七、身請作戦前編
「妓女の身請け金っていくらくらいだ?」
猫猫は、後宮と外界をつなぐ部屋の中で待つ李白にそう言われ、ぽかんとした。
文のやりとりだけじゃ駄目だと言われ、何か特別なことがあるのかと猫猫はわざわざ許可をとってやってきたというのに。
(やはり駄犬だ)
猫猫はそんなことを思いつつ、椅子に座った。
部屋にある二つの出口には、それぞれ宦官が見張りについており、二人の動向を眺めている。
猫猫は直接会うにしても、そこまで変な話はできないので、どうしたものかと思っていたが、これなら問題なかろうと思った。
「ぴんきりがありますけど」
「超一品で」
李白に誰を身請けするかなんて聞く必要もないだろう。
「……わかりました」
半眼で見つめながら猫猫は言った。
見張りの宦官に頼み、筆と硯を貸してもらう。紙は李白が差し出してくれた。
「とりあえず、相場は時価なのであくまで目安というところで」
猫猫は筆を走らせて、『二百』と書く。これは農民が一年で稼ぐ銀の基本だといっていい。そして、安い妓女なら、身請け金はこの倍もあれば足りるだろう。ふむふむ、と李白が頷く。
「もっともそれは、祝い金などのぞいた金額ですけど」
身請け金は、妓女があと何年、妓楼で稼ぐかという逆算に多少色をつけた金額で、その上、その倍ほど派手に身請けを祝うのに使われる。
「単刀直入に頼む。総額はいくらだ?」
真剣な顔で見られるが、どうしたものかと猫猫は答えに詰まる。
(難しいよな)
白鈴は店に出始めたころから、客をとりちゃんと稼いでいる。着物や簪など妓楼側に借金はなく本当ならとうに年季をあけているはずだ。それでも、妓楼に残って稼いでいるのは、彼女の性癖が妓女という仕事にあっているからに他ならない。身請けというのが妓女の借金の肩代わりであるなら、とうにそんなものは残っていない。
(今年でいくつだったかな?)
肌はつやつやとし、得意の舞踏も年々磨きがかかる白鈴であるが、猫猫が生まれる前から妓楼におり、三姫の最年長だ。
その若々しい姿から、時に「人の精気をすすって若さを保っている」などと噂されることもある。
房中術という男女がにゃんにゃんすることで、気を保つ術があるというが、もしかしたらそれを会得しているのではないかとさえ思う。
年齢としてはとうに価値がなくなっているはずなのに容貌は衰えず、本人のやる気もまだまだある。
その一方で、やり手婆としてはいつまでも三姫ばかりのさばらせているわけにもいかず、最年長の白鈴をそろそろ始末したいところだろう。先日、里帰りをした際にぼやいていた。
緑青館が傾いたときにしっかりした支えとなった象徴すべき妓女であることは確かだが、それにいつまでも頼っているわけにいかない。店がしっかりしているときに、上手く新陳代謝させないと、いつのまにか古い垢まみれになるだろう。
おそらくそれを小耳にはさんだか何かで、こうして李白も猫猫に相談しに来ているのだと思った。
猫猫は首の裏を掻きながら唸る。
「もし、白鈴小姐が身請けされるとしたら、二つ候補があります」
一つは交易商の大旦那、気前のよい老人で緑青館が傾いたときもちゃんと通ってくれた好々爺だ。猫猫も小さいときによく飴をもらった。
主に夜伽ではなく酒を飲み、舞踏を見て楽しむ御方で、何度も白鈴に身請け話を持ちかけてきた。そのたびに強欲婆がうまくはぐらかしているが、今ならその話も乗るだろう。
もう一つは、上級役人のお得意である。まだ若く三十路をいくつかこえた程度だろうか。何の役職なのかわからないが、数年前、猫猫が客の刀の柄についている玉飾りの色を思い出すと、その時点で今の李白よりも上の位だった。今はもっと出世していることだろう。
こちらは夜の遊戯のお相手として、白鈴となかなか馬が合うらしく、翌日の白鈴は大変ご機嫌だ。
ただ、気になる点は、つやつやした白鈴に比べ、客人のほうは少し疲れていることが多い。
身請けしたあとの生活を考えるとどちらも猫猫には不安がある。
白鈴、舞踏の得意な美しい妓女であるが、同時に夜に負け戦がないことで有名なのだ。時に、欲求不満になると、妓楼の男衆だけでなく、他の妓女や禿に食指を伸ばすほど――。
つまり色欲魔である。
やり手婆が身請け以外に、緑青館の管理を任せようか考えているのもそこのところが要点だ。
他に白鈴が妓楼を出て行くという手もあるが、彼女の性格上それは少ない気がする。
(それが一番平和な気がする)
