二十九、炙りだし
『祭』という文字は付くが、それが面白くないものであると猫猫はわかっていた。祀るものの種類にもよるが、今回の場合、女人禁制の祭祀と言われた。女の仙や神を祀る場合、よくある風習だ。
「この衣装に着替えてください」
高順より渡された服は、小姓が着るものだった。本当は、成人用の服を着せたいところだろうが、猫猫の大きさには合わない。毒見をする場合、毒の量や種類を踏まえて、同性の毒見役を使うことが多いので仕方なかろう。今回は、女人禁制の祭祀のため、宴でもこの手の格好の方が望ましかろうとの配慮もある。
猫猫は、皇弟の毒見をすることになった。
うまく高順が言いくるめたのだろうか、実に都合がいいと猫猫は思う。
もともと平べったい猫猫の体格では、さらしで胸を押しつぶす苦労もさほどなく、髪を頭の頂点にまとめ、巾を被ったらまったく違和感がなかった。姿見を見て、思わず乾いた笑いがでるほどにしっくりきていた。
壬氏が来て、それを見るとあまりの違和感のなさに無言になったくらいだ。
(ええ、そうですとも)
何を着ても目立つ壬氏と一緒にしないでもらいたい。
壬氏はといえば、祭祀に出席するらしく、猫猫に控えの間で待つように言われた。祭祀は、宮廷内にいくつかある祭祀場にて行われる。定期的に行われる祭祀は大体、季節の方角に合わせて場所を決める。卜で決めることもあるが、その基準は猫猫にはよくわからないのでどうでもいい。
控えの間で待つ間、実に暇だった。
祭り前の禊ともあって、飲食の類はなく、あったとしても毒見前の猫猫は食べることを許されない。
特にやることもなく、ただ、これから起こることについてよく考えを反芻することにした。
祭事が終わる時間になり、猫猫を迎えに来たのは高順の息子である馬閃だった。相変わらず愛想のない顔で、ついてこいと首をくいっとする。
猫猫はそれに従い、移動した。
宴の席は、祭祀場の傍にあった。園遊会と違い、野外で行われないのがありがたい。奥行が一引(三十三メートル)ほどの細長い作りの広間に、長卓が二列にずらりと並んでいる。冬を越す前の最後の恵みを感謝するという祭事のため、料理はさぞや豪華だろう。
一番奥の席に、帳がかかった座が見える。皇弟がそこに座られるのだろう。
(変わり者の弟君だと聞くが)
宴のときくらい顔を見せればいいのに、というのが猫猫の本音である。まあ、人見知りと言われたらそれまでなのだろうし、一応、宴に出ようという心意気はかってやるべきだろうか。
不遇の扱いを受けていると噂される皇弟であるが、猫猫としてはそんな感じではないように見えた。当人をしっかり見たことすらないのだが、猫猫の知る帝を見る限りそんな真似をするようには見えない。いや、むしろ過保護ではないかとさえ考える。
(……)
ふと、昨年あったこと、阿多元妃のことを思い出した。
彼女が後宮から出る際に見せた顔が忘れられない。誇りを持った国母の顔をした彼女の顔が。
(変な憶測をひっくり返すのはやめよう)
猫猫は以前、下世話な勘ぐりをしたことを恥じた。それが、本当であろうとなかろうと関係ない。今知られていることが事実であるというのが、世間というものだ。
顔を伏せながら、ゆっくり前の席まで移動する。馬閃に「ここで大人しくしていろ」と耳打ちされて、一番前の席の横に待機させられる。
馬閃はそのまま、皇弟の座を間に挟むように、反対側で待機する。
(あれ?)
次々と、官たちがやってきて坐する中、壬氏はやってこない。
はて、と思っていると、狸のような男、子昌が猫猫のすぐそばに座った。ちらりと猫猫を見たが、特に気にした様子もない。
猫猫の男装にまったく違和感がないらしい。
席がどんどん埋まり、猫猫の斜め前の席だけが空いていた。のそのそとやってきてそこに座ったのは、片眼鏡をした中年だった。
中年はふらふらとまわりを見て、目ざとく猫猫を見つけた。細い目をそれなりに大きく開きにやにやと笑う。
楽しそうに身体を揺らして落ち着きがない様子を見せる。それを前に座る子昌が怪訝な目で見ている。あの男の挙動不審さは今に始まったことではないが、周りからしてみればやはり気になるものだろう。
猫猫は言うまでもなく無視する。
(来るな、来るなよ)
その願いが届いたのか、奥からがさっと音がした。馬閃がゆっくりと頭を下げるのを見ると、帳の奥に皇弟がやってきたのだろう。
周りもそれにならい、椅子から立ち上がって一礼する。東宮に対して座って待つなど、失礼なようにも思えるが、面子のわりに砕けた宴なのだろうかと猫猫は思う。
おそらく後ろに扉があり、そこから誰にも見られず入ってきたのだろう。
猫猫も人嫌いなほうだと思うが、これを見る限りかなり重症に思える。
(こんなんなら、帝も子作り励むわけだ)
これが東宮だと思うと、先行きが不安すぎてならない。猫猫の知る限り、皇弟にはまだ妃と呼べるものはいないはずだ。とうに子作りに励んでおかしくない年齢だというのに。
しかし、ある意味これだけ引っ込み思案な性格だと、なかなか現帝に代わり、この弟を表にだそうと思う者はでないだろう。そういう意味では、血生臭くなくよいのかもしれない。
しばらくもしないうちに、昼時の鐘が鳴る。それとともに、馬閃が立ち上がり、帳の中を覗き込む。
