二十三、麻花
蝉の声より蟋蟀の声が目立つようになった頃。
猫猫はいつもどおり、洗濯場でのんびりしていた。水場が近く、ちょうどいい木漏れ日があるそこは、下女たちの駄弁り場所として利用されている。まだ、少し暑さが残るなか、通る風が気持ちいい。
今日の点心は、玉葉妃からおさがりでもらった麻花だ。縄をねじったような形のものである。中にじゃりじゃりと砂糖の粒が入った高級品だ。
「ねえ、猫猫のところのお妃さまってさあ」
おいしそうにぽりぽり食べながらいう小蘭、いつも通り猫猫と駄弁り中であったが。
「もしかして、なにか具合が悪いの?」
(そろそろその話題が来ると思った)
玉葉妃は、いくら誤魔化そうと誤魔化せない腹の大きさになっていた。茶会の回数は減り、外へ出ることもなくなったことを気にするものたちもでるだろう。妊娠とはわからずとも、何かしら不穏に思う者はいるはずだ。
猫猫は、麻花をかじりながら首を傾げて見せる。
周りは猫猫たちの会話に気づいていない、猫猫は懐から麻花をもう一包み取り出す。
「食べる?」
「食べる!」
猫猫は点心を頬張る小蘭を見ながらどう誤魔化そうかと考える。
そういえばちょうどいいねたがあったことを思い出す。
「後宮内の夜の怪談話の会合って知ってる?」
「あー、知ってる知ってる! なんか出たらしいよね」
さすが情報が早いと猫猫は感心する。
「なんでも、出たのはここで死んじゃった女官だって。もうだいぶ齢だったけど、出られない理由があったらしいわ」
そこのところの細かい理由までは知らないらしい。
猫猫はそれを口に出すのは無粋かと思い、ただ、うんうん頷いていると、横からそっと麻花に伸びる手を見つけた。
「おいしそう、食べていい?」
「もう食べてる」
ぽりぽりと猫猫のお菓子を食べるのは、子翠だった。猫猫は、もうお腹いっぱいだったので、残りを全部あげると、子翠は嬉しそうに声を上げた。
今日の子翠の格好は、尚服の格好で、すなわち小蘭と同じ洗濯係の服装をしている。
(どこから手に入れたものやら)
楼蘭妃付の女官なので、服装は別に支給されるはずだ。しかし、なんだかこの下女服のほうが子翠に似合っていると言ったら失礼だろうか。
「っで、怪談話?」
「そう怪談話」
人見知りのない子翠はごく自然に会話に入っていく。同じく小蘭も自然に受け入れる。猫猫には難しい芸当だなと感心する。
「後宮で死んだ女官の話よ」
「あれでしょ。結局、後宮からでることができなかった女官」
「えっ! 知ってるの? どんな話なの!?」
猫猫が言うのをやめたことを子翠は口にした。それに食いつかない小蘭ではない。
「ええっと、前の皇帝の御手付きになったことが理由で出られないって言われてるけど、本当はそうじゃないんだなあ」
猫猫は、「あれ?」と思い耳をぴくんとさせる。なんだか、紅娘から聞いた話と少し違うと首を傾げる。
小蘭は口をもぐもぐさせたままじっと子翠を見ている。子翠はもったいぶるように「どうしよっかなー」などと言いながら、話を始めた。
「有名な話なんだけどさ、ここの前の皇帝はちょっと趣味に問題があってさー」
どんな女にも興味を持たない。当時の皇太后こと女帝は、どんどん後宮を大きくしどんな女性が気に入るか、と業を煮やしていた。
そして、ある日、家臣の一人にこういったと。
おまえの娘をよこせ、と。
絶世の美女と、都まで知れ渡った娘であった。
家臣にとっては願ったりかなったり、出世の良い足がかり。
しかし、当の娘にとってはたまったものではなかった。
すでに許嫁のいた身だったが、女帝の命には逆らえず、数人の侍女を連れ入内した。
誰もがその美しさにため息を漏らし、これなら帝も満足するだろうと思っていた。
しかし。
「手を出されたのは、お付の侍女のほうだった。しかも、齢十一のあどけない娘だって」
聞いていた小蘭の顔が歪む。
猫猫とて、その話を聞いたことがあるがやはり拒絶反応がでる。
美女に食指が動かない理由、それは育ち過ぎているからだ。
どんなに矜持がずたずたにされたことだろう。
その後、その侍女は出世し、自分の宮までもったがそれは短い間だった。成長した侍女に興味が失せた帝は新しい女官に手を出した。どこから聞きつけたのだろうか、次々と幼い娘ばかり後宮に送られるようになったからだ。
忘れられた侍女は後宮内でひっそりと暮らした。
「帝が身罷られたとき、後宮を出て行くこともできたんだけど」
外には侍女の行き場はなかった。
仕える主人に恥をかかせたとして、故郷にも戻れず、後宮内で余生を過ごすことになったという。
ただ一つ、怖い話を集めるという些細な楽しみだけを糧に生きていたという。
「という話!」
さっきまで、薄暗い口調で喋っていたのに、妙に軽く子翠はしめた。
