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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編1
43/387

七、後宮授業(14.06.20改)

「一体、なにがおきているんでしょうか」

「わからんな」


 問いかける高順(ガオシュン)に、そっけなく壬氏(ジンシ)は答える。


 場所は、後宮内の講堂前。

 妃たる勤めを果たすべく、現在、上級妃たちが学んでいる。


 周りには、閉めだされた宦官やお付の女官たちが、壬氏と同じ表情(かお)をしている。

 秘密にされると気になるもので、扉に耳をそばだてるものさえいる。


 一体、なにが。


 好奇心を掻き立てられるひとつの理由に、なぜか講師がそばかす顔の若い女官であることがあげられた。


始まりは、十日前にさかのぼる。



〇●〇

 


短い休みを終え、猫猫が職場に戻ってくると、難しい顔の壬氏がいた。なにやら、深刻な面持ちで猫猫を見ている。


「新しい淑妃が来たことで、妃教育をしたいそうなんだが」

「そうですか」


 猫猫は、興味なさそうに答えると、床の拭き掃除を始める。下女の仕事を奪うかのように、親の仇かのように掃除をする。それが、壬氏の部屋付になってからの猫猫(マオマオ)の日課である。


 他に仕事もあるような気もするが、下女としての仕事ばかりやってきた猫猫にとって、正直なにをすればいいのか思いつかない。とりあえず掃除しておけばいいだろうの勢いでやっている。たまに壬氏が不満そうな顔をするが、何をしろと言われない限りする必要はないと猫猫は考えている。


 元々、壬氏の部屋には最低限の召使いしかおいておらず、猫猫などいなくても壬氏のばあやである水蓮すいれんがいれば事足りるくらいだ。

働き者のばあやの仕事を奪うのは悪い、足腰にきつい仕事はともかく、猫猫は自分の領分をわきまえて行動すべきだと思っている。


そんな猫猫に、視線を合わせるようにしゃがみこむ壬氏。手にはなにか巻き物を持っている。


「講師をしろとのことだ」

「へえ、誰ですか」

「おまえだ」


 猫猫は思わず目が据わったまま、壬氏を見た。直属の女官になったところで、冷めた塵芥(ちりあくた)を見るような目はやめるのは難しい。壬氏がそれを見て何とも言えない表情をする。


「ご冗談を」

「なにが冗談だ」


 壬氏が手に持った書を猫猫に見せる。

 猫猫が目を細めて見ると、なかなか自分にとって都合の悪いことが書かれていた。


「おい、目をそらすな」

「なんのことでしょうか」

「今、しっかり見ただろ」

「気のせいではないですか」


 壬氏は書を広げ、猫猫にとって都合の悪い部分を指さした。ぐいぐいっと押し付けてくる。かなり煩い。


「ここに、推薦人の名前が書いてあるだろ」

「……」


 壬氏が指をさした先には『賢妃 梨花(リファ)』と書かれてあった。


やっちまったなあ、と猫猫は思った。






「知りませんよ」

 

 最初は、知らぬ存ぜぬを繰り返していた猫猫であったが、梨花妃に続き玉葉妃の署名が届いたら、流石に無視するわけにはいかなかった。赤毛の妃がにやにや楽しそうに笑っている姿が容易に想像できる。ご丁寧に褒賞の額も提示されていた。


 観念した猫猫は、ため息をつきつつも、実家に文を送ったり、前準備をする。実家と言っても薬屋のほうではなく、親同然に世話になっている妓楼のほうだ。


 数日後、届いた荷物とともに、必要経費を婆に請求された。かなりふっかけているな、と思ったが、猫猫はこっそり線を一本付け加えて壬氏に渡した。壬氏はいぶかしみながらも、こんなものかと見ていたが、ばあやが横から現れてにこにこと猫猫が提示した額を見て、壬氏からとると、猫猫に返した。


(やるな)


水蓮は壬氏の身の回りの世話をほとんど一人でこなしている。それだけの人間だということがわかる。

 世間知らずの坊ちゃんをかもにするのは難しそうだ。


仕方なく元の値段を見せると、渋りながらもなんとか納得してくれた。さすがにこれを値切られると猫猫が自腹を切る羽目になるのでやめてもらいたい。


 荷物を持ってこられると、猫猫は高順を押しのけ受け取る。壬氏がなんだか犬のようにそわそわと見ているが、猫猫は決して封を解かず、荷車を持ってきて運び出す。

手伝いましょうか、と来た高順を丁寧に拒絶して部屋へと持ちかえる。


壬氏が見せろと言ったが、かっと目を見開いたままじっと見つめると、無言で引き下がってくれた。


大事な教材は見せるわけにいかなかった。





そして、当日。


用意された講堂はかなり広く、三百人は入るだろうか。先帝の時代、後宮の女官の人数が急激に増えた際、部屋を準備できない下女たちを寝かせるのに使っていたということで、今はほとんど使われていない。もったいない限りだが、取り壊すのもさらに勿体ない。


(そんなに広くなくてもいいのに)


大したことは教えないのだが、わらわらと人が集まっているのはなぜだろう。遠巻きに、野次馬をする下女たちもたくさんいる。主に講堂の周りに集まっているのは、中級、下級妃とその取り巻きだった。

 どうやら今回の授業は、妃たちにとってそれなりに重要なことらしい。


「言っておくが、授業を受けるのは、上級妃のみだ」


壬氏の言葉を聞いて、がっかりするような、いやそれ以上にうっとりする妃に女官たち。


半分くらいは壬氏を見に来ただけのようで、声を聞くだけで満足してしなしなと柱によりかかるものもいる。あまりに芝居がかっていてわざとらしく見えるが、一人二人ではないので、そういうものなのかと思うことにする。