皆の者ご苦労であった、とかそんな感じの偉そうな言葉を、馬閃が代弁する。宴を楽しんでくれ、なる言葉とともに、部屋の端から管弦の音楽が聞こえてきた。
左右に置かれた長卓の間に、役者たちが現れて劇を始める。その中に美女もいたが、その肩幅の広さから女形だろう。
劇に皆、見入っている間に、小姓たちが食前酒を持ってくる。最初に、馬閃に杯が渡され、それを帳の向こうの皇弟に渡される。皆に酒が行きわたったあとで、馬閃から小さな盃を受け取る。
くんっと鼻を鳴らすと、酒精と果実の匂いがした。焼酒と果汁を混ぜたものだ。
あらかじめ、高順より宴に出る料理の種類は聞いていた。
高順は少し離れたところに座っている。
壬氏はいない。
(……)
猫猫は眉を歪めたが、今はできる仕事をするしかなかった。
盃に口をつけ、舐めるように含んだ。軽く癖がない味わいが口の中に広がる。
(すごくおいしいんだけどな)
猫猫は二口目をごくりと飲みほすと、ゆっくり目をつむった。
いつもより、ゆっくりした毒見である。
盃が空になると、器を小姓へと返し、口の中をゆすぐ。
それを確認したのか、帳の中の人物が衣擦れの音を立てるのが聞こえた。ごくんと嚥下する音を確認すると、馬閃が小さく手を上げる。
それを見てか、周りの官たちが一斉に酒に手を付ける。
羅漢だけは、酒を飲むふりをしてさっさと長卓に置いたが、気にすることはなかろう。
前菜が持ってこられて、猫猫はまた毒見をする。いつもより咀嚼を増やし、ゆっくりと行う。
(うん、美味しい)
数口分しか食べられないのが残念な味だ。残り物でいいからあとで食べられないだろうかとか思いながら、それは無理だろうなと小さく唇を上げる。
次に汁物がきて、蓮華ですくっているとき、全身に違和感をもった。
(……)
全身をかきむしりたい衝動にかられた。人目がなければ思い切り爪をたてていただろう。かちかちと器に蓮華が当たり音をたてる。
息も荒くなってきた。呼吸が苦しく、なんだか眩暈がする。
どうにも我慢できなくなって、器をそばにいた小姓に押し付けた。
自分の手を見ると赤い発疹ができている。小姓が異様な表情で猫猫を見るので、顔に手を当てるとぶつぶつとした感触がした。顔にも発疹が回っているのだろう。
(ああ、これは)
猫猫の視界が回る。
ぐらりと天井が見えたと思うと、そのまま気を失った。
〇●〇
毒見の小姓が倒れたのに、最初に反応したのは二人だった。
一人は帳の奥の人物で、大きく動いたのが高順の席からでもわかった。即座にその場にいた馬閃が割って入り、奥の人物を押しとどめた。
もう一人、反応したのは片眼鏡の人物だった。
いつもへらへらと笑うその男の顔に、余裕は消えていた。
細い目を見開き、毒見の小姓へと近寄ろうとする。
それを馬閃がまたおさえることになるのだから、損な役割をさせたなと高順は思うしかない。
即座に、医官が呼ばれ、赤くただれた顔をした小姓は宴の席から退室した。
高順は、立場上なにもなかったかのようにそれを見るしかない。
がしゃんと玻璃が割れる音がしたのはそのときだった。
馬閃と他、数人の官におさえられた男、羅漢は卓に置かれた硝子の杯を握りつぶしていた。左手に赤い滴がたらたらと流れる。
「大尉!」
この官位のものはこの場では、羅漢以外にいないのだが、羅漢の耳には届いていないようだ。
羅漢は血に濡れた左手を伸ばすと、その狂人じみた目をその先の人物に向ける。
指先の向こうには、子昌がいた。
「どういうつもりだろうか?」
羅漢はそれだけを言うと、次々と違う官を指していく。
高順は羅漢が指していく人物を記憶していく。指された人物たちは、目を白黒させている。そして、目配せするように周りを見る。
落ち着きがない中、子昌だけはなにごともなく羅漢を見返している。
羅漢という男を味方にすると面倒だ、しかし、敵にだけは回してはいけない。
あの男は、狂っているがそれを余りある才能で補っている。
羅の一族、狂人と天才を輩出する家に生まれたあの男は、まさにその体現といえた。人とは異なる目を持ち、その才能を見るだけで当ててしまう。それによって、優秀な官が何人も輩出された。
まるで芸術品の真贋を当てるようにあの男はやってのける。
同時に、こういうこともいえるだろう。
人間の真贋を言い当てることができると。
きな臭いことをやっている連中には、目の上のたんこぶともいえる存在だ。過去、それを疎んで羅漢を消そうとしたものはいたらしいが、彼が生き残っているところを見るとその前に勘繰られて潰されたのだろう。
彼の部下は有能なものしかいないのだから。
そのうえ、義理の息子は国の財政管理をやっているものだから、さらにたちが悪い。
生憎、羅漢の性格を考えると、手を出さねば出されることがなかった。盤上遊戯や噂話、それとごく一部の人間にしか興味がない。
軍の仕事、例え戦ですら、あの男にとって遊戯の一つでしかないのだ。
そんな男が大切にする玉を何者かが危害を加えたとすれば……。
言うまでもなかった。
ぽたぽたと血を流し続けたまま、羅漢は笑っていた。
獣が牙をむくような笑いだった。
その場にいた者たちが皆、凍り付いて羅漢の笑みを見ていた。
ただ、子昌だけは無言で羅漢を見返していた。
羅漢の行動に驚いたためか、その場にいたものは誰も気づかなかった。
高順や馬閃が帳の奥の人物がすでにいないことに気づくのは、しばしあとのことだった。