二十四、誤診
「おや、お嬢ちゃん。お久しぶり」
猫猫が医局に行くと、ちょび髭のやぶ医者が出迎えてくれた。なぜだか待ち構えた様子なのは気のせいだろうか。
「お久しぶりというほどでは」
ここにくるのは三日ぶりくらいだろうか。そのとき、やぶ医者が実家からそろそろ補充の紙がくるといっていたので、猫猫はやってきた。あわよくばおこぼれをもらおうというちゃっかりした考えである。
「そうかい? 前は、毎日来てくれてたのに、最近、少し足が遠のいたんじゃないかい?」
寂しそうにやぶ医者が言うが、毎日来ていたのは医局の掃除をするためだ。終わったとき、やぶ医者はせいせいした顔をしていたというのに。
とりあえず足が減ったのはたしかだろう。最近は、洗濯場で駄弁ることが多かった。普段は、ほとんど小蘭くらいしか喋らない。でも最近、その中に楼蘭妃の女官である子翠が加わったからだろう。
(本当にわけのわからない娘だ)
楼蘭妃がどんな人間かよくわからないが、あんな女官を雇うとはある意味大物だろうと思う。多少、薬の知識があると言っていたけど、専門的なものではなく簡単な調薬しか知らない。
最初、薬の知識があると聞いたとき、猫猫は思わず眉を歪めてしまったが、今は気にならない。
最初は、よく聞くきな臭い話に子翠は加わっているのだろうかと思ったが、それにしてもこの娘はわけがわからな過ぎると猫猫は思った。
昨日も、飛蝗を捕まえては、近くにいた女官に見せて追いかけまわしていた。
楼蘭妃はどうか知らないが、少なくとも子翠は後宮内のどろどろには興味ないだろう。そんなものに気を配るくらいなら、延々と蟻の巣を観察しそうな娘だ。下手に色恋にも興味ない点は猫猫とも気が合った。
「とりあえず、これをどうぞ」
猫猫は洗濯籠の中から乾燥させた薬草を取り出す。この間、来たときに材料を切らしているといわれていたものだ。やぶ医者とて一応肩書きは医者である。腹痛の薬位は自分で作れると豪語している。それ以外の薬については聞いたことない。たずねない程度の優しさくらい猫猫にもある。ついでにおこぼれもいただきたい。
やぶ医者は薬草を受け取ると、棚の中につっこみ、そそくさと茶の準備をし始めた。
「ふふふ、今日はいいつまみがあるのさ」
踊るように貧相な髭を揺らしながら、茶菓子を準備するやぶ医者。
茶につまみもなにもないと猫猫は思うが、なんだかやぶ医者が楽しそうである。ここでいうつまみというのは、茶菓子の類ではなく話のねたなのだと猫猫は思った。
猫猫は黙って座ると注がれた雑茶を口に含む。塩味のついたあられを口に頬張る。かりっという歯ごたえがうまい。ちょっと風味をつけるために、青のりがかかっている。
「どんなつまみですか?」
出された茶菓子ぶんくらい話を聞かねば、と猫猫はやぶ医者に聞いた。
やぶ医者はにんまりと笑うと、ごほんと咳払いをする。
「面白い話を聞いてね。お嬢ちゃんはこの話がわかるかなと思ってね」
やぶ医者はやけに自信満々に笑いながら、話を始めた。
〇●〇
とある屋敷に、一人の医官と三人の医官見習いがいた。医官見習いたちは医官を師としていたが、皆が皆、優秀な生徒ではなかった。一人は真面目に勉強し、一人はそれなり、もう一人はやる気がなくうそつきだった。医官の位は金で買うものがいるくらいなので、そういう生徒がいても仕方ない。
医官は医術に関してすばらしい知識を持っていた。今まで誤診などありえず、今後もありえないだろう。
真面目な一人は間違ったことが嫌いで嘘がつけず、やる気がないものはうそしか言わない。残り一人は大体正しいことを言うがたまに間違ったことをする。
ある日、ひどい嵐が屋敷をおそった。風が強く、外に出られない。そんな中、とある事件が起こる。
