撫で、手を握った。
「どうしてこんな所に来たんだ? 俺がいるのに、こんなむさ苦しい場所に。愛が足りないのかな?」
「違うよ! スモモ飴があるって聞いて。でも、騙された」
愛、という言葉に、否定した。愛ってなんだ? ただ、アイちゃんの言葉には重りがかなりある気がしたから、否定しておかないと。
「スモモ飴が食べたかったんだね。大丈夫、後で俺が買って来てあげるから。リンゴ飴も買って来てあげる。だから、この飴は、ぽいっしようねー」
アイちゃんは、一瞬で手にある飴を取ったかと思えば、流れるような動作で、悪びれもせず高そうな絨毯にポイ捨てした。
「……それより、水、誰にかけられたの? ここにいる? 教えて欲しいなー」
ふふふっ、と。アイちゃんは、笑顔だった。私には、基本笑顔で話しかけてくれるが、今回は目が笑って無い。
この感じは、あの男が、この先どうなるのか想像が付く。どうしようか。躊躇していたところに。
「アオ兄、こいつだよ」
あの男を連れて黄色くんがやって来た。
拘束されて動けないのか、苦痛に顔を歪ませた必死な男。一方黄色くんは、どこ吹く風、と清々しい顔をして男の腕を捻りあげている。ただ、アイちゃんに蹴られた痕は赤く腫れているが。
何やってんだよ! 死んじゃうよ? 今の人斬りみたいなアイちゃんに普通差し出す? どんな神経しているんだ、黄色くん。
「雪、こいつなんだね?」
アイちゃんは、男を一瞥した後、直ぐに私に満面な笑みで問う。
どうしようか考え、周囲を見渡す。誰も何も言わないのか? 無関係者が騒いでいるのに。
すると周囲は、本能的に何かを感じ取ったのか、バイトばかりで責任者不在なのか、ただひそひそと見ているだけだった。
何かあっても、警察呼べないくらいには、法律に触れる商売なのかもしれない。もちろん、この店は、だが。
「雪。どこを見ているの? 俺の目を見て」
ぐいっと、両手で至近距離から見つめられ、再度、少しはにかんだ顔で、この男なのか、と問う。
距離の近さと、アイちゃんの滑らかな肌、男なのに綺麗、という敗北感。何を考えているのか分からない二重に視線が泳ぎ、微かに震えた。
怖い。そう思った瞬間、私の恐怖対象であるアイちゃんが、とんでもない事を言い出した。
「可哀想に。そんなにあの男が、怖かったんだね。そうだよね、水をかけられたんだから。でも、もう大丈夫だよ、俺が守ってあげるからね。あんな弱小、ぽいってしてあげるから」
「ぽ、ぽいっ?」
「そうだよ。さっきの飴みたいに、この世から、ぽいって」
それは、決して笑顔で、可愛らしく両手で投げる仕草ではない。
仕草だけを見れば、その辺に無傷で捨てます。って感じだけど、この世って事は、彼はつまりあの世に行くの? 死んじゃうんじゃ。
「よし、黄也、よくやった。さっきの件と、どうしてお前がここにいるのか。見なかった事にしておいてやる」
アイちゃんは、自分より少し背の高い黄色くんにそう言うと、黄色くんはまるで褒められた犬の様に、表情が明るくなった。
「ありがとう、アオ兄! 良かった、もしもに備えて、こいつを捕まえられるように、待機していて」
もしや確信犯? 自分が怒られるからって、その男を差し出そうとしていたんじゃ。
黄色くん酷い……いや、この人達は普通じゃない。これが、この人達の普通なんだ。
依頼に邪魔が入って失敗すれば、邪魔した奴の首を持って詫びに行く。そういう会話を何度か聞いたことがある。
兄弟間でもビジネス。はっきりとした上下関係。怖い。私はまだ、普通の生活に戻っていないんだった。
早く、抜け出さないと。
その後、私は赤色くんの運転する乗用車で、家までアイちゃんに大切にされながら届けられた。
あの男がどうなったのか、訪ねる勇気が出なかった。でも、あんな騒ぎは、二度と起こさないと心に固く誓った。
そして、一刻も早く、この家からの脱出と、この兄弟からの解放。いや、アイちゃんとの契約? 解除。
静かに、計画を立てようと、ノートとペンを手にした。