表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編1
42/388

六、ある武官の一日(13.03.10改)

 李白はたっぷりと重い財布を懐に入れ、花街へと続く道を歩いていた。先日、給料をもらってから最初の休みだ。武官である李白は宿舎にて泊まり込みで生活をしているが、休みの日はこうして街に繰り出している。向かう先は、大輪の薔薇の待つ妓楼である。


 今日の足取りはいつもよりずっと軽やかだ。先ほど、知り合いの女官に会ったためだ。猫猫という器量の悪い娘だが、その伝手は意外にも広い。大輪の薔薇こと白鈴を小姐と呼ぶほど仲がよいのだ。猫猫は小さな風呂敷を持って門をくぐるところだった。久しぶりに休みをもらい、花街にある家に帰るところだという。そうなれば、姉貴分に挨拶するのは必至で、緑青館の玄関ロビーで茶会でも始めるかもしれない。


 普段、緑青館に通っていても、禿かむろと茶を飲むだけでほとんど終わる李白にとって、花のかんばせを見るいい機会である。つまり、猫猫をだしに白鈴と会おうという魂胆であった。

 

 そういうわけで向かったはよいが、まだ太陽は南中したばかりだ。花街は日が隠れるころにようやく客人を入れる。昼店はやっているかもしれないが、白鈴は夜型であり起きだしても夕方近くだと禿の一人から聞いたことがある。行ったところで、時間が早すぎる。


「しゃあねえか」

 

 李白は近くにある飯屋で時間を潰すことにした。






「お客さん、なんにします?」

 

 蓮っ葉な印象の娘が馴れ馴れしく声をかけてきた。給仕ウエイトレスのように振舞っているが、その視線は李白を値踏むようにみている。店内は広いが薄暗く客はまばらである。客同士こそこそ話していたり、給仕とやたらべたべたしている客もいる。


 李白は少し入る店を間違えたな、と思った。

 場所は、花街より少し離れているが、そういう機能がある店らしい。一階は飯屋だが、二階は宿であり、給仕が客人を部屋に案内してそのまま戻らない仕組みである、そういう店なのだ。

 正直、表ざたにできる店ではない。


 やっていることは花街の妓楼も同じであるが、問題は公的に認められた店かそうでないかというものだ。飯だけを売るより、花を売った方がいうまでもなく収入は大きくなる。そうなれば、かかってくる税率もかわってくるためだ。


 もし、李白が頭の固い人間であれば、脱税の証拠をつきつけて手柄にすることだろう。だが、李白はそういう型の人間ではなく、隣の席の者が食べている料理が美味そうだったのでそれを頼むだけだった。出世のためには、そういうことが必要だとわかっているが、李白にはそこまで頭がない。腕っぷしでいく性格であり、下手につついたところで、この管轄の官に睨まれでもしたら面倒くさい。やるとすれば、正義感のある知り合いの文官に酒呑みついでに愚痴るくらいだろう。


 給仕は、李白がただ飯を食いに来ただけと理解すると、しなを作っていた姿勢を正し、ぱたぱたと厨房へと戻った。こういう場所の女となるとやはり切り替えが早い。


 李白は卓子テーブルに足をおくと、ちらりと周りの様子を眺めた。客は給仕といちゃついている二人組、客同士話をしている三人組、あと隣の席で飯を食らっている二人組、そして李白だけであった。


 おや、と李白は三人組の卓子に目がいった。三人のうち一人が卓子をこつこつと、叩いていた。その指先には、小さな紙が置いてある。給仕の一人が酒のおかわりを持ってやってくると、空の酒瓶を持って下がっていく。すると置いてあった紙きれはなくなっていた。


 なるほどねえ、と李白は思った。


 やましい店にはやはりやましいものが集まっている。ここでは飯や花の他に、情報も売っているようだ。話をしている三人組に耳を傾ける。


「最近、売れ行きはどうだい?」

「まあ、変わりないね。ただ、麻の値が少し高いくらいかな」


 ごくごく普通の商人の会話だ。そこに怪しげなものはない。それだけで済ませておけばいいが、つい癖で聞いてしまう。会話の中に隠語はないか探ってしまう。

 今の世は悪くない時代であると李白は思うが、それでも不平を言うものはいる。先日の倉の爆発騒ぎも誰かがやったものであるかという憶測さえ流れていた。結局、火事の原因は倉庫番の煙草の不始末という結果になった。


