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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編2
72/387

十六、虫愛づる

 猫猫は喜んでいた。

 すこぶる喜んでいた。


 その後ろには、仁王立ちした紅娘ホンニャンと半眼の桜花インファがいる。

 

「本当にここを使えと」


 猫猫は紅娘の顔色を窺う。

 

「ええ、反省なさい」


 ふん、と鼻を鳴らす紅娘に対して、猫猫は少し目を潤ませていた。そっと紅娘の手を掴むと、


「ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げて礼を言った。


「えっ?」

「ちょっ、猫猫!?」


 紅娘、桜花の二人が困惑する中、猫猫は意気揚々と物置小屋に飛び込んだ。


 今日からこちらが、猫猫の部屋とのことである。






「さすがにひどいんじゃない。桜花?」


 茶を注ぎながら貴園グイエンが言った。おっとりしたこの侍女は、桜花に茶と菓子を差し出す。


「私もそう思ったんだけど。猫猫が悪いのよ」


 桜花が口を尖らせながら茶をすする。今日の茶は西方から取り寄せた発酵茶で、甘い香りが漂う。


「だって、あれだけ言ったのにやめなかった猫猫が悪いのよ! また、虫を集めてるんだもん」


 桜花が半眼でじっと猫猫を見る。


 猫猫は、はてと首を傾げる。

 さすがに倒れられては困ると、猫猫はとかげの尻尾を集める真似はやめたはずだ。


「それはどういうことでしょう? 私は、あれ以来、そんなことはしておりませんが」


 猫猫が心底不思議そうな顔で桜花を見る。


「だって、上級妃の女官が、庭で笑いながら虫を捕まえているって話聞いたんだもの」

「……」


 貴園の目もじっとりした目に変わる。


 なんということだ、これは誤解だ。


「そんなことはしません」


 猫猫は毅然とした態度で言った。


「やったとすれば、虫ではなく草をとっておりました」

「笑いながらは認めるんだ」


 呆れた桜花と貴園の顔。

 最近ようやく猫猫の本性がわかったらしい二人は、じっと猫猫を見ている。


(むむっ)


 これは信じていない顔だ。

 それはない、猫猫が笑っていたのは薬草を見つけたからであり、虫を見つけて笑っていたわけじゃない。一応、猫猫だって常識がある。あの狭い部屋で、虫など捕まえて育てたらどうなるかくらいわかっている。今の季節は夏場だ、どんな惨状になることか。


 猫猫は眉間にきゅっと皺を寄せて、拳をかためた。

 これはゆゆしき事態である。





「ふええ? さいひんへんなほと?」


 小蘭シャオランは、桃饅を食べながら言った。


 猫猫は竹筒の甘茶を差し出しながら頷く。猫猫たちはいつもどおり、おやつを洗濯場の裏で食べながら駄弁っていた。自主休憩でありさぼりではない。


「最近、変わった女官がいるとか」

「変わった女官ねえ、たとえばどんな?」


 口の中の物を飲みこみ、小蘭が聞く。


「たとえば、草むらで笑いながら何かを探している女官」


 小蘭の目が猫猫をじっと見る。ごくごく茶を飲み干しながらじっと見る。


「私以外で」


 猫猫が注釈をつけると、小蘭は目を瞑って唸りだした。

 なぜだろう、どうにも扱いがひどい気がする。


「そんな変な女官なんて、いるかなあ。あっ!」

「なにか心当たりあった?」


 小蘭は、座っていた樽の上から飛び降りると、井戸の周りで駄弁っていた女官たちのほうへと向かう。

 猫猫はそれに続く。


「ねえねえ、このあいだ、変な女官いたって言ってなかった?」


 小蘭は三人組の女官に話しかけた。顔見知りらしく、小蘭には挨拶したが、猫猫が近づくと少しみがまえた顔をした。

 猫猫に話しかける物好きな女官は、小蘭くらいなのでそれはそうだろう。


「いたといえばいたんだけど」

「ねえ」


 なんだか歯切れの悪い喋り方だと思った。


「ええっ、だれだれ? 教えてよー」


 人見知りをしない小蘭は、つんつんつつきながら聞いている。しかし、三人の女官は顔を見合わせながら、言うのをためらっている。


 多分、猫猫を気にしてのことだろう。猫猫の服は、他の女官たちと違う。地味で動きやすいものには変わらないが、他の女官たちが後宮から支給された服を着るのとは違う。部屋付以上の妃につく女官たちは、妃たちから服を与えられる。


