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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編2
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十八、馬閃

 都の北は、穀倉地帯が広がっている。西から東へと流れる大河があり、街と農村が点々としている。

 

 南が水稲を育てるのに対し、北はこうりゃんや麦を育てている。さらに北には森、さらに向こうには山岳地帯がある。

 森より以北は、子北州となり、帝の直轄地ではない。


 都を中心とした地域を華央州、それ以外に大きな州が三つ、隙間を埋めるように小さな州が十数ある。

 

 子北、名前を見ればなんとなく予想がつこう。子昌という高官は、子北州出身だ。


(なんだっけなあ、建国の話は)


 猫猫の住む国はリーという。一文字だけの簡単な国名は、それだけで建国の物語を意味している。


 草の下に三つの刀。草というのは、『華』を意味し、これはこの国の帝の始祖を示す。話によると女だったといわれる。刀は武人を示し、三人の武人が始祖のもとにいたということだ。


 細かく言えばもっと面倒くさい話がたくさんあった気がするが、猫猫は欠伸をしながら聞いていたのでよく覚えていない。

 かろうじて覚えているのは、三つの刀にも大小があり、下二つの刀に比べ、上の刀のほうが大きい。

 

 そういうわけで、現帝の頭が上がらない理由もわかる。


 北、すなわち上の刀は、高官たちを呼びつけ、鷹狩など悠長なことをやろうというのだ。

 さすがに皇帝は来なかったがそうそうたる面々がそろっているという。


 そんなことを、目の前にいる武官から説明された。


 がたん、ごとんと、現在猫猫は、馬車にて移動中だ。

 馬車の速度は、半時いちじかんに二里半(十キロ)ほど。もう三時ろくじかんは走っているだろうか。

 

(尻がいたい)


 率直な感想をもらし、現場の改善を試みたいところであるが、一応、下に座布団が敷かれている。他の皆も同じ状況のため、文句を言っても仕方ない。猫猫は黙って外を見た。


 子昌の誘いとはいえ、さすがに都から子北州まで出向くのは難しい。一日二日で帰宅できる距離ではない。子昌もまた、都に居を構えている。子北州は、子昌の一族が治めている。


 はてはて、そんな猫猫には興味ないことを教えてくれた武官は、馬閃バセンだった。仏頂面した馬閃はひととおり猫猫に説明すると、腕を組んだまま黙った。そのまま、ずっと同じ馬車にいるものだから、ともに馬車に乗っている官たちが疲れた顔をしていた。

 

 まだ若いが位は高いらしく、上官の前では眠れないらしい。壬氏と高順は別の馬車に乗っている。


 猫猫の口の周りには涎が少したれていたが、ご愛嬌だ。


 そんな猫猫を見て、馬閃は舌うちした。


「なんで、こんな娘を父上は……」


(父上ですか)


 道理でどこか見覚えがある顔だと思った。

 この男、高順の息子とのことだ。


高順・・馬閃・・ねえ)


 引っ掛かるところはあるが、口を出さないでおこう。


 宦官である高順に息子とな、と最初思ったが、考えてみれば宦官も生まれながら宦官というわけじゃない。年齢からして、子の一人や二人いてもおかしくない。


 猫猫はこの話を聞いてから、翡翠宮にいる三十路の侍女頭のことを思った。

 あまりに出会いがなさすぎる職場ゆえ、最近、宦官でもよいとつぶやき、高順を見ることが多いのを猫猫は知っている。


 そんな中、窓の外に大きな屋敷が見えてきた。


 ようやくついたとばかりに、馬閃が組んでいた腕を解いたので、他の官たちがほっとしていた。

 猫猫は尻をさすりながら、ぼんやりと屋敷を眺めた。






 屋敷は大層立派なものだった。

 街自体はそれほど大きくないので、そこだけ別の世界に見えてしまう。都で目の肥えた人間を泊めるには十分な規模と造りだろう。


 赤い柱が目立つ三階建ての建物、瓦は獣の形に模されている。屋敷の周りには、堀があり、錦色の鯉が泳いでいた。


 漆喰の塀の中には、ところどころに龍や虎が塗り込められている。職人たちがこてで丁寧に作り上げたのだろう。都にはあまり見られない装飾だった。


 猫猫がまじまじと見ていると、横から小突かれる。顔を上げると、馬閃が睨んでいたので、大人しくその後ろについていった。






 案内された部屋に入ると、壬氏がだらけた姿勢で長椅子に横たわっていた。卓子には、暑苦しい色合いの布が置いてあり、それが頭巾だと気が付いた。


(なるほど)