表向き引退という形をとりながら、特別な場合は客をとればいいし、それ以外の暇なときは自由に恋愛をすればいい。今までよりずっと自由になるぶん、喜んでやるかもしれない。
(ふーむ)
猫猫はじろりと李白を見る。
年齢はまだ二十代半ばといったくらいで、しっかりとした体つきだ。武官らしく鍛えられた二の腕は実に白鈴好みである。
それに、以前、緑青館に初めて来たときは、結局、猫猫が帰るまでの丸二日以上、白鈴の部屋に籠もりきりだったが、やつれた様子はなかった。
「李白さま、お給金はいくらもらっていますか?」
「いきなり何言い出すんだ?」
少し慌てた様子で李白が言った。
「年に銀八百ほどですか?」
「おいおい、人をそんな値踏みして」
やや顔を引きつらせる李白。まだ余裕のある顔だ。
「では千二百?」
「……」
黙ったところを見ると、間をとって年に銀千枚といったところか。年齢にしてはかなり稼いでいるほうだろう。
それでも上級妓女を身請けするなら、銀一万は用意したいところだ。茶飲みだけで百、夜伽に至れば三百はとる妓女であるからして。
李白はその後も一、二度白鈴と夜伽に入っている。給金から考えると到底払いきれるものではないが、おそらくそれはやり手婆の差し金だろう。白鈴が欲求不満にならぬよう李白をあてがった可能性が高い。
「足りないか?」
「足りません」
「出世払いは?」
「無理です、即金で一万は欲しいところです」
「い、いちまん!?」
かたまる李白に猫猫はどうしようかと思った。
金の工面さえ考えれば、李白は身請け先として悪くない。無駄に体力はあるようなので、白鈴も嫌じゃないと思う。
嫌じゃないと思うが、それが好きとまで行くかは知らない。
(ふーむ)
落ち込んだ李白を見ながら猫猫はふうっと息を吐いた。
「李白さま、少し立っていただけますか?」
「……はい」
落ち込んだ大型犬は、大人しく猫猫の言うとおりに従った。
「では、そのまま上着を脱いで、両手を肩の位置まで上げて力こぶを作っていただけますか?」
「はい」
言われたとおりにする李白に対して慌てるのは見張りの宦官たちだ。着物を脱ぎだす李白を止める。
「別にやましいことはありません。私は見ているだけなので」
猫猫がそう言っても宦官たちが言うことを聞くわけなかった。
李白が落ち込んだまま椅子の上に正座で座り込む。
「脱いだら身請け金は安くなるか?」
「安くなるかどうかわかりませんが、一つ可能性があるかもしれません」
「……脱ぐ」
また立ち上がり、李白が脱ぐ。押しとどめようとする宦官たちに、自分の位を示す玉飾りを見せて黙らせる。
猫猫は自分の筋肉を見せつける姿勢をとる李白を、ぐるぐるとまわってあらゆる角度から見る。時に両手の親指と人差し指で四角形を作り、そこからのぞきこんでみる。
武官だけに、よく鍛えられた体躯だ。骨格も歪みはなく、均等に筋肉がついている。やや右腕が太いのは、右利きだからだろうか。
白鈴はなければなんでも食べる悪食だが、それなりに好みというものもある。今、この場に白鈴がいれば舌なめずりをしているだろう。
「それでは、その下もお願いします」
「……下もか?」
「下もです」
猫猫は真顔で言う。
李白はしぶしぶ袴の帯に手をかけると、下帯一枚になった。
それでも猫猫の表情は変わらず、じっと観察する。
足腰もしっかりしており、李白の毎日の訓練は偏りがないことがうかがえる。筋張った太腿の筋肉が無駄のない流れで膝の関節につながり、そこからまたふくらはぎに筋肉が盛り上がっている。
(実にいい筋肉)
妓楼に来る酒で膨れ上がった腹とは違う。
青白い不健康な肌でもない。
これはいけるかな、と猫猫は李白に次々と姿勢を変えさせて筋肉の流れを見る。
李白もけっこうお調子者なところがあるらしく、だんだんのりのりで姿勢をとるようになった。
最後に一番大切なところを確認するため、
「ではもう一枚脱いで……」
と言おうとしたとき、がたっと扉が開く音がした。
のりのりだった李白の顔が蒼白になる。
宦官たちが死刑宣告を受けたような顔になる。
猫猫はぽかんと口を開ける。
「お前ら、一体何をやっている」
顔に青筋を立てた後宮管理官どのとその副官が扉の前に立っていた。
扉の向こうには、壬氏目当てで覗き込んでいた女官たちがあらぬものを見てしまったと、ばたばたと倒れていった。男から離れた女官たちに刺激は強すぎたらしい。
とりあえず猫猫は、
「ごきげんよう、壬氏さま」
と返しておいた。