5 部屋付
「不思議だよねえ、話に聞くと君は文字が読めないってことになってるんだけど」
「はい、卑賤の生まれでございまして。なにかの間違いでしょう」
(誰が教えるか)
とは、口が裂けても言わない。
しらばっくれる気満々である。
文字が読める、読めないで下女の扱いはそれぞれ違う。読めるほうが読めるほうで、読めないほうは読めないほうで役に立つのであるが、無知なふりをしていたほうが世の中立ち回り易いのである。
美しい宦官は壬氏と名乗った。
虫も殺さないような優美な笑みなのに、なにやら蠢くものを感じる。でなければ、こうして猫猫を窮地に立たせることはできまい。
壬氏は黙ってついてこいといった。
首を横に振れば、軽く首がとぶ使い捨ての端女は素直についていくしかなく、なにがこれから起こるのか、それをどううまく対処するのか思いをめぐらせていた。
こうして壬氏に連れて行かれる理由に思い当らないわけではなかったが、どうしてそれがばれたのか不思議だった。
妃に文を送ったことに。
わざとらしく壬氏の手には、布きれがあった。それには、汚いたどたどしい文字が書かれていることであろう。
字が書けることは誰にも黙っていたし、薬屋をしていて毒物に詳しいことも黙っている。いうまでもなく、筆跡でばれることはない。
周りを確認して置いてきたはずだが、誰かに見られていたということだろうか。
小柄でそばかすのある下女に目安をつけたのだ。
まず、先に文字が書けるものを集め、筆跡を集めたに違いない。字というものは崩して書いてもくせが残るものである。
その中に適合者がいないとなると、次は文字を書けないものを集める。
読める、読めないの判断は先ほどの通りである。
(なんて疑い深いんだ。ってか暇人すぎるだろ)
悪態をついているうちに目的地に到着した。
案の定、玉葉妃の住まう宮であった。
壬氏が扉を叩くと、凛とした声が短く「どうぞ」といった。
中に入ると赤い髪の美女が柔らかい巻き毛の赤子を愛おしそうに抱いていた。
赤子の頬は薔薇色で、母親譲りの色素の薄い肌をしている。
健康そのもので、半開きの口から可愛らしい寝息が聞こえる。
「かのものを連れてまいりました」
「お手数をかけました」
先ほどの崩れた口調ではない。
分をわきまえた言動である。
玉葉妃は壬氏とはまた違った温かい笑みを浮かべると、猫猫に頭を下げた。
猫猫は驚いて目を見開く。
「そのようなことをされる身分ではございません」
失礼のないように、言葉を選びながら述べる。
「いいえ。私の感謝はこれだけではありません。やや子の恩人ですもの」
「なにか勘違いなされているだけです。きっと人違いではありませんか」
冷や汗をかく。
丁寧に言ったところで否定ということに変わりない。
首ははねられたくないが、関わり合いにもなりたくない。長いものに巻かれたくないのである。
玉葉妃が少し困った顔をしたのに気付いた壬氏は、ぴらぴらと布きれを見せつける。
「これは下女の仕事着に使われる布だって知っていますか?」
「そういえば、似ていますね」
あくまでしらばっくれる。
無意味だとわかっていても。
「ええ、尚服に携わる下女用のものですね」
宮官は六つの尚に分けられる。衣服に携わるのが尚服で、洗濯係を主とする猫猫はそこに分けられる。
生成りの裳は、壬氏の持っている布と同じ色をしている。
裳の内側、ひだでうまく隠れている部分に、奇妙な縫い目があることも調べればわかることだろう。
つまり、証拠はその場にあるということだ。
壬氏が玉葉妃の前で無礼な真似をするとは思わないが、しないとも限らない。
覚悟を決めるしかなかった。
「私は何をすればよろしいのでしょうか?」
二人は顔を見合わせると、肯定の意味でとらえた。
どちらも、目がつぶれるほどの優しい笑みを浮かべる。
安らかな赤子の寝息が聞こえる中で、猫猫は消え去りそうな小さなため息をついた。
猫猫は翌日、ほとんど何もない荷物をまとめなくてはならなかった。
小蘭や同部屋のものは皆うらやましそうにしている。
どうして、そうなったのか追及してくる。
猫猫は乾いた笑みを浮かべはぐらかすしかなかった。
猫猫は、皇帝の寵妃の侍女となった。
まあ、いわゆる出世である。