 美しすぎるというのは罪なものだ。遠出をする際、周りから隠れるためわざわざ覆面までする必要があるとは。

 たしかに、この男が笑いかけただけで、初心な町娘は心の臓を止めることもあるかもしれない。

 いやはや迷惑な顔である。


 部屋は来客用のもので、屋敷の間取りからして最上級の客人向けだとわかる。調度も家具も立派だが、そこのところは翡翠宮や壬氏の棟で慣れていたので、こんなものかなと評価した。それでも、十分賓客には対応した部屋である。

 

 それにしても、この部屋は暑いな、と猫猫は思った。

 窓は閉め切られ、かわりに灯籠をつけている。

 襟をゆるめたいところだが、さすがにそういうわけにもいかないので我慢する。


 壬氏はすでに胸元をはだけさせていたので、つい久しぶりにひしゃげた蛙を見る目をしてしまった。

 部屋には、猫猫と高順、それから馬閃しかいないためだろうか。このくつろぎ様は。


 壬氏の顔に影があるように見えるのは、灯篭のゆらめく光のせいだろうか。


「ここではなんと?」


 馬閃が高順に聞いた。


「室内ではいつも通りでいい。外では、香泉コウセンと」

「かしこまりました。香泉・・さま」


 高順の代わりに答えたのは壬氏だった。

 

