三、煙管(13.01.06改)
(暇人だとずっと思っていたけど)
それほどかの貴人こと壬氏は暇ではなかったらしい。むしろ忙しいほうなのだな、と猫猫は思った。後宮の仕事だけかと思いきや、他の仕事もやっているようである。
猫猫の仕事は、午前中は壬氏の執務室の雑用、午後は宮廷にある壬氏の私室の雑用になる。私室とはいえ、大きさは棟といってよいもので、贅をこらした庭園が飾り窓からよく見える。猫猫の他にも、下女が一人、五十路をとうにこえた者がいる。若い女も若い男もはべらしていないので最初は首を傾げたが、よくよく考えると金を払ってまではべらさずとも向こうからやってくるので雇うだけ無駄だろう。むしろ、若いものを雇ったところで、雇い主があれだけの美丈夫なら惚けて仕事にならないのかもしれない。
壬氏が気難しい顔で書類をにらんでいる。猫猫は部屋の隅で反古になった紙をかき集める。上質の紙には、くだらない案が書かれており見る価値なしと芥になったものである。たとえどんなにくだらない法案であろうとも、反古となった紙を再生するわけにはいかず、燃やしにいかなくてはならない。
(売れば小遣い稼ぎになるんだけどな)
悪いことを考えつつも、仕事だと言い聞かせて燃やしに行く。壬氏の執務室を出て、広大な宮廷内の隅、軍部の訓練場や蔵があるところだ。そこにごみ焼き場があるので燃やすのだ。
(軍部ねえ)
正直あんまり行きたくないのだけれど行かなくてはならない。お仕事と割り切って腰を上げると、肩に何かがかかった。
「外は寒いので、これを着てください。下女用のものですが」
まめで気がきく高順が猫猫に綿入れを一枚かけてくれた。外は小雪がちらついており、木枯らしの音が聞こえた。火鉢をいくつも置いた暖かい部屋にいると忘れがちだが、まだ年をこえてひと月もたっていない。一年で一番寒い季節である。
「ありがとうございます」
本当にありがたい。宦官にしておくには勿体ない人物だ。下女用ともあって、粗末な作りであるがそれでも一枚羽織るのと羽織らないのとでは随分寒さは違う。生成りの袖に手を通していると、それを壬氏がじっと見ている。いや、見ているというよりにらんでいる。
(何か気に食わないことでもしたっけ?)
猫猫が首を傾げていたが、どうやらにらんでいるのは猫猫ではなく高順みたいだ。高順は、視線に気が付いたのか、肩をびくりとさせる。
「……これは、壬氏さまからのものですので。私はただ、渡しただけにすぎませんので」
高順がなぜか身振り手振りを加えながら言った。なぜか言い訳がましく聞こえてくる。
(勝手なことをするなということかな?)
高順も大変である。
「そうですか」
猫猫は、一応壬氏に礼を言うと、反古の入った籠を持ってごみ捨て場へと向かった。
(おやじ、こちらにも植えときゃよかったのに)
猫猫はため息をつく。
後宮内では、おやじどのこと羅門が移植した薬草がたくさんあった。のんびりとした苦労人であるが、けっこう好き勝手に後宮内の植生をかえていた。
宮廷内は、後宮の何倍の広さもあるのに、材料にできる薬草はあまりない。見つけることができたのは、蒲公英、蓬といったどこにでもあるものくらいだ。あと曼珠沙華も見つけた。あの球根を水にさらして食べるのが好きである。ただ、球根には毒があるので毒抜きが上手くできないと、すぐ腹を壊すが。
(こんなもんかな)
冬場であるため見つけにくいこともあるが、それでも期待は薄かろう。こっそり、今度種でも植えておこうと考える。
ごみ捨て場へと歩いてるうちに、見覚えのある影を見つけた。
精悍な顔をした若い武官である。そう李白だ。帯の色から、出世したようである。
傍にいる部下らしき男たちとなにやら話している。
(がんばってるんだなあ)
休みのたびに緑青館にきては、禿相手に茶を飲んでいるらしい。もちろん、本命は白鈴小姐だが、彼女を呼ぶには平民の半年分の月収が必要である。
