シンゴウキ、ぶらざーず
悪魔の誘惑に、抗おうと思っていない。そう、だって私はもう堕ちた人間だから。
いうなれば、腐ったミカンだろう。
結果的に、私は蒼生の条件を受け入れた。
よく考えてみれば、否定する要素は何もない。
結婚を前提のお付き合い。それは、ただのお付き合いと一緒。
学生が「付き合おうぜ、俺達」と言うのと大差ない。私は頷いた。ただそれだけ。
そう! 「別れよう、私達」と言えば、簡単に別れられる。
契約したわけでも、用紙にサインしたわけでも無い。
言わば、自由。自由な恋愛。
ただ相手が、そうだな、学校で言う番長と付き合うってくらい。
なんだ、簡単ではないか。だから、私は了承した。
私は無事救出され、組織の事務所には新たな死体が加わった。
そして、何事も無かったように、私は今、このだだっ広い部屋に正座している。
ここ、どこ?
シンゴウキの住処だろう、四階建てのビルの一室。
ビルの前を通るのは一般人のみ。同業者は依頼以外は寄り付かないと聞いた。
四階建ての上からワンフロアごとに色で言うと、青、黄、赤、ゲストルーム。という感じだろうか。
そして私は今、蒼生の部屋の中央、高そうなカーペットの上に正座している。
私が血まみれだったので、先ほど風呂を借りた。風呂も高級感があって落ち着けなかったが、この部屋の落ち着かないこと。
全く生活感が無い。
どこを見ても、必要最低限の家具しか置いてない。そのくせ、家具は全て高そうな物。
「この服だって……」
自分の服を見つめる。
クローゼットにある服を何でも着ていいって言うから、漁った。
高い物を着て、金を払え、なんて言われたら、冗談じゃ無い。だから、持ち主が服の存在すら忘れていそうな、奥の方。Tシャツにジャージの上下。
「これ、センス良いな」
Tシャツの胸元には大きな達筆で「我は神」と書いてある。
カッコいい。いくらなのかな?
サイズは大きいけど、捲れば大丈夫。
シンプルな時計を見る。
もうすぐ日の出、くらいだろうか?
ああ、眠い。
今すぐにでも寝たいが、そうもいかない。
この部屋の主、蒼生が入浴タイムだからだ。
男のくせに、長風呂だ。
「お待たせ、雪。服、良いのあった?」
タオルで髪を拭きながら出て来た蒼生は、私の姿を見て笑った。
「どうして正座しているの? ていうか、何、その服。俺、そんな服持っていたかな?」
蒼生は私をその場に立たせると、服をじっくり観察する。
「な、なに?」
「本当にその服で良いの? 他のでも構わないけど」
「この文字、センス高いから、これでいい」
本音を言うと、蒼生は「本当だ、センス高すぎるね」と同意した。
ただ、くすくす笑っているのが気になるが。
「あの、蒼生は、ここに住んでいるの?」
「……そうだよ。それより雪、俺たち恋人なんだから、蒼生、なんて呼ばないで。あだ名で呼んで。アイちゃん、とか」
「……アイちゃん?」
「そう! 良いね、アイちゃん」
何を言っているんだ、この男。
私には理解できない。だって、アイちゃんなんて年齢でもないだろうに。
「アイちゃんはさ、何歳なの?」
「俺? えーっと、二十九」
「へー」
ほらみろ、アイちゃんなんて年齢じゃない。
恥ずかしくないのか? というか何でアイ? 青じゃなかった?
「あ、そうだ。雪の部屋は、実はもう作ってあるんだ」
アイちゃんは扉の前で止まると「廊下に近い右側が雪、すぐ隣の左側を俺の寝室」と説明した。
部屋には机、ベッド、クローゼットなど、ある程度は揃っている。
「好きに使っていいよ」
「いいの? これ、私が住んでいた部屋より広い」
「良いよ。家賃もいらないから。今日は疲れたでしょ? ゆっくり休みな」
「アイちゃん、ありがとう、お休み」
今は一刻も早く寝たい。
直ぐにドアを閉めると、眠りについた。
寝て起きたら、無かった事にならないかな。
「……おーい、雪? 起きて、ご飯だよ」
優しい声がする。
良い匂いもする。今日は目玉焼きかな?