 そういうわけで、妃付かそうでないか大体見当がつき、そこになんともいえない壁ができるものだ。


(しまったな)


 遠巻きに見ていればよかったと猫猫は後悔した。妃付の女官に対して対抗心を持つ女官もいれば、下手に噂が流れては困ると口を噤む女官もいる。

 小蘭ほど天真爛漫な女官は珍しいのだ。


 さてどうしようか。

 菓子で釣ろうにも、先ほど小蘭にすべてあげてしまった。代わりになるものはあるだろうか、と猫猫は懐を探る。


(おっ!?)


 これは、と猫猫はあるものを取り出した。


「詳しいお話次第では、これを差し上げるんですけど」


 さらさらとした手触りのよい布を取り出した。かすかに香の匂いが残っている。用途は手ぬぐいであるが、生地がよいので使い方次第でなんにでもなろう。


 先日、壬氏がくれた手ぬぐいであった。このあと医局へ向かい、やぶ医者にでも売りつけようと考えていたのだった。やぶ医者に男色の気があると考えたくないが、麗しの宦官のものであれば、多少銭を出すだろうと思ったためだ。


「それって」

「絹のようですね。用途には向きませんけど」


 猫猫が言うと、ふらふらと女官の一人が手ぬぐいに鼻を近づけた。


「この香は、まさか!?」


 猫猫は白けた目をその女官に向けそうになったが、唇だけ弧を描いた表情を作る。


「ご想像にお任せします」


 あえて壬氏の名前を出すと、逆に胡散臭くなると猫猫は思った。こういう風に匂わせる程度にしておけば、勝手に好きなように想像してくれると考える。


 鼻の良い女官は、「これは、まさか、いえ、あのかたの……」とぶつぶつつぶやいている。一体誰を想像しているのかわからないが、食いついたとみていいだろう。それを見て、残り二人の女官もくんくん手ぬぐいに鼻を近づける。


 猫猫は、手ぬぐいをたたむと、女官たちを見る。


「すみません、お話を聞かせていただけないでしょうか」


 猫猫は恭しく女官たちに言った。






 女官たちの話によると、南側の林の近くで見かけたという。

 猫猫は言われた場所へと向かう。


(さすがに都合よくいないか)


 猫猫は木陰に腰掛けた。夏場のため、耳障りな羽虫の音が多い。じりじりと啼く蝉ならまだ許せるが、耳元で嫌な音をたてる蚊は何匹も叩き殺した。


(蚊遣り持って来ればよかったな)


 蓬や松の青葉を焚いて、虫よけに使う。まだ幼い鈴麗公主がいるため、翡翠宮では虫よけ対策はかかさない。


 林の近くは、あまりきれいにされていないようで、いろんな植物がそこかしこに生えていた。すすきの他、赤い花の群生が見えた。

 猫猫は赤い花に近づく。


(こんなところにあったのか)


 それは、白粉花オシロイバナだった。喇叭らっぱの形をした花は、夕刻に近づくにつれ蕾を開こうとしていた。

 猫猫は一輪つまむと花びらを潰す。赤い汁が指先を染める。小さい頃は、これでよく遊んだものだ。

 

 そして、この種を取りに、妓女たちが来たことも覚えている。


 種を潰せば、中に白粉のような粉がある。妓女たちは白粉としてそれを使うわけじゃない。


 猫猫は、ある違和感が残っていた。先日、水晶宮で起きた事件。梨花妃の侍女頭であるシンが堕胎剤を作ろうとしていたこと。

 あれを思い出していた。


 杏は、当初、香も何もつけていなかった。香の中に、流産の危険があるものがあったなら、自分が妃としてふさわしい人材だと自負していたら、それを身に着けることを避けるのはおかしくない。

