四十一、飛発
耳が痛くなるような笛の音が聞こえた。
壬氏は緊張の糸が少しだけ緩んだ気がした。笛は、目的のものがみつかったら吹くようにしており、異常があれば短くわけて、問題がなければ長く一回と決めていた。
ぴいいっと長い音が一度だけで終わったところをみると、何事も問題なく、すくなくともそのように対処されたのだろう。
壬氏は長い回廊を抜ける。あらかじめ見ていた見取り図を思い出すと、この先にあるのは大広間と執務室、それから居住空間だ。
壬氏の後ろには、馬閃がいた。本来、高順がいるべき位置だが、高順には高順の仕事がある。父親の仕事を代わりに引き受けたとき、いつも馬閃は右肩が上がる癖をだす。
「あまり、気を張るな」
壬氏は馬閃のみ聞こえる声で言った。
馬閃の後ろにはさらに二人、武官がついている。
「では、私を先に進ませてください」
馬閃の言いたいことはわかる。配置として、壬氏には前と後ろを護衛に固めてもらいたいのだろう。
壬氏はふっと笑い、重い扉を押そうとするが、ふと嫌な予感がした。
皆に扉の前から避けるように言う。
扉を開けると、その瞬間身体を壁に隠した。
その刹那、耳が痛くなる音とともに弾丸が壬氏の横を通過する。
「これは!?」
馬閃が顔を歪める。
「想定の範囲内だ」
火薬を生成しているのなら、飛発くらい用意しているはずだ。外は天候が悪く、なおかつ点火に手間取る飛発は使う場所が限られる。砦内でもある程度の広さの場所でなければ使えない。
そして、壬氏の思惑通りだった。広間では慌てて弾をつめなおす男たちがいた。
「行くぞ!」
壬氏の掛け声とともに、中にいる飛発を抱えた男たちが慌てて抜刀するがもう遅い。元々、飛発は数名交代で使用する武器だ。初手で失敗して、弾を込め直す時間はない。
広間にいたのは五名ほど、皆、上等の着物を着ている。その中に見覚えがある顔があった。冷たい石畳の大部屋に独特の火薬の臭いが充満している。
「子昌はどこにいる?」
ここにいるのは皆、子一族の者だろう。負け戦に残る部下はおらず、飛発を出したのも最後のあがきに見えた。
「言う気はないのか?」
「しっ、知らない! 私たちは、そんなつもりはなかった」
男たちの一人が口にした。唾を飛ばしながら必死の形相で壬氏を見るが、飛び掛からんかの勢いだったため、すぐさま馬閃に押さえこまれる。
「私たちは騙されていただけだ」
床に顔をおさえつけられながらも喋り続ける。
「抜けぬけと!」
苛立たしげに馬閃がさらに顔をおさえつける。
「お前たちが国の金を横領し、この砦に使いこんだ証拠は残っている! それに、こうして武器をかまえた、それだけでどうなるかわかっているはずだ!」
馬閃がそのまま男の首に抜き身の刀をそえる。口の端に唾液の泡をつけた男は、顔を引きつらせていた。
「し、知らない! これは、国のためだと言われた。私たちは、ただ国のために……」
ずんっと床に刀が落ちた。石床と刀がぶつかり火花が散る。男はそのまま白目をむいて、何もしゃべらなくなった。床に濡れたしみが広がっていく。
他の男たちは、そんな無様な姿をさらしたくないのか黙っていたが、目には恐怖しか浮かんでいなかった。
そんな目で自分を見るな、とは言えない。
いかに憐れみを乞う顔をしたところで、自分には覆せない決定が下っている。
せめて壬氏にできることは、相手の感情の矛先としてその視線を受け止めるくらいだった。
「お優しいことですな、どうせ処刑台に上るなら一思いに仕留めてくれればよいものを」
かつかつという足音とともに、声が近づいてきた。
馬閃や臣下たちが身構える。
ゆったりとした動きの太った男、子昌がやってきた。その手には、飛発を持っている。
壬氏は、古狸と言われるその男を見る。
「随分と悠長な物言いだな、子昌」
壬氏は懐から書を取り出す。帝より印をいただいたその書状には、子一族を捕らえる旨が書かれていた。
子昌はゆったりとした動きのまま、飛発を構えた。
「耄碌したか?」
臣下の一人が小声で言った。
子昌は火種を持っていない、使えるわけがないと踏んだようだが。
壬氏はとっさに馬閃ともう一人、臣下の手を引っ張った。そして、床に這いつくばる。
発砲音がした。弾は壁に当たって跳弾すると、運の悪いことに転がされていた一族の男の足に当たった。悲鳴が広間に響く。
「情けないな。お前とて、試し打ちと獣を撃っていたではないか」
子昌は、叫び声の主に言った。
「早く人で試したいとうずうずしていたのに、残念だな」
何の感情もこもっていない声だと壬氏は思った。まるで、棒読みの台詞を吐くようだと感じたのは気のせいだろうか。
「ふむ、これで終わりか。もう少し時間があればな」
と、子昌は持っていた飛発を投げ捨てた。そして、壬氏を見ると一瞬だけ顔をゆるめた。
何が言いたいのだ。
それを問い詰めることはできなかった。
できたとしても、この男は話さなかっただろうが。
「行け!」
床に倒れ込んだまま、馬閃が命令を下す。
血しぶきが舞う。
ふくよかな子昌の胴体に三本の剣が続けざまに差し込まれた。
子昌は叫び声も上げず、ただ上を向いた。口から赤い泡があふれ出し、目が血走っていた。しかし、倒れることもなく、そのまま上を向き大きく両手を広げた。
