表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
宮廷編1
40/389

四、退屈(13.01.30改)


(冬場はやっぱ少ないなあ)

 

 猫猫は、自室で胡坐をかき、腕を組んで唸っていた。昼間、仕事の合間にかき集めた植物は微々たるもので、調合するにはまだまだ足りない。仕方ないのできれいに洗い水気を拭いて部屋の壁につるしておく。


宮廷に来てから毎日そんなことをやっているものだから、猫猫の部屋はかなり怪しげなものへと変わっていた。住み込みの下女に与えられる部屋にしては立派な作りだと思うが、やはり狭いものは狭い。後宮で与えられていた部屋と変わらないくらいの大きさだ。それでも、翡翠宮では許可をとれば炊事場は使わせてもらえたし、材料も豊富だったためすぐ調合できたので今の部屋ほどかさばっていなかった。


(さてどうしよう)


 猫猫は慣れたものだが、この部屋はかなり臭いらしい。そりゃあ、良薬口に苦しという言葉があるくらいなので、薬草には苦味や臭みが強いものが多い。猫猫の部屋の両隣は、現在空室だからよいものの、部屋の前を通る下女があからさまに速足でいくのを見ると、そういうことなのだろう。そのうちとやかく言われるだろうな、と猫猫は今までの経験でわかっていた。


(なんかいい場所空いてないかな)


 これではゆっくりと調合もできなくなる。せっかくいただいた美しいきのこが台無しになる。

 猫猫は行李こうりの上に大事に置いた桐箱を眺める。絹紐で封されたそれは、虫が種となり生えてくる草であった。

 猫猫はそれを見ると、思わず頬がほころびるのを感じた。にやにやと不気味に顔が痙攣してしまう。


(いかんいかん)


 先日、そのまま声をあげてしまい、二つ隣の部屋の住人から扉を蹴られて抗議を受けたのだった。真夜中に奇声を発するな、眠れないとのことだ。

 猫猫はゆるんだ頬を指先でほぐすと、寝台の上に寝そべった。下女の仕事は朝早い。鶏の鳴く前に起きなくてはならない。仕えるかたは、大事なものはなくなったとはいえ、麗しく貴きかたである。ご機嫌をそこねてはいけない。

 薄い上掛けに、何枚も衣服を重ねて、猫猫は目蓋を閉じた。






「今の部屋は手狭ではないか?」

 

 朝粥を食みながら、麗しき宦官は言った。壬氏の言葉に猫猫は瞬きを一回だけする。


「下女風情には十分な作りのものを与えられております」


 本音は「ええ、狭いです。できれば、井戸に隣接した竈のある部屋に移り住みたいところです」とは言えない。猫猫とてそれくらいわかっている。


「本当か?」

「……」


 まだ、起きてまもない宦官は、少し着崩した格好のまま朝餉を楽しんでいる。簡単に束ねただけの乱れた髪は、無駄な色気を醸し出している。

 猫猫は、この宦官の部屋に自分の他、高順ガオシュンともう一人、初老の女官しか入らない理由がよくわかる。女ならば色気に当てられてのぼせるものが殺到し、男なら性別の垣根など無視して押し倒していることだろう。実に罪深い性質を持つお方である。


(なんか発情期の虫みたいだ)


 虫の雌には、雄を引き寄せるために不思議な匂いを発するものがいる。それに誘われて、一匹の雌に対し、数十、数百の雄が群がることがある。猫猫も、薬の材料となる虫を集めるため、その性質を利用して捕まえたことがあった。

 そう考えると、実に興味深い性質かもしれない。


(匂いを集めて香にできれば売れるかも)


 そんな風に、惚れ薬の原材料もとい壬氏を見てしまった。他の事を考えると、意識がかなたにとんでしまうのは悪い癖だ。そのせいで、よく周りの話についていけないことは多々ある。話は聞いていないのに、首だけは聞いている風に縦に振っているからさらにややこしい。


「おまえがよければ、新しい部屋を用意させよう」


(は?)


 なんだか満足な顔をした壬氏が粥のおかわりを初老の女官こと水蓮すいれんに頼んでいる。水蓮は穏やかな顔のまま、新しい椀に粥をつぎ、酢をかけて渡した。


 よくわからないがもっといい部屋を用意してくれるのであろうか、と猫猫が納得していると、頭をかかえる高順と目が合った。常にお疲れ気味の苦労人は、何かしら猫猫に言いたいことがあるようだったが、猫猫は眉を歪めるだけだった。


(言いたいことははっきり言ってくれないとわからないのに)


 猫猫はそう思ったが、自分も同じように言葉が足りない部分が多いのでなんとも言えなかった。


 


  


「あなたが来てくれて助かるわ。正直、冬場は関節が痛むもの。年って嫌よね」


 水蓮は朗らかに笑いながら猫猫に言った。たしかに、広い壬氏の棟に女官が一人で働いているとあれば、過剰労働だろう。しかも、五十路をこえれば身体のあちこちにがたがくる。人の寿命は百年生きるものもいれば生まれてすぐ死ぬものもいる。五十生きれば十分だ、というのが一般的な考えだろう。