猫猫は時折、この宦官があやかしかなにかで、変な気でも放っているのではないかと思わなくもない。


 猫猫は時間になったので、講堂に入ろうとするが後ろから壬氏がついてくる。


 猫猫は思わず口を半開きにして、半眼で壬氏を見た。


「なんだ?」


 そういう壬氏を猫猫は背中を押して方向転換させると、講堂から押し出した。


「なぜだ?」

「ここから先は、他言無用の秘術ゆえ。私は、妃たちにと言われましたが、壬氏さままでは聞いておりません」


 と、戸を閉めるとつっかえ棒をした。


 ふうっと息を吐いて、講堂の中を見渡すと中にいるのは、猫猫合わせて九人。上級妃四人とそのお付が一人ずつだ。


戸の向こうではなんだかがやがやと騒がしい。壬氏を追い出した為だろう。なんとなく、誰かが戸に耳をそばだてている気がした。


猫猫は荷車を押しながら講堂の中央に立つと、ゆっくりと頭を下げた。


「今回、講師を承った猫猫と申します」


玉葉妃はあいかわらずお綺麗で、袖から小さく手を振っていた。それを玉葉妃お付の侍女である紅娘が半眼で見つめている。


梨花妃はほぼ前と変わらぬふくよかな体型に戻り、穏やかな顔で猫猫を見ている。付いてきた侍女が、猫猫を見るなり真っ青になったのはご愛嬌だ。


里樹妃は、相変わらずどこかおどおどしている。上級妃が自分の他に三人もいれば、気をつかうのだろう。付いてきた侍女は同じくおどおどしながらも、妃を守ろうとしていたのが妙に微笑ましい。


そして、最後の妃。 


猫猫は初めて見る顔だ。


先の上級妃阿多の後に入ってきたのは、猫猫と同い年の娘だった。新しい淑妃は楼蘭ロウランといい、黒々とした髪を頂点で結い上げ、南国の鳥の羽根を簪がわりに使っていた。服装からして南国の姫だろうかと思ったが、顔立ちは中央よりだ。お付の侍女も同じで、服装は単なる趣味なのだと猫猫は思った。


 妃になるというだけあって、それ相応に美しい顔立ちをしていたが、玉葉妃ほど艶やかでもなし、梨花妃ほど絢爛でもない。

 里樹妃と違い、年齢からして皇帝の御手付きになるのは決まっているが、今のところ、後宮の調和バランスを崩せる人材には見えなかった。


(どうでもいいか)


 猫猫は、自己紹介を簡単に終えると荷物の中から教本を取り出して、一冊ずつ妃たちに配る。

 妃たちがそれを受け取ると、各々、目を見開いたり、楽しそうに微笑んだり、顔を真っ赤にしたり、眉間にしわを寄せたりと反応した。


(うん、そうだろうね)


 猫猫はさらに道具を取り出してみる。何かしらと首を傾げるものが半分、使い道を知っているものがそのまた半分、なんとなく感づいて顔を赤らめているものが残りといった顔をする。


「これから、教えることに関しては女の園における秘術ゆえ、他言無用にお願いします」

 

 猫猫はそういうと、教材の三頁を開いてくださいと頼んだ。






 猫猫が授業を終えたのはそれから一時(二時間)あとのことだった。


(ちょっと押し込み過ぎたかな)


教えた猫猫も少しげんなりしている。だらだらと歩きながら、講堂の戸のつっかえ棒をとる。


「……長かったな」


悠然とした雰囲気で麗しの宦官殿が入ってきた。少しご機嫌斜めな様子で、なぜか左耳と頬を真っ赤にしていた。こいつ、聞き耳立てていたな、と言わないだけ猫猫は親切だ。


壬氏は、講堂に入るなり唖然とした顔になった。


「どうしましたか?」

「むしろこっちが聞きたいわ」


 壬氏がじっとりした目で猫猫を見た。


「そう言われましても」


 猫猫は、言われた通りに後宮における妃にとって必要な知識を教えたに過ぎない。その教わった妃たちであるが、反応は以下の通りである。


玉葉(ギョクヨウ)妃は、うきうきした顔で「まんねり離脱」と、はしゃいでいる。侍女頭の紅娘(ホンニャン)は、いつものごとく疲れた顔で付き従っている。時々、猫猫を睨んでいるような気もするが気にしない。

梨花妃は、顔をほんのり赤らめながらも、授業内容を反芻(はんすう)するように指を動かしている。なんだか満足した顔である。お付の侍女が顔を真っ赤にしてうつむいてぶるぶるしているところを見ると、いいところのお嬢さんだなあと猫猫は思った。


 里樹(リーシュ)妃は、講堂の隅で壁に額を打ち付けながら、「無理、ぜったい無理」と、青い顔でつぶやいていた。

 傍には、最近侍女頭になったばかりの女官が心配そうに背中をさすっている。確か、元毒見役の女だった。


 楼蘭(ロウラン)妃は、ぼんやりとした顔で虚空を眺めていた。何を考えているか猫猫にはよくわからない。


猫猫は荷物を片付け終えると、湯冷ましをもらって一息つく。疲れたが、あとから貰える金一封を楽しみにしておこう。


各々、妃たちは教材として持ち込まれた例の荷を持っていた。あるものは、大事に抱え込み、あるものはおぞましげにさわっている。どの荷にしても、風呂敷が丁寧にくるまれていて中をうかがうことはできない、そうするように頼んだ。


 それを壬氏他、講堂にいなかった者たちが不思議そうな目で見ている。


「なあ、どんな授業をやったんだ」


 壬氏がたずねると、猫猫は遠い目をして、


「後日、主上に感想をうかがってください」


と、答えた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 某温泉地の秘宝館に行った時のことを思い出しちゃいました。
[一言] 四十八手大全集の様なもんかな。
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