笑い声、それとも呪詛だろうか。
天井に何があるわけでもなく、それともそのさらに上を見ていたのだろうか。
壬氏にはわからない。
その答えを残さないまま、子昌は息絶えた。
あっけないといえばあっけない、そんな最期だった。
広間を通過した回廊にいたのは薄着の女たちと派手な男たちだった。
女たちは、誰が奥にいるのかぺらぺらと喋り、命乞いをした。男たちは、女たちは子一族の者だが、自分らは違うと言い張った。
助かりたいという気持ちはわかるが、他人を売る醜い姿に壬氏は顔を背け、捕縛を臣下にまかせた。
元上級妃楼蘭とその母神美は一番奥の部屋にいるという。
「誰もいないじゃないか」
壬氏よりも先に入ったのは馬閃だった。
中は大きな寝台が一つと長椅子がいくつも並んでいた。脱ぎ散らかされた衣服に、漂う香の匂い、転がった酒と煙管。どんな行為が行われていたのか、目の当りにせずとも予想がついた。
頭がくらくらしてくる香りに壬氏は香炉を思わず投げ捨てた。
香炉から乾いた草のようなものがこぼれる。ここに薬屋の娘がいたら、どんな作用があるか教えてくれただろう。
「どこへ行った?」
つながっている部屋にも露台にも人はいない。
「外へ飛び降りたのか?」
周りが露台へと行く中、壬氏は首をひねった。
入ってきた部屋と続きの隣の部屋、構造上、同じ広さのはずだが妙な違和感がある。
奥にある部屋のほうが狭い気がする。壬氏は両方の部屋を行き来する。奥の部屋は入口が一か所しかなく、露台の反対側は壁になっている。
家具が少ないぶん、広く感じられるが壁から露台までの距離は、幾分短い。
壬氏は最初に入った部屋に戻ると、壁に置いてある箪笥を見た。ちょうど隣の部屋との広さの違いが箪笥の幅になっている。
「……」
壬氏は箪笥を開ける。派手な衣装が並ぶなか、その奥に手を伸ばす。頑丈な作りに見える箪笥だが、その奥の裏板は妙に薄い気がした。少し力を入れて押してみると、裏板が上にずれることに気が付いた。
壬氏は箪笥の中に入ると、四つん這いになりその奥へと顔を出す。本来、壁があるはずのそこに空間が広がっていた。
隠し通路があった。
そして、薄明りが見えた。
「ばああん」
茶目っ気の混じった声が聞こえた。
壬氏の目の前に銃口がつきつけられていた。奥へと続く隠し通路に楼蘭がいた。壬氏の知る飛発に比べ、ややこしい形をしている。先ほど子昌が撃った飛発に似ているが、それよりももっと小さく狭い場所でも持ち運びができた。火薬だけでなく新型まで製造していたとなれば、これは驚きだ。
「便宜上、壬氏さまと呼ばせていただきます」
楼蘭は壬氏に銃口を向けたまま言った。
楼蘭の姿は煤でまみれて髪が焦げていた。手に持った燭台の火が喋るたびに揺らめく。
「ついてきていただけないでしょうか?」
「断るといったら?」
「だから、脅しているのです」
堂々とした物言いに壬氏はいっそすがすがしささえ感じた。
壬氏は新型飛発を見る。その構造上、従来のものと違う箇所を確認しつつも、両手を上げて見せる。
「了解した」
それだけ言うと、楼蘭についていくことにした。
壬氏の見ていた見取り図では隠し通路は描かれていなかった。隠しというだけに図にかいてしまったら意味がないからだろう。もしくは、子昌が新たに改築したのかもしれない。
細い通路なので楼蘭は後ろ向きに歩きながら壬氏に銃口を向けていた。壬氏を前に進ませたほうが楽だろうが、すれ違う際、飛発をとられることに警戒したのだろう。
「本当に大人しくついてきてくれるのですね」
「ついて来いといったのは、お前のはずだが」
壬氏が素っ気なく答えると、楼蘭はくすっと笑ってみせる。不思議なことに、後宮にいたときよりずっと人間味あふれる表情だと思った。
「私からこれを奪うなんて簡単なことではないでしょうか?」
「……」
確実とはいえないが、おそらく無力化することができると壬氏は思っていた。
それを言わずただ沈黙で返した。
狭い通路は空気が薄いのか、燭台の火が消えかかっていた。そして、消え入る寸前に、隠し部屋にたどり着いた。
中は、ちゃんと空気穴があるのか、消え入ったと思った蝋燭の火が息をふきかえした。
ゆらめく火に照らし出されたのは、楼蘭の他に二人の女だった。一人は楼蘭とよく似た顔立ちの娘、顔には青い痣ができている。子昌のもう一人の娘、子翠ではないかと壬氏は推測する。
そしてもう一人の中年の女を見る。派手な装いに派手な化粧をしていると壬氏は思った。年甲斐もないその姿は、後宮にいた頃の楼蘭の姿を思い出す。
部屋には椅子が二脚と机が一つあるのみだ。
「楼蘭、その男は……」
「はい、お母さま。貴方の望みを叶えるためについてきてもらいました」
楼蘭の母、神美は眦をきつく上げて壬氏を睨む。
「ずっと憎んでいたのでしょう、この御姿を。誰かに似ているからでしょうか、それとも、自分よりずっと美しいことに嫉妬していたのでしょうか」
「楼蘭!」
神美は娘を怒鳴りつける。しかし、楼蘭は身じろぎもせず、代わりに子翠が震えた。
「冗談が過ぎました。さて、お母さまの本望を遂げるまえに一つ余興をいたしませんか」
楼蘭は燭台を机に置き、飛発を自分の衣の帯に挟んだ。
そして、朗々と物語をつむぎ始めた。