それでも、最高級妓女としてはかなり安いわけだが、その理由は軽いという一点にあげられる。希少価値がついてこその妓女である、つまみ食いが多ければそのぶん価値が下がるのだ。
哀れ天上の蜜の味を知った男は、高嶺の花の顔を帳の隙間からでも垣間見ようと通うのである。
出世したのも、花に近づこうとがんばっていることがうかがえる。まことに真面目な蜜蜂である。
憐憫の目が届いたのか、李白は猫猫のほうに手を振って走ってきた。まさに大型犬である。尻尾の代わりに巾からこぼれた髪が一房左右に揺れている。
「おう、今日は妃の付き添いかなんかか?」
猫猫が後宮を解雇されたことを知らない李白はそんなことを聞いてきた。
「いえ。後宮勤めから、とある御仁の部屋付になりましたので」
解雇の話は面倒なので、端折ってこのように伝える。
「部屋付?誰だ、そんな物好きは」
「ええ、物好きですよね」
大変失礼なことを言ってくれる李白だが、まあ、普通の反応であろう。すき好んでしみだらけの顔をした枯木のような娘を部屋付にはすまい。別にそばかす化粧を今更するつもりはなかったのだが、主人がいえば従うしかない。壬氏はなぜか、猫猫にいまだそばかす顔でいろ、というのである。
(一体、なにがやりたいんだ、あの男は)
「そういや、最近、高官がおまえんとこの妓女を身請けしたらしいな」
「そのようですね」
(そう思われても、仕方なかろう)
雇用契約が決まり、宮廷に行く際、張り切った小姐たちに全身を磨き上げられ、とっておきの衣装を着せられ、髪を結いあげられ、化粧をふんだんに施された。到底、新入り下女には見えなかったことだろう。
なぜか、おやじどのが子牛でも見送る目で見ていたのを覚えている。
宮廷内に妓女が入ることもおかしいが、さらに壬氏が目立つので、いやに注目され居心地が悪かった。すぐに服は着替えたが、それなりの人数に見られた。
(それにしても)
本人が目の前にいるのに、この男はまったく気づきもせず喋っている。さすが駄犬である。
「ところで、お取込み中のようでしたが、よろしいのですか?」
「ああ、ちょうど行き詰ってたんだ」
部下が近づいてくる。女日照りの安月給武官は、女官がいるのをみて嬉しそうにしていたが、猫猫を見ると明らかに落胆した顔をした。まったく、上司が上司なら部下も部下である。
「まったく原因がわからないんだ。まあ、この季節珍しくもないことだけどな」
話を察するに、昨晩、小火があったらしい。その原因を調べているということだ。
猫猫はなにかしら興味を覚え、小火騒ぎの倉庫に近づく。
「おい、あんまり近づくなよ」
「わかりました」
李白にそのように返事をしておきながら、猫猫は建物の周りをじっくり観察する。
(ふうん)
これが小火だとしたら、おかしな点がいくつかある。
本当に小火ですんでいるなら、なぜ李白ほどの高官が出向いているのだろうか。もっと、下っ端の役人で十分ではなかろうか。
また、小火というわりに、建物の破片が散らばっている。むしろ、爆発というのではなかろうか。けが人もでているのではなかろうか。
(組織的暴力の疑いありとみているわけか)
概ね平和な時代であるが、皆が不満を持たぬわけではない。異民族はたまに襲ってくるし、飢饉や干ばつもなきにしもあらず。特に、先帝の時代ならば、毎年行われる女官狩りによって、農村部の嫁不足が深刻になったこともあった。他にも、奴婢の廃止も行われた。これで商売が成り立っていた商人もいる。未だ恨むものも少なくなかろう。先の皇帝が現世からたたれてからまだ五年ほど。先の治世が記憶に残るものは多い。
「おい、なにやってんだ。近づくなって言っただろ」
「あっ、ちょっと気になりまして」
猫猫は、壊れた窓から中をみる。焼け焦げた荷が積まれていた。床に芋が転がっていることから、食糧庫だとうかがえる。芋がこんがりを通り過ぎて消し炭になっているので実にもったいない。
他に落ちているものは、と猫猫は床に転がった棒のようなものを拾う。
(象牙細工? 煙管なのか?)
