五、茉莉花
猫猫は紙の上につらつらと文字を書きはじめる。玉葉妃にもらった紙なので、正直上等すぎるものだ。
(別に反古した紙の裏でもいいんだけど)
そんなことを考える貧乏性はここには猫猫しかいない。
皆、机に座る猫猫を取り囲み、書き連ねる言葉を見る。
「薔薇、安息香、青桐、乳香に桂皮? ええっとどれも香油か何かかしら」
玉葉妃の答えに、猫猫は頷く。
「今日、私がわかっただけの、女官たちがつけていた香料や精油の名前です」
「それがどうしたんだ?」
壬氏が袖に手を入れたまま首を傾げる。
猫猫は手を止めると、筆を硯に置く。
「はい、どれも微量ですが妊婦に害のあるものばかりです」
猫猫の言葉に、皆が黙る。
それに、と猫猫は続ける。
「香油の他に、香辛料や茶葉も売られていました」
猫猫は、自分が買った茶と香辛料を取り出す。茶は茉莉花、香辛料は辛党の猫猫らしく辛子やちょっと高価な胡椒、岩塩、それと香料にも使われる桂皮だった。
「茉莉花には、子宮を収縮させる効果があります。少量ならば問題ないかと思いますが、それでも流産の可能性を避けるためには飲まないほうがいい飲み物です」
猫猫は花の形をした工芸茶を卓子に置いた。
「そして、香辛料。辛子は、女郎の堕胎剤によく使われる材料です」
猫猫はちらりと玉葉妃を見る。玉葉妃は話の内容がふざける場合ではないと思ったらしく、真剣な顔で「続けて」と頷いた。隣では、玉葉妃にあまり不穏な話を聞かせたくない紅娘がいたが、玉葉妃の意見を尊重したらしく黙っている。
「つまり、それを使うことで流産の可能性が高まるということか?」
壬氏の質問に曖昧な顔をする猫猫。それは、当たりであり、外れである。
「どれも可能性を高める代物というだけであり、確実にきくものではありません。間違って、香油を飲んだり、大量に摂取したりしない限りは」
どれも普段使う分にはほとんど問題ない代物、だからこそ後宮内に持ちこめる。そして、物とはいくらでも使い方を変えられる。
それがその場にあれば、なにか間違いが起きて、誰かが飲んでしまうこともあるかもしれない。そして、それがたまたま妊娠中の妃であったとすれば。
服の流行といって帯をきつく締めない意匠をすすめられたところでもっと早く気づいておけばよかったと猫猫は思う。
「出入りの業者はあらえますか?」
「調べることはできるが、商品を事細かに記していないはずだ」
香料は香料、香辛料は香辛料、茶葉は茶葉とわけられるまでだそうだ。その一つ一つの種類まで記録していないだろう。それでも、品物は全部検品されたとのことで、管理する立場は十分役割を果たしていると思うので、なんとも言えない気分である。
それにもう一つ猫猫には引っ掛かっていた。
「これって、あれに似ていませんか」
「あれって、なんだ?」
猫猫の曖昧な言葉に壬氏が反応する。
商品としては後宮に出しても恥じないもの、しかし、そこには知られない副作用がある。
「毒おしろい」
猫猫が言うと、皆の顔がはっとなった。
昨年の夏だった。鈴麗公主が原因不明の病に倒れたのは。同時に、当時東宮であった梨花妃の御子もまた倒れ、そして身罷られた。
現在、おしろいは鉛を使用しないものを使っており、それが後宮内に入り込むことはない。
逆をいえば、他のものなら大丈夫だと思ったのかもしれない。
「つまり、それはわざわざ後宮内に毒を入れようとした人間がいるという見識でよいのだな」
確かめるように壬氏が言った。
猫猫は首を縦にも横にも振らない。
今、あるのは推定であり確証ではない。それにかなり近いものの、そうでない可能性も捨てきれないからだ。
「私は、ここに入ってきた中で、それだけ多くの毒になりうるものがあるとわかっただけです。それ単品では、毒として扱われる商品ではありません」
汚い言い方だ。自分の言葉で出入りの業者が罰せられることが嫌なのだ。だから、あくまで意見として述べ、そして、判断は上にゆだねる。
「ただ、他の妃たちにも注意したほうがいいと思います」
それだけしか言えなかった。
話を終えたあと、猫猫はどっと疲れてしまった。
おやじの言葉を思い出す。