 そういや、と李白は懐からあるものを取り出した。先ほど、会った猫猫から渡されたものである。象牙細工を使った煙管だ。器用なあの女官は、倉庫番のものだろうと、細工を磨いて綺麗にしたのだ。新しい柄をつければ、また同じように使えるからと。


「別に返さなくてもいいのんな、売りゃあ金になるのに」


 などと言いつつ、李白はすでに倉庫係から持ち主の家を聞いている。自分でもお人よしだと思いつつ、そういう性格なので仕方がない、他人のことは言えない。飯を食い終えたら、行ってみようかと考える。

 

「にしてもよくできているな」

 

 象牙は遠い異国の生き物の牙である。勿論、庶民が簡単に手に入るものではない。そんな大切なものが無くなっていれば、きっと探しているだろう。


「はい、お客さん、お待ち」


 給仕が温かい粥を持ってきた。具だくさんの粥は鶏の出汁がよくでており、野菜とほぐし身がまんべんなく混ざっていて旨そうだ。他に鶏の手羽先を揚げたもの、野菜と木の実と豚肉を炒めたものと、匂いで料理が当たりだとわかる品である。


「うまそうだな」

「ええ、すごく元気になれますよ」


 蓮っ葉な笑みを浮かべて給仕が片目を瞑って見せる。どうやら誘惑されているようだ。以前なら、肉付きも悪くなく顔立ちも悪くないこの娘に食指が動いたかもしれないが、今は違う。蓮の花の上に寝そべるような現とは思えぬ女性と出会ってしまったため、李白の理想は突き抜けて高いものとなってしまった。あの極楽を味わった今、そんじょそこらの女では満足いくこともできない。

 

「じゃあいただくよ」

 

 李白が何の反応も見せずに飯を食い始めたところを見ると、また愛想を悪くして戻っていく。今日、まだあの女は客がとれていないらしく、今度は隣の席の二人組にうつる。

 あちらは、小太りの男が二人で、一人はやたら不健康な顔をしていた。目にくまがあり、顔はむくんでいる。食事はとらず、茶ばかり飲んでいる。うまそうな料理はもう一人の男がすべて平らげていた。


 こんなうまい飯を食わないのはもったいない、と李白は思いつつ箸をすすめる。


 まもなく先客の三人組の男たちは勘定を済ませた。李白は匙を舐めながら、勘定の額が酒の量に比べて多いことに気が付くが何をしようとは思わない。ただ、横目で顔だけはしっかり覚えておいた。

 

 そして、三人組が帰ってまもなく飯を食っていた二人組も店をでた。

 客をとりそこねた給仕は面倒くさそうに李白を見ている。早く食べ終わって片付けをしたいところらしい。






「一体なんだよ、こりゃ」


 李白は鼻息を荒くしながら、道を歩く。先ほど、食事を終えたあと、煙管を届けにいったのだ。すると、どうだろうか、でてきたのは酒臭い無精ひげの元倉庫番だ。象牙の煙管を見せた途端、「そんなもんいらねえ、勝手に捨てな」と言い放った。


 李白の今の格好は官服でもない普段着だ。白鈴に会いに行くため、最低限の身だしなみには気をつけているが、官位を示す玉も帯もつけていないため、元倉庫番はただの使い走りと認識したようである。ぞんざいな体であしらわれた。


 大切なものじゃないのか、と確認すると、「知るか、それは貰いもんだ、くれるから貰ってやったのに、全然、使いづらい、まともに火もつきやしねえ」とのこと。李白は首を傾げてしまった。

 象牙の品をほいほいやる輩がどこにいるだろうか。それもこの煙管の価値もわからない人間に。

 

 李白が少し勿体ないと思いつつ、煙管が象牙でできていることを説明すると、「はあ? そりゃ冗談だろ」と、鼻で笑われた。貰った相手がただの女官だったためだ、いらないからいるか、と簡単にくれたという。洒落たつくりで物も悪くなかったので素直に貰ったらしい。

 

 この元倉庫番の話を聞いていると、なにか引っ掛かる点があった。

 妙にこの煙管を毛嫌いしているようだが、どうやらこの男がこの煙管に火をつけようとしていて倉庫に火が付いたものと予想された。おかげで、命はあるものの全身に火傷があり、倉庫番も首になっている。