「何度か新しい子を入れたことはあったんだけど。まあ、いろいろあって続かないのよね。その点、小猫シャオマオなら大丈夫そうね」


 高順が猫猫のことをそう呼んでいるため、この気のいい女官も同じように呼んでいる。

 口は良く回るが、熟練の女官は仕事も早く、動く手も止まらない。銀製の食器は瞬く間に磨き抜かれていく。それが終わると、次は床掃除だ。どうみても下女の仕事なので猫猫が止めに入ると、


「たぶん、それじゃあお昼からのお仕事には間に合わないわよ」


 とのことだ。以前入れていた下女や女官があることをやらかしてから、部屋の掃除はすべて水蓮がやっているという。


(窃盗か?)


たぶん、金銭目的の窃盗ではないことは、猫猫にも容易に想像できた。

 だが、水蓮曰く、ときに物が減ることだけでなく増えることもあったという。


「さすがに、見たこともない下着が入っていたら誰だって嫌よね」


 しかも、それは糸ではなく人毛で縫い付けられていたそうだ。

 斜め上の答えに、猫猫は鳥肌を立ててしまった。


「大変ですね」

「ええ、大変よ」


 猫猫はせっせと窓の桟を拭きながら、もういっそお面でもかぶって生きていけばいいのに、と思うのだった。






 壬氏の私室の掃除を終えて遅い食事を終えると、次は執務室の掃除である。正直、執務室は実に簡素な造りであるため掃除は簡単だったりする。だが、お偉いさんの前で雑巾をかけるわけにもいかないので、その点は周りに気をつけてやらなくてはいけないのが大変だ。なので、壬氏が後宮や他の官のところに行っているときを狙って掃除をすることが多い。それ以外の時間は、雑用をやることで時間を潰している。


(今日は何をしようかな)


 壬氏の執務室には来客がいるため、猫猫は暇だったりする。そういうときは、仕事のあるふりをして宮廷内を散策することが多い。


(西側は大体網羅したよな)


 猫猫の頭の中で地図が広がる。できれば、東側を回りたかったが、なんとなくためらってしまう。東側には軍部があるのだ。武官の多いそちら方面に、下女がこそこそと草むしりをするのはどうであろうか。密偵スパイと間違われて拘束されやしないか、と考える。


(それに、軍部といえば……)


 猫猫は思わず顔の筋肉がすべてひきつった表情を浮かべてしまった。それだけ嫌な理由があるのだが、一方でまだ散策していない場所に珍しい薬草があるかもしれないという期待もある。

 腕を組んで唸っていると、後頭部に衝撃を感じた。


(なに?)


 後頭部をおさえ、怪訝な顔で振り返ると、涼しげな表情をした背の高い女官がいた。端正な顔立ちをした異国風の女官である。

 

(なんか見たことあるなあ)


 猫猫は数日前にからまれた女官たちの顔を思い出した。その中にいた一人だ。

 最低限の化粧しかしていないが、眉をきっちり描いているのが特徴だ。たっぷりと豊かな唇をしているのに、紅を線のように細く引いている。


(もったいないけど、懸命な化粧だな)


 骨格も素材も上等の一品だが、化粧で垢抜けきれないものになっている。もし、眉をもっと薄く柔らかくして、唇に淡い紅をたっぷり引き、髪を派手に結い上げたら、後宮の花の一つとして数えられる逸品になるだろう。小汚い小娘が、夜の蝶となる姿を見続けてきた猫猫の審美眼だからこそそれを見ぬけるのであって、宮廷にいるほとんどの人間が彼女をそんな美女になる素材だとは思うまい。


 だからこそ、先日、女官たちが徒党を組んで猫猫の前に現れた中にいたわけである。美しい女官は早々と有能な武官、文官たちに見初められて嫁いでいくか、それとも、同じ女官たちにいびられるかどちらかであろう。稀に、器用に生きていく女もいるが、それは女官というより妓女の資質の高い女である。


(けっこうな狐か、この女?)


 女官は下女に話しかける口もない、と言わんばかりに通り過ぎていく。こんなところで油を売るな、という意思表示だろうか。かすかに通りかかる際、白檀の香りがした。

 猫猫はぽかんとして、女官の背中を見た。そして、彼女がやってきた方向を見る。


(武官のお付なのか?)


 女官は軍部の門のほうからやってきていた。たしかに、軍部に出入りするなら、地味な化粧のほうが賢明である。花街の路地裏ほどでないにしろ、血気盛んな武官の周りに絶世の美女が歩き回るのは避けたほうがいい。


(今日はやめとくか)


 猫猫は回れ右をすると、壬氏の執務室へと戻ることにした。興をそがれた猫猫は、早く執務室の主人がお出かけしていればいいと思った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