珍しく小蘭が浮かない顔をしている。
「なんか、かわいそ。その人のせいじゃないじゃない!」
小蘭は口を大きく膨らませる。
それはそうだ。彼女に逆らえる術はない。しかし、それが世の中に蔓延する不条理だ。持てる者は持つ、持たない者は持たない、それにすぎない。
「だよねー、恨んでも仕方ないよねー」
軽い口調で言ってのける子翠は、麻花の残りを全部口に入れると数回噛んで飲み込んだ。
「んでもって、その後、手つかずの美女は、とある高官に下賜された。北の『刀』といえばわかるかしら?」
「かたな?」
小蘭は首を傾げる。
猫猫も最初何かと思ったが、先日、馬閃から聞いた話を思い出した。華の下にある三つの刀を持つのが、茘という国だ。北の刀とは、子昌すなわち楼蘭妃の父を意味する。
(下賜された女を貰った高官か)
因果なものを感じつつ、猫猫はそろそろ仕事をしなくては、と木箱から飛び降りた。
〇●〇
薄暗い執務室、高順はため息をつきながら中へと入った。
「明かりくらいつけてください」
執務机には、干からびた貴人が一人、突っ伏していた。
「これくらいがちょうどいい」
貴人こと壬氏は、横目で書類を見ながら、やる気のない動きで承認印を押していく。一応仕事をしてくれるが、すこぶる動きが遅い。そのあいだに次々と他の仕事がたまっていく。
高順はどうすればよいやら、と思いつつ、自分の仕事の報告をすることにした。
「先日の商隊の件ですが、杏とのつながりはありませんでした」
杏、梨花妃の元侍女頭は、今現在故郷にいる。表向き、梨花妃との仲たがいの末の解雇という形をとっているため、詳しい情報を調べようにも取り調べることが難しかった。なにより、生まれは梨花妃に準ずるため、おいそれと手を出すことは難しかった。
「彼女が事をおこしたのはこれが原因のようです」
何度かの訪問ののち、ようやく杏が差し出したものを高順は執務机の上に置く。いくつも香油や香辛料の名前が書かれた紙だった。たまたま、このいくつかの材料に堕胎作用があることを杏は知っていた。それで、これらの材料をかき集めていたという。
拾ったと突っぱねた杏だった。それが本当かどうかわからないが、少なくとも商隊との関係がないところを見ると、何とも言えない。
調べができたのは、梨花妃の協力のおかげだろう。子を流す薬について、かなり機敏だった。今後、後宮内でそんなものが出回らないようにと願っていた。
出回ったほうが自分に有利だとも思わずに。
そういうところを、高順は好意的に思う。おそらくこのような者が国の母となれば、よりよい政治ができるだろうと。
その一方で、その座を維持するだけのしたたかさはないと思う。
人を蹴落とすとまではいかずとも、自分の立場を守るだけの強さが必要だ。
その点、玉葉妃のほうが優れているといえよう。
「それと、玉葉妃との関連もありませんでした」
「そうか」
壬氏が顔を上げていった。
それはよかった、と付け加えるような物言いだった。
誰が商隊に堕胎剤の材料を運ばせたのか、それは偶然か必然か。もし、必然であれば、その原因を徹底的に調べる必要があった。
その相手は、上級妃であろうと関係なかった。
特に、玉葉妃は西の交易都市の出身だ。そのつながりは他より深いと思うのが妥当だ。
壬氏はもう一度、顔をつっぷしたまま判子を打ち始めた。
もうやめてくれと、高順は眉間のしわをおさえる。
仕方がないと、特効薬をだすことにした。
「壬氏さま、以前、虫から生えた草を買った商人から、商品の知らせがきていました」
高順の言葉に、壬氏の顔がむくりと起き上がる。高順には不貞腐れた子どものようにも思える顔だが、他から見たら憂いを含んだ艶めかしい顔に見えるのだから困る。
「千頭の牛のうち一頭にしか見つからないという、胆嚢の中にある石だそうです。名を『牛黄』といい、貴重な生薬だそうです」
「……」
壬氏の目がだんだん鋭くなっていく。
「それは本当か?」
「おそらく偽物ではないと、目が肥えた医者にみてもらいました。ただ、珍しいものであるのは一つだけと言っていました」
「買っておけ」
壬氏が当たり前のように言った。
どことなく、元気がでてきたように見えなくもない。
わかりにくいような、わかりやすいような主である。
「商人はまだ価格を提示してませんが」
高順が言うと、壬氏はゆっくりと口を歪める。
「都一の妓楼の妓女をはべらせて、一晩中酒を飲むより安いだろう」
簡単に言ってのける壬氏に、高順は苦笑いを浮かべた。
「かしこまりました。用意させます。それと……」
これだけは言っておかねば、と高順は壬氏を見る。
「さっきの台詞、小猫の前で言わない方がよろしいかと」
無駄税使うな、といわれるがゆえ、と教えた。