 はて、と猫猫は首を傾げ、高順を見る。

 高順は顎を撫でながら、壬氏を見、壬氏は目を細めて猫猫を見る。


 その様子をさらに、馬閃がいぶかしんだ。

 てくてくと高順の元までくると、


「父上、どういうことでしょうか?」


 と、たずねた。


 高順は、やや表情を曇らせ、壬氏に目くばせする。そして、馬閃の腕をひっぱり何やら部屋の隅でこそこそ話し出した。

 高順が何か言ったことで、馬閃は驚いた顔で猫猫を見る。そして、高順に反論しているようだが、高順は黙って息子に拳骨を落としていた。


 猫猫はなにやってんだか、と思ったが、別に気にすることでもないので、とりあえず荷物を片付けることにした。

 ちゃんと仕事をしないと、あとで水蓮に怒られる。






 鷹狩を行うのは、明日ということで、今日はそのまま屋敷に泊まりである。


 庭で夜宴が行われているが、壬氏たちは外に出る様子はない。ただ、部屋を閉め切ったまま、書を読んだり碁を打ったり時間を潰している。


 暑い部屋だが、氷を貰い幾分ましになった。氷室より早馬を走らせて持ってきたそれは、夏場、最高級の贅沢だ。


 猫猫があまりに羨ましそうに氷を見るものだから、こっそり高順が氷の欠片をくれた。本当に気が利く宦官である。


 それならいっそのこと窓を開けてしまえば、よいのにと猫猫は思い、ついたずねてしまった。


「どうして窓を開けないのですか?」


 高順に聞いたのだが、口を出したのは壬氏だった。


「とりあえず、夕餉の毒見をしてみろ」


 すればわかると、壬氏は呆れた顔で言った。






 言われた通り、夕餉が運ばれてくると猫猫は小皿に盛っていつもの毒見を始めた。


「……」

「わかっただろ」


 壬氏は呆れた様子で豪華な食事を見る。荷車にのせられたそれは、食材を活かした最高の料理に見えるが。


「すっぽん肉とは、これまた」


 すっぽん、亀の肉だ。一度食いついたら離さない性質がある生き物である。この生血は精力剤として使われる。もちろん、肉にもその効果はあるだろう。


 食前酒にも口をつけると、果汁をいれてさっぱりさせているように見せかけて、なかなかきついものが入っている。


 食前酒から前菜、副菜、主菜に、水菓子に至るまで元気になる食材がてんこもりだった。


 高順は黙々と荷物の奥から取り出した携帯食を用意している。せっかくの料理を目の前に、つつましやかな晩餐をとるらしい。


「食べないのですか? 毒はありませんが」

「毒でなくとも、食うものではない。というか、よく平気な顔して食えるな」


 信じられない、という目で壬氏と高順が見る。馬閃は、部屋の隅で湯を沸かしていた。本当に暑かろうに。


「大変美味です。残すと怪しまれるので私が食べてもよろしいでしょうか?」

「勝手にしろ!」


 壬氏は、満足そうな猫猫の顔を見ると、目を細め、やや唇を尖らせる。


 猫猫は、すっぽんの汁物をおいしそうに食す。


 それを壬氏がじっと見る。


「うまいか? それは」

「ええ、すっぽんにはいい思い出がないのですが、これはいけますね」

「なんだ? 思い出というのは」


 壬氏が少し興味深そうに、汁物の入った器を手に取る。


「大したことではないのですけど」


 猫猫は小さい頃から養父の手伝いをしていた。薬の材料を市から買ってくることもやっていたのだが、その最中、ろくでもない大人に出くわした。

 帯をほどき、着物の合わせを全開にする露出狂だった。冬場には、よくいる。


 驚いた猫猫は逃げ出そうとしたが、つい手にしていた荷物を投げつけてしまった。


「その荷物が生きたすっぽんでそれが――」

「ああ、いい。もういい。言わなくていい」


 壬氏は器を置き、遠い目をする。

 高順親子も同様だ。


(妓女たちには受けていたのだが)


 やはり、お育ちのいい人たちとは、話が合わないのだな、と猫猫は空になった皿を置く。

 しかし、本当にもったいないと猫猫は思う。


「すっぽん以外も美味しいですけど、本当に食べなくてよろしいのですか?」


 食べかけをすすめるのもなんだが、猫猫一人で食べきれる量ではない。それに、湯に戻した干し肉とほしいいだけでは、男たち三人の腹は満たせないだろうに。


「……食べていいのか?」


 壬氏が猫猫に確かめるように聞いた。


「どうぞ」


 残すと勿体ないと猫猫は思う。


「本当にいいのか?」


 じいっと猫猫を見る壬氏。


 なぜ、そこまでいうのかわからないと猫猫が首を傾げると、横から高順が入ってきた。なぜか小刻みに首を振る様子に、壬氏はしぶしぶ頷いた。


「俺はいい。馬閃、お前が食っていいぞ」

「香泉さまがおっしゃるのであれば」


 馬閃が、かしこまったように椅子に座る。猫猫は、食前酒の杯を渡す。


 馬閃がそれをゆっくり飲み干す。


「美味です」

「それはよかった」

「ただ」

「ただ?」


 馬閃の動きが止まると、鼻からたらりと血が流れてきた。


 顔を真っ赤にして、何かに耐えている様子である。壬氏が顔をのぞきこむと、びくりと身体が震えた。


「なぜ、この娘は平気なのですか?」

「なぜと言われましても」


 そういう体質ですから、という他ない。


 馬閃の目がとろんとしている。頬が紅潮し、何かを求めるように周りをみている。


「……馬閃、早く寝なさい」

「わかりました、父上」



 馬閃はそのままふらふらと隣の間に行こうとして、そのまま倒れてしまった。


「どうしましょうか?」 


 猫猫が聞くと、


「ここで寝かせてやれ。俺は隣の部屋で寝る」


 と壬氏が言った。


「壬氏さま、ちゃんと部屋まで運びますので」

「疲れているだろう」

「でも……」


 壬氏がそういうのであれば、と高順は折れて、息子を天蓋付の寝台に寝かせた。猫猫も多少手伝った。暑苦しそうだったので、帯をゆるめてやると少し顔色がよくなった。鼻血が敷布についてしまったので少し申し訳なかった。


 壬氏は隣の部屋で眠り、猫猫はその隣の部屋を使わせてもらった。


 一人部屋を使わせてもらい贅沢だな、と猫猫は思った。湯あみが出来て少し幸せだった。






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― 新着の感想 ―
鼻血が出るほどの料理は食ったことがねえ! 一度は食べてみたいと思うが、このような超のつく高級料理は一般庶民派の私には食べる機会はないなあ。
[気になる点] 敷布(シーツ)に血....猫猫お手付き疑惑勃発か!?
[一言] スッポンでよかった?鰐亀だったらw
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