二十四、彭侯(ほうこう)