 実際、杏は梨花妃に成り代わろうと考えていたのだろう。子が出来なければ、梨花妃の実家も違う者を妃にたてようと考えるはずだ。


 それが、杏が香の匂いをつけてまで、堕胎剤を作ろうとした理由は――。


 梨花妃は、ゆったりとした着物を着ていた。玉葉妃と同じく、腹を絞めつけないものを。

 そして、以前より頬がふっくらとしている気がするのは気のせいだろうか。


 何も、玉葉妃だけが皇帝の寵愛を受けているわけではない。その可能性は十分あるのだが、猫猫は何も言わなかった。

 そこで口にしたとて、梨花妃を助ける立場に猫猫はいないのだから。


 違和感があったのは、あの物置小屋で作っていたものの材料についてだった。香油など、金さえあれば商隊から誰でも買うことができた品ばかりだった。

 それはわかったが。


 猫猫には不思議でたまらなかった。

 

 妓女たちが白粉花の種を集める理由、それは胎の子をおろす薬を作るためだ。他に鬼灯ほおずきや牡丹、鳳仙花、芍薬や水銀などを煎じ、流産させたりすることもある。

 水銀はともかく他の花はこの後宮内でも手に入る材料に思えるのだが。


 杏の煎じたものにはまったく含まれていなかった。


 こちらのほうがよほど手軽に思えるというのに。


 なので、猫猫の中にある懸念があった。

 誰かが、杏にわざわざ毒を教えたのではないかと。

 そして、その人物はまだ後宮内にいるのではないかと。


 壬氏にはちらりと匂わせる形で口にしたが、彼のことだから調べるだろう。だが、あの強情そうな元侍女頭が簡単に口を割るかが問題だったが。


 そうこう考えているうちに、日差しはだいぶ弱くなっていた。太陽が林の影に隠れ、影が長く伸びている。

 ふと、一瞬、騒ぎ立てていた蝉の声が静まった。


 りーん。


 かすかに鈴の音が響く音が聞こえた。

 

 そして、その音とともにがさごそと物音が聞こえた。


 猫猫は音がする方向へと、視線を向ける。芒の中でなにか大きなものが這いつくばっているように見えた。

 それは、蛙のようにとぶと両手を上げて高笑いをし始めた。


「つっかまえたー」


 甲高い声が聞こえた。小蘭のようなあどけなさが残る声だが、声の主の背は高い。しかし、にんまりと満面の笑みを浮かべる顔は、背丈に比べ存外幼い。


 見たことがある顔。

 服は、妃から特別に支給されたものを着ている。


 心底嬉しそうな顔をして、拳を作った手を、竹製の虫かごに入れた。


 りーん。


 また、鈴のような音がした。


 あの娘のほうから聞こえる気がする。


 猫猫は思い出した。

 先日、医局にやってきた女官。薬をとりにきていた娘だ。


 あのときは、特に話もしなかったが、今見るとずいぶん印象が違うな、と猫猫は思った。


(それにしても)


 草むらの中を蛙のようにはねまわり、笑いながら虫を捕まえる娘。


(あんなのと一緒にされてたなんて)


 心外だな、と猫猫は思う。

 猫猫とてもう少しまともだろう、と思う。


 どうやら、楼蘭妃自身も変わっているなら、それに仕える女官も変わっているようだ。


 猫猫は、これだけ確認すれば十分と、そそくさとその場を去ろうとした。


 去ろうとしたが。


 りーん、と耳元で鈴の鳴る音が聞こえた。はて、と首を傾げて頭を触ると黒い見たこともない虫が猫猫にとまっていた。

 どうやらさきほどからの鈴の音源はこれらしい。


 それだけならよいが。


 猫猫の前に突如人影が覆いかぶさってきた。


「むしー」


 甲高い声とともに、猫猫はその人影に潰されてしまった。


 


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