「勝手にうろうろするな」
李白の言葉を無視するように、猫猫は腕を組む。頭の中で何かがつながった。
「話聞いているのか」
「聞こえてますよ」
聞こえているが、聞こうとしないだけである。自分で思うのもなんであるが、実に性質が悪い。
猫猫は、倉庫から離れると、反対側の倉庫のほうへと向かう。無事だった荷物はこちらに積まれているようだ。
「これ、もらっていいですか?」
猫猫は使われていない木箱を指さした。果実かなにかをいれておくためのものだろうか、しっかりと作られていた。
「いいんじゃないのか? んなもんどうすんだ?」
「あとで説明します、これももらいますね」
猫猫は木箱の蓋になりそうな板を見つけ出した。
「槌と鋸はありませんか? 釘も必要ですね」
「何する気なんだよ?」
「ちょっとした実験です」
「実験?」
李白は首を傾げながらも、好奇心のほうが上回ったらしく、協力してくれた。部下もなんだ、この女官と不満そうに見ていたが、上司も頭が上がらない様子を察し、用意してくれた。猫猫は真ん中に穴のあいた板を作り、それを空の木箱の蓋にして打ち付けた。
「妙に手馴れてるな」
のぞきこんでくる李白は玩具の球を見つけた犬のようだ。
「育ちが悪いものでして。ないものは作らねばなりません」
仕上げに焼けた倉庫のそばにある荷から、あるものを取り出すと木箱の中に入れた。
「すみません、火種ありますか」
猫猫が言うと、部下の一人が火のくすぶる荒縄を持ってくる。そのあいだに、猫猫は井戸から水を汲んで持ってくる。李白はわけがわからないまま、木箱の上に腰掛けて頬杖をついて見ている。
「ありがとうございます」
猫猫は火種を受け取ると、李白の部下に頭を下げる。部下もなんだかんだ言って、何をやるのか興味があるようで、少し離れた場所で座り込んで猫猫を見ている。
猫猫は火種を持ったまま、蓋をつけた木箱の前に立つが隣にはなぜか李白がいた。
「李白さま。危ないので離れていてはくれませんか」
「なにが危ないんだ? 嬢ちゃんがなにかやるんだろ。武官の俺が危ないものか」
随分、大きく胸を張るので、仕方ないとため息をつく。こういう型は、実際体験しなければわからないのだ。
「わかりました。危険なので重々気を付けてください。すぐ逃げてくださいね」
いぶかしむ李白を後目に、猫猫は近くにいた部下の袖をひっぱりこちらへ来いと誘導する。倉庫の裏から見ているように伝える。
戻ってきたところで、先ほどの木箱に火種を投げ入れると、頭を隠しながら走って行った。
箱から炎が噴き出し、激しく燃え上がった。
「うおぉぉぉ!」
燃え上がった火柱を李白は寸前で避ける。よけたのはいいが、揺れていた髪の一房に燃え移った。髪に火が付き慌てふためく李白に、猫猫はあらかじめ用意しておいた桶の水をぶっかける。髪の焦げるにおいと煙を残し、火は消えた。
「逃げてくださいって言ったのに」
これで危ないという意味がわかったか、と猫猫は李白を見る。
「……」
鼻水を垂らす李白に、急いで毛皮をかける部下。その目はなにか言いたげだが言い返せない様子である。
「倉庫番のかたに、倉庫で煙管はおやめくださいとお伝え願えますか」
猫猫はおそらく火事の原因であろう事柄を教える。憶測であるが、これが真実だといえる。
「ああ。わかった」
放心した顔で李白が答える。顔が真っ青だ、いくら身体を鍛えていても早く暖まらないと風邪をひいてしまうだろう。早く部屋に戻って暖をとればいいのに、李白は猫猫をじっと見ている。
「なにがどうなってるんだ?」
疑問符の浮かんだ顔は、猫猫にどうして爆発したのか聞いてきた。李白の部下たちも同じ顔をしている。
猫猫は、先ほど箱の中に入れたものの残りを取り出す。麻袋からでてくるのは白い粉で、さらさらと風にのって霧散していく。
「燃えやすい粉、小麦や蕎麦でも空中に舞うと、それに火がつくことがあるんです」
それが爆発するのだと、ただそれだけだった。知っていれば、誰だってわかる話だ。ただ、李白はそれを知らなかっただけに過ぎない。
「んなことよく知ってるな」
「ええ、よくやりましたので」
「よくやった?」
わけがわからないと、李白も部下も顔を見合わせる。それはそうだろう、狭い部屋の一室で粉まみれになりながら仕事をするなど、彼らには一生縁のない話だ。猫猫も緑青館で間借りしている部屋を吹っ飛ばして以来、気をつけるようになったくらいなのだから。
「風邪をひかぬよう気を付けてください。ひいたらひいたで花街の羅門という男の薬はよく効きますよ」
営業活動も忘れない。白鈴に会いに行くついでに買ってくれるかもしれない。おやじは商売っ気がないので、猫猫がこれくらいしてやらないと、飯をくいっぱぐれる可能性もある。
(思ったより、時間を食ったな)
猫猫は反古の入った籠を持つと、ごみ捨て場に向かった。すぐそばなのでさっさと下男に渡して帰らなくてはと思う。
(あっ、これ持ってきちゃったな)
猫猫は襟に先ほど拾った煙管の欠片が入っていたことに気が付く。少し焦げているがかなりの上等なもので、倉庫番程度が持つには立派過ぎた。
(もしかしたら大切なものなのかな)
細工部分をきれいにして、新しい吸い口をつければ元に戻るだろう。けが人はいたが死者はいないと聞くので、持ち主は怪我で療養しているに違いない。火事の原因になった忌むべきものかもしれないが、それを売ればそれなりの金にはなるだろう。たとえ、火事をおこした原因で解雇されようが、金になるのなら受け取るに違いない。
猫猫は、とりあえず煤で汚れた象牙細工を懐に入れなおした。今夜は夜なべしなくてはいけないな、と思いながら反古を下男に渡した。