三、商隊
こちらは薬屋の蛇足編の改稿です。
宮廷編1は蛇足編より羅漢の話までをまとめ、半分ほど改稿加筆、投稿済みです。
宮廷編2は蛇足編より楼蘭妃の話を九割ほど書きなおしていく予定です。
御承知の上、お読みいただけるとありがたいです。
旧蛇足編はこちらに置いてあります。
http://ncode.syosetu.com/n8967bb/
後宮は広い。そんじょそこらの街よりもずっと広い。
そこにいる女官たちは、ただ妃に仕えるため、後宮の建物の維持のため、そして、皆無に等しい可能性だが皇帝の御手付きとなるために存在する。
特殊な環境ゆえ、その生活様式も普通に街中で暮らすのとは違う。女官たちの役割は、掃除や洗濯、料理を分担して行うことから、街というより巨大な一つの家に住んでいると考えたほうが正しいのかもしれない。
それゆえ、本来、これだけ大きな場所にあるべきものが、まったくない。
それは――。
「楽しそう」
「そう?」
まだ幼さが残る女官、小蘭が言ったのを、猫猫が疑問形で返した。
広場では、女官たちが嬉しそうに天幕の前を歩いている。大きな天幕がいくつも並んでいるが、後宮の女官の数は二千人、下級女官たちは入り込める余地はなく、品物を眺めることすらできないまま、楽しそうな上級女官たちを眺めるだけだ。
猫猫と小蘭も、下級女官たちが住む部屋の欄干から眺めている。今日は、妃たちも含めた上級女官たちがはしゃいでいるため、下っ端は開店休業中である。
「いいなあ、新しい服とか欲しい」
欄干に顎をのせ、唇を尖らせながら小蘭が言った。
「着ていく場所ないよ」
「わかってるけどほしいの!」
下級女官たちの服は基本、夏に三着、冬に二着与えられる仕事着だけだ。よほどくたびれた場合のみ、替えの服を与えられる。他にも髪紐や下着、日用品の類もすべて支給品だ。
食事は毎日、食堂にて与えられるため、自分で作る必要はない。
少し生まれの良い女官になれば、文とともに実家から荷物が届く。
妃の侍女なら、妃から下賜される服や装飾、あと点心も貰えよう。
そうなると何がないかといえば、店である。
なんの後ろ盾もなく、着の身着のまま入れられた小蘭にとって、私物を増やす機会は滅多になく、あるとしても、今の有様だ。他の女官たちが買い散らかしたあとで、自分の懐からなんとか手に入るものを探すしかない。
後宮では普段店がない。なんだか不思議な感じだ。
(医者もやぶ医者しかいないし、薬屋もないってことか)
それなのに、こんな大所帯で何か病気でもかかったら、広がってしまうようだが。
衛生管理はしっかりしている。女官の仕事に占める掃除の割合はおおく、その上、汚物の処理がうまくできている。堀に水があるのを利用して、汚物は流れるようになっている。そうしたら、堀が臭くなりそうなものだが、流れが止まることがないように設計されているため、匂いがこもることはない。
西方に伝わる水道技術を利用した建築だそうで、先帝の頃につくられた。
衛生面がちゃんとしていれば、それだけでだいぶ病の発生は防げる。重い病にかかった女官は年季を待たずとも、後宮から出られるようになっている。
(それでも、なんか引っ掛かるなあ)
猫猫はぼんやりと買い物を楽しむ女官たちを眺めながら思った。
翡翠宮に戻るとほっこりした顔の女官たちと目があった。
猫猫がさぼり、もとい開店休業中の間に、宮に商人たちが来たらしい。わざわざ天幕まで足を運ばなくとも、上級妃の元には直々に商人たちがやってくる。
後宮に足を入れるということもあって、商人たちは全員女性だ。それでも、万が一を考え、護衛役らしき宦官がいつもより多く配置されていた。
「帝が好きなものを選べっていってくれたのよ」
桜花がまるで自分のことのようにうれしそうに言った。玉葉妃の目の色のような美しい翡翠の首飾りが卓子の上に飾られていた。玻璃の杯や、螺鈿の飾り箱も置いてある。
よちよちと歩く鈴麗公主は、美しい絹の鞠を手に入れてご満悦のようだ。妃の服の他に、公主用の小さな着物も壁にずらりとかけられている。
「ちょっと、奮発しすぎたかしら?」
玉葉妃が小首を傾げていった。
「いいえ、もっと買ってもよかったのですよ」
侍女頭の紅娘が少し鼻息を荒くして言った。
「他のところは、もっと買っているでしょうから」
紅娘は一応おさえた言い方をしたが、猫猫には易々と想像できた。
水晶宮では梨花妃の口だけ達者な侍女たちが派手に買い物をするだろう。梨花妃はなんだかんだで懐が大きいので、買うに決まっている。
金剛宮では里樹妃をおだてて自分の好きなものでも買わせたりするのだろうな、と。
柘榴宮だと、あれだけ派手好きな楼蘭妃だ、言わずもがな。
そう考えると、一部屋で入りきる買い物で終わる玉葉妃は、寵妃とはいえとても経済的だと猫猫は思う。
妃たちはそれぞれお給金をもらって妃という『職』についているわけだが、後宮内で着る衣服や調度は必要経費として落とされるわけだ。
妃は、上級、中級、下級含めて百人余り。国庫は大丈夫なのかあ、といらぬ心配をしてしまう猫猫だった。
「とりあえず、明日も新しいところがくるから、今日の分は片付けますよ」
紅娘が壁にかけられた衣装をどんどんとっていくので、猫猫はそれを受け取っていく。どれも手触りがよく、染色も美しい。
(はて?)
ふと、猫猫は気が付いた。いつも玉葉妃が好んで着る服とは少し系統が違う気がする。妃は、吊帯の長裙に大袖の上着を合わせるのを好むが、今回はしっかり袖のついた着物と胸のすぐ下で帯を締める裙が多い。
理由はわからなくもない。玉葉妃にとって、下腹を帯でしめる服装はそろそろきつくなる時期だ。
「……他にこの型以外の服はなかったのですか?」
「えっ? 流行だからって言ってたけど」
こればかりだったわよねえ、と顔を見合わせ、いぶかしむ侍女たち。
翡翠宮の侍女たちは、玉葉妃のことを考えた上で服を購入した。でも、普段ならもっと、違う意匠を選ぶのではなかろうか。
それを踏まえた上で、服を商人たちが持ってきたのだとすれば。
猫猫は考え過ぎだろうか。
(考え過ぎと思いたい)
わざとこの手の服ばかり選んで玉葉妃のもとに持ってきたのでは、などと考えるとなれば、とても嫌な予感がする。
そして、猫猫の予感はけっこう当たる。