憶測で物事を言ってはいけないよ、と老婆のような老人の声が再生される。
猫猫の言った言葉はどこまでが憶測で、どこまでが確信だったろうか。
そう思うと、少し気分が悪い。
猫猫は厨房に入ると、湯を沸かす。湯が沸いたところで少し冷まし、茉莉花を入れた硝子の器に湯を入れる。高価な硝子の器だが、ちゃんとあとで洗うから少しだけ使わせてもらおう。
花が湯にほどけて、蕾が開いていく。それを横からぼんやりと椅子に座って眺める。芳香が周りにたちのぼる。
「それは毒ではなかったのか?」
麗しい声が頭上より聞こえた。
顔を上げると、これまた麗しい顔があった。外はもう真っ暗で、厨房を照らすのは行燈が一つだけだ。
ちらちらと赤く照らされる顔は、本当に憎たらしいくらい綺麗だった。
「毒もまた少量では薬です。何より、お茶一杯でどうにかなるようなものではないでしょう。ここは厨房です。壬氏さまの立ち入る場所ではありません」
「細かいことを言うな」
「高順さまはどうしました?」
「伝令にいっている」
尊大な宦官どのに猫猫は口を軽く尖らせる。
猫猫は完全に開いた茶を行燈に掲げて眺める。湯の中で揺れる花を楽しみながら、猫猫は一口茶をすすった。
「それに私は妊婦ではありませんから」
「それもそうだな」
壬氏はなぜかそっぽを向いていった。いつのまにか、猫猫の斜め前に座っている。
「俺にも茶をくれないか?」
壬氏が硝子の器に揺れる花を見て言った。
「何茶がよろしいですか?」
猫猫は面倒くさいなこの野郎、と思いながら椅子から立つ。棚には、来客用の茶葉が並んでいる。無難に白茶がいいだろうか。
壬氏は硝子の器をじっと見ている。
「これと同じものがいい」
壬氏の言葉に、猫猫は眉を歪に下げた。
「そのお茶はそれで最後ですよ」
猫猫は厨房の端に置いてある瓶を見た。茶葉といった芥を捨てる瓶で、今飲んでいるこれを残し、あとは全部捨ててしまった。
(せっかくいい買い物できたのに)
それでも、この後宮という場にいる以上、玉葉妃に仕える以上、けじめをつけるべきだと思った。
なので、この一つだけを楽しもうと思っていたのに。
「この茶には、他にどんな作用がある」
「心を安らげます。不眠にも効きますし、目覚めの効果もあります。他に、妊娠中はよくありませんが、出産する場合、分娩をよくすると聞いたことがあります」
「いい効用のほうが多いな」
「ええ、だからこそ、副作用が目に入らないのです」
上手く入ったものだと猫猫は思う。
今回だけ、こんなにたくさん入ってきたのだろうか、それとも、前から同じような商品が出入りしていたのだろうか、猫猫にはよくわからない。
猫猫は前の商隊が来たときは、壬氏の部屋で働いていたり、水晶宮で梨花妃を看病していたり、玉葉妃の部屋付になる前は、お金もなかったのでまったく興味がわかず買物をしたことがなかったからだ。
今回、香油が流行にならなければ、猫猫も気づかなかった可能性が高い。
どれも一面を見ると実にいい品ばかりだ。
「白茶でいいですね」
「……」
壬氏が不満そうに見るが、ないものは仕方ない。
猫猫は薬缶をもう一度火にかけ、急須に茶葉を入れた。ぬるま湯でいいだろう、と沸騰する前に薬缶をとり急須の茶葉をゆっくり蒸らした。
茶碗に注ぎ、壬氏の前に置く。
壬氏は不満そうに茶碗を持つ。
猫猫は自慢するように、硝子の器を揺らして花茶を見せつける。
「他にももっと効用があるんです」
「どんな?」
「不妊に、主に男性側が原因の」
「……」
じっとりした視線が猫猫に突き刺さった。
(これはいかん)
皮肉にしてはあまりにききすぎたものだった、と猫猫は思った。ちょっとだけ背筋に冷や汗をかきながら、ご機嫌をとるために戸棚からわさわさと菓子を探す猫猫。
茶を大胆にすする音がしたと思うと、
「帰る」
と、壬氏はさっさと出て行ってしまった。
猫猫は唇を変な形に歪めながら、
(やっちまったー)
と思う。
仕方なく茶碗を片付けようとすると、壬氏についだ白茶はそのまま手つかずに残されてあった。
かわりに。
まだ半分ほど残っているはずの茉莉花茶が、飲み干されていた。
猫猫は呆れた顔でため息をついた。