「雪、起きて」
頭を撫でられる。
優しい手つき。お母さんかな?
あれ、私お母さんと住んでいたっけ?
「……お母さん?」
「……残念ながら、俺はお母さんじゃなくて、彼氏です」
「ふっ、またまたー」
私に彼氏なんていた事あった?
気持ち悪い、あり得ないでしょ。いったいどこの野郎だよ。
薄っすら目を開けると、昨日出会った笑顔の悪魔。
ああ、そうだ。こいつと付き合っているんだった。
早いとこ別れないと……
「……アイちゃんじゃん」
「おはよう、雪。お昼ご飯、皆もう食べているよ」
「……皆?」
何、皆って。ボランティアでもしているの?
時刻は昼過ぎ。よく寝たなー、人の家で。
清潔感のあるテーブルを、美味しそうな料理が。
そして、それを囲む男二人。
背中を向けているけど、二人は誰?
涎を拭きながら近づくと、一斉に振り返った。
「おい、お前がセツちゃん?」
ご飯を口に頬張りながら訪ねてきたのは、金髪を半分後ろに流したチャラい感じのパーカー男。
鋭い眼、リングピアスも黄色。あれ、シンゴウキの黄色かな? 私と歳は変わらなそう。
「こんにちは、えっと、雪です」
「……どうも、灯李です」
私の挨拶に反応したのは、さらさらで真っ赤な髪の方、恐らくシンゴウキの赤色。
二重で切れ長、アイちゃんと少し似ている。ピアスは黒だが髪が目立つ。その髪に反して、大人しそうな印象。セーターを着ている辺りが文学って感じ。
あどけなさが残る顔立ちから、年下っぽい。
「オレは黄也。ってか、セツちゃん、何、そのダサい服」
「え、ダサい?」
皆、私服だな。しかもセンス良い。今日は仕事無いのかな?
見ればアイちゃんも黒のタートルネックを着ている。
そういえば、クローゼットの中に多かったな、タートルネック。
「だっせーだろ、何だよ、我は神って。っぷ、馬鹿丸出しじゃ……」
「うるせー、殺すぞ、黄也」
アイちゃんが、ご飯とみそ汁を運ぶついでに、黄色を殴って行く。
手加減はしないタイプなのか、本気で痛がっている黄色。
「馬鹿だなー、黄は。青兄いるのに、暴言吐くなんて」
「うるせーんだよ、コミュ障が」
「僕がコミュ障だから、何?」
黄色と赤色がにらみ合っている。
殺し屋が喧嘩なんて。殴り合いだけじゃ済まなそう。
「まあまあ、黄色も赤色も落ち着いて」
「あ? 何で色? オレには名前が—―」
「……文句あんのかよ?」
黄色が私を睨んだ瞬間、アイちゃんが黄色を睨んだ。
目を逸らし、黙った黄色を見て、アイちゃんは私に笑顔で向き合う。態度が明らかに違う。
兄弟って複雑なんだな。
「食ったら早く帰れ、お前ら。……雪、こいつらは弟だけど、気にしなくていいから。ご飯、たくさん食べてね」
「うん」
目の前には美味しそうなご飯。
昨日は夕飯無しだったから、素直に嬉しい。
そして旨い! 何この美味しい魚。
「これ、何? 何魚?」
「金目鯛の煮つけだよ。気に入った?」
「うまい。気に入った! けど、誰が作ったの? アイちゃん?」
「そうだよ。家事、得意なんだ、俺」
主婦だ。殺し屋で主婦がここにいる。
「……アイちゃんって、まじか」
「黄、また怒られるよ」
「だってよ、アイって……だよな?」
「そうなんじゃない? 付き合い長くなるかもね……改めて、よろしく、雪ちゃん」
「お、よろしく?」
突然、こそこそ話していた黄色と赤色は、改めて私と向き合った。
何がなんだか分からないけど、シンゴウキには顔を売っておいた方が良さそうだ。
私は、殺されないように生きてゆくだけ。
そして、頃合いを見て、この兄弟と別れるだけ……でも、利用できるなら、したい。