十四、青薔薇前編(14.06.28改)
こうして、あっというまに半月が過ぎた。
寒さも薄れていき、春の芽吹きを感じるころである。布団を干しながら猫猫はここちよい太陽の光の誘惑に負けそうになっていたが、いかんいかんと首を振って仕事に励む。
やはり、充実した毎日だと日が経つのも早い。壬氏の棟にいたふた月間は、無駄に長かった気がするのに。
時折許された医局の薬棚に未練は残るが、それは今後、やぶ医者を使って後宮医局の改造を行えば問題なかろう。
書庫については、高順に頼めば、何かしら見繕ってきてくれる。
これでいつでも後宮の外に出られるのであれば、なおのことよかったがそれは贅沢な話である。後宮にいる以上、ほいほい外に出る真似はできない。
玉葉妃の妊娠はより確信を持ったものになった。
血の道は止まったままで、けだるさが続いている。体温もわずかに高いようであり、排せつの回数も増えたようだ。
鈴麗公主が、なぜか玉葉妃のお腹に顔を当ててはにっこり笑うさまをみて、もしかしてなにかがいると気付いているのかもしれない。
(わかるのか?)
ばいばいと玉葉妃のお腹に手を振って紅娘とともにお昼寝部屋へと移動する。
子どもとは不思議である。
よたよたと歩き回るようになった公主は、皇帝から賜った赤い履をはき、侍女たちを手間取らせるようになっていた。表情も豊かになり、柔らかい饅頭を上げるとにこりと笑って返す。女としての本能というのだろうか、翡翠宮の女官たちは子もいないのに公主を愛おしそうに育んでいる。
たまに紅娘が「私もそろそろ」とかなんとか言っているが猫猫も含め他の侍女たちはどう反応すればいいかわからない。焦っているように見えるが、責任感の強い侍女頭が結婚退職なんて真似ができるわけないだろう。たとえ、そんな縁談が持ちこまれたとしても皆、紅娘を無理やり引き止めることだろう。
彼女がいるからこそ、翡翠宮はこれだけの人数で成り立っているのである。
有能すぎるのも困りものだ。
猫猫は、特に用事もないときは公主の相手をするようになった。他の働き者の侍女たちが面倒見るより、毒見以外ろくに働いていないものが面倒をみるほうが効率よいからだ。
今日も猫猫は、鈴麗公主と遊んでいた。積木を組み立てては壊して遊ぶ公主。積木は、わざわざ軽い木材を使用して作らせたものである。
絵のついた書にも興味があるようだったので、猫猫は高順から借りてきてもらった書の絵をかきうつして下にその名前を書いて見せてやった。まだ数え二歳だが、慣れさせることでより早く覚えると聞いたことがあるので、やってみたのだが紅娘に取り上げられてしまった。
「普通の花を描きなさい」
と、庭の花を指さされた。
どうやら、いくらきれいだからといって毒茸の類はいけなかったらしい。
そんなこんなで毎日を過ごしていた。
そんなとき、久しぶりにあらわれた見目麗しき宦官は、厄介ごとを手土産にもっていた。
「青い薔薇ですか」
猫猫は、少しやつれたような宦官を見て言った。
「ああ、皆が興味を持ってね」
困った顔で頷く壬氏。こういう表情を女官たちは憂い顔も麗しいといって声を上げるのだ。そして、今現在、扉の隙間から三対の目がのぞいているが気にしないでおこう。それでもって、目を逆三角にした紅娘が器用に右手に二人左手に一人の耳を引っ張っていったが、これまた気にしない。
高順がそれを「鮮やかな手つきだ」と感心していたことは黙っておこう。
話は戻すとして。
「今度、その花を愛でようということになって」
なぜかそれを探す側になったという。
(また面倒くさいことを)
「私に探せと」
「何か知らないか?」
「私は薬屋ですが」
「なんとなくできそうだと思って」
なんとも情けないことを言う壬氏。
「それは言えてるわね」
ゆったりと長椅子に座っていた玉葉妃も尻馬にのる。隣では、公主がちびちびと果実水を飲んでいた。
どこのだれか知らないが、玉葉妃の侍女なら何か知っているのではと、言っていたらしい。なるほど、だから壬氏にお鉢が回ってきたわけだ。
(まさかやぶ医者じゃないだろうな?)
ありえなくもない。
あの気のいいおっさんは、他人を過大評価しすぎるきらいがある。面倒なことこの上ない。
薔薇の知識がまったくないというわけではない。花弁から得られる精油は美肌効果があるとして妓女たちが取り寄せていた。香の強い野薔薇の花びらを煮詰めて蒸留し、小遣い稼ぎに作ったこともある。
「昔、宮廷内で咲いていたらしい」
壬氏は腕を組みながら言った。
部屋の入口から、三人娘の折檻を終えた紅娘が新しい茶を用意して入ってくる。
「幻覚でしょう」
(あー、すねが痒い)
こんな時期に虫でもいるのかなと思う猫猫。
猫猫は卓子で足元が隠れていることをいいことにつま先で脛を掻く。
「言い出したのはひとりだが、聞けば複数の証言がでた」
壬氏がなんともいえない表情で言った。
「阿片は流行っていませんか?」
「んなもの回ってたら国が亡びるわ!」
思わず喋り方が変わり、玉葉妃と紅娘が目を丸くして顔を見合わせる。高順が眉間にしわを寄せ、こほんと咳払いをする。
壬氏は、一瞬むっとした表情になったが次の瞬間天女の笑みを浮かべた。それに訴えかけるような憂いをのせて猫猫を見る。
やはり、このきらきらしい顔を猫猫は苦手である。
あらあらと玉葉妃が面白そうにながめている。こちらとしては面白くない。
「無理なのか?」
(身をのりだしてくるな)
これ以上近づいてくるのも鬱陶しい。
ため息がでる。
「どのようにすればよろしいのですか?」
「来月の園遊会に欲しい」
春の園遊会である。
もう前の園遊会からそんなにたっているのか。
猫猫がしみじみ感慨にふけっていると、あることに気が付いた。
(ん? 来月?)
「壬氏さま、知っていますか?」
猫猫は、今度は反対の足を掻きながら言う。公主の肌に虫刺されあとをつくるわけにもいかないので虫よけの薬を作らねばならない。
「なにがだ?」
壬氏は首を傾げる。
やはり、わかっていない。
青い薔薇はあるわけない、だが、色が云々以前の問題である。
「薔薇が咲くのは、少なくともふた月以上先ですけど」
「……」
無言が知らなかったことを示していた。
(やっぱり)
なにやら、いやな感じがする。
困らせるために無理難題を押し付けるような。
「なんとか、断っておく」
「ひとつ聞いていいですか?」
肩を落とした壬氏がこちらを見る。
「もしかして、とある軍師から持ちかけられた話ではありませんか?」
この流れから考えるとそうなのかもしれない。
(どうりでさっきから痒いと思ったら)
なんとなくそんな雰囲気を察していたのだろう。猫猫の身体が名前も聞きたくないあの男に対して拒絶反応を見せていたらしい。
「ああ。らか……」
慌てて口をおさえる壬氏。
玉葉妃と紅娘が、不思議そうに首を傾げる。
いうまでもなく、あの男のことだった。
(仕方ない)
そうなれば、自分にも責任がある。
「できるかわかりませんが、やるだけやってみます」
「いいのか」
「はい。その点で、いくつか必要なものと場所があるのですが」
逃げているだけも腹立たしい。
どうせなら、にやけた片眼鏡をかち割ってやりたくなった。