医官見習いの一人が天井から首にひもをかけぶら下がっていた。
慌てて皆で下したが、すでに息はなかった。
医官は窒息死したとして、見習いの遺体を片付ける。
残った見習いは、一人はそんなわけあるかと逆上し、医官に食ってかかった。自殺するような奴じゃないと叫んだ。
もう一人は、黙ってその様子を見ていたが、部屋に戻る際、窒息死したんですね、と医官に確認してから出て行った。
皆、すぐさま出て行きたいところだが、嵐のせいで出られない。そのまま、一晩過ごすと、翌日、あったのは首を吊ったもう一人の医官見習いの姿だった。
生き残った一人は、なんで自殺するんだ、と医官に聞いた。
医官は首を振りつつ、窒息死したからだよ、と答えた。
〇●〇
「さて、ここで問題だ。生き残った生徒はどの生徒だったろうか?」
ふん、と鼻息を鳴らしやぶ医者が言った。
猫猫は首の裏をかいた。
(いろいろ抜けているところが多いな)
やぶ医者はよくわからずに質問しているのだろう。答えを知っていてもよく内容を理解していない気がする。
それでもわからないこともない問題なのだが。
こういう場合、うそつきかうそつきでないかで、相手を判断するものだが、そこで、大切なのが。
「その医官というのはうそをつくのですか?」
「……」
その前提条件はわからないらしい。では、猫猫は質問を変える。
「医官は誤診することはないのですね」
このやぶ医者と違って。
「そうだよ、絶対しないよ」
そこのところを強調する。ならば答えは簡単だ。
「じゃあ、二人を殺したのは医官で、生き残ったのはうそつきでも正直者でもない見習いでしょうか」
「……」
黙ったところを見ると図星だと猫猫は思った。
「……なんでわかるの?」
不貞腐れた顔でやぶ医者が言った。
「最初から、変でしたから」
ここの話で要点となるのは、ある人物だ。皆の師である医官だ。誤診をしないその人物が最初に『窒息死』と言った時点で犯人はわかった。
普通、首つりをすると首がしまって死ぬように見えるが違うのだ。首に全体重がかかることで死んでしまうのだと猫猫はおやじから聞いている。同じように首に縄をかけているが、死に方は違うのだ。
そこで、逆上した見習いは誰かといえば、どちらでもない生徒だろう。正しいことしか言わない生徒なら、誤診をしない師の答えが間違っていると言わない。うそつきでやる気のない生徒ならまず逆上すらしない。
そして、もう一人の見習いは誰かと言えば、真面目な生徒だろう。うそつきな生徒なら、正しいはずの師の答えを肯定しないはずだ。
そして、翌日死んだ生徒も真面目な生徒だ。
正直者の生徒は自殺とは思わないはずだし、そして、師もまた『窒息死』と答えている。
師は『窒息死』と言ったが自殺を否定しなかった。
「検死にだけは嘘をつけないなんて、難儀ですね」
と猫猫は言うと、ふうっと茶を飲み干した。
「?」
やぶ医者は自分で問いかけておきながら、首をひねっている。
猫猫はその様子を眺めながら、あられの残りを口に入れながら、医局にある医学書をぺらぺらめくる。
そんなふうにだらだらした時間がしばし続くと思っていたが。
「こんなところにいましたか」
低い聴き慣れた男の声が聞こえた。振り返ると相変わらず眉間にしわを寄せた高順がいた。
普段なら、なんとなくほっとするこの男だが、今回はちと状況が違う。
思わずびくりとなりそうなところを空の湯飲みをすする真似をして心落ち着かせる。
「なにかご用ですか?」
いや、なくていいのだ。いいんだぞ、と思いながら高順を見たが、そんな都合のよいことはないらしい。
「壬氏さまがお呼びです」
とうとう来たかと、猫猫はがくっと肩を落とした。