 李白は象牙の煙管を男に渡すつもりでいたが、男がいらないというので渡さないことにした。

 気になることは調べておきたかった。


 なぜに、女官が、と李白は首を傾げる。


 貰った煙管、くれた女官、倉庫番、穀物倉庫、そして爆発騒ぎ。

 解決したはずの事件に、新たにきな臭いものを感じつつ、李白は花街へと向かう。ちょっと近道をするため、大通りには出ず、寂れた路地を歩いていく。花街は南にあるのだから、まっすぐ南に向かって歩いていけば早いはずだ。


 そんな中、狭い路地に足音が響いた。李白は耳がいい、酒場の違う席の話を聞き取れるほどに、銭の音でどれだけ客人が金を支払ったかわかる程度に。上には何度も「お前は犬か?」と言われるほどに。


 数は五人、三人が前、後ろに二人といったところか。家一軒向こうの路地から聞こえてくる。街中で走る人間がいるとすれば、金貸しに追われているか、それとも野良犬に追われているか、あまりろくでもない理由しかない。


 思わず目の前の塀を上り、民家を通り抜けてしまう。荒れた家はもう何年も人が住んでいないようで入ったところで文句は言われまい。そっと塀の隙間からのぞきこんでみる。


 そこには見覚えのある顔があった。先ほど、酒場で飯を食らっていた客たちである。壁に追い詰められた三人組は飯屋で情報を買っていた輩で、残りは飯を食べていた小太りの二人組である。


 二人組が三人組を追い詰める。人数的には反対だろうが、それは李白には理解できた。二人組、体型から考えつかないほど俊敏な動きをしていた。病的な顔をした男もそうであるが、もう一人、これといった特徴のない男は、逃げていた男の一人の襟を巧みに締め上げている。耳元でぼそぼそと話すが、さすがにそこまで李白の耳には聞こえなかった。


 やばいところに出くわしたな、と李白は思った。顔を出すのをやめて、塀に背中を預け静かに目を瞑る。気配を殺して、耳にだけ集中する。

 断片的に「誰の差し金だ」、「他には……」、と月並みな尋問が聞こえてきた。もう一人の顔色の悪い男が、残り二人を見張っているらしい。壁に張り付いている二人が妙な動きをするたびに、ちゃきっと金属音が聞こえてくる。


 李白にはどういう状況かわからない、こういう場合、何もしないほうが無難だろう。こうして人気のない場所で追いかけっこをして尋問しているのならば、互いに腹黒いところがあると言える。どちらが正しいのか、正しくないのか、それともどちらも正しくないのかわからない。きれいなお姐ちゃんがからまれているならともかく、野郎が野郎にからまれているところを見ても、助ける気はない。


 さすがに殺しにまで向かうのであれば手を出さないといけないが、その必要はなさそうだ。尋問を終えた小太りの男が何もないと、もう一人の男に話しかけている。


「じゃあ帰ろうか」


 何事もなかったかのように二人組が帰ろうとしたとき、一人が足を止めた。ちょうど李白とは塀一枚隔てて横である。


 どすっという音がして、李白の顔のすぐ横に刃物が突き刺さる。


「どうした?」

「いや、なんかいたような気がしたが」


 気のせいだったようだ、としわがれた声が聞こえてきた。まるで風邪でもひいたような声は、あの目にくまのある男のものだった。なぜだろう、どこかで聞き覚えがあるような気がしないでもない。しかし、思い出せそうで思い出せない。


 李白は心の臓の上に手を置き、脈拍がおさまるのを待った。


 二人組が去っていき、残った三人組もいなくなったところでようやく大きく息を吐く。汗ばんだ頭をかき上げてため息をついた。喧嘩に混じるならともかく息をひそめてじっとしているのは性に合わない。それでも、野生動物並の息の殺し方だと剣の師匠には褒められたことが自慢であった。なにげに気づかれかけたことに衝撃を受けている。


「なんだよ、あいつはよ」


 なんだか疲れた、と思いつつ、腰を上げ尻についた砂埃をはらった。


 空は紅に染まり、夜の蝶が羽ばたきはじめる時間である。美しい妓女は、客が湿気た顔をするのを良しとしないだろう。李白は自分の頬を両手でぱちんと叩く。気分を変えて、麗しい大輪の薔薇に会わねばならなかった。

 仕事は仕事、遊びは遊び、うまく切り替えることは大切である。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] かっこいい回でした。 [気になる点] この回の伏線はいつ回収されるのでしょうか。 [一言] 気になります。
[一言] 何だかんだで、アニメから入って、漫画を経てここに至りますが。この会は、原作が際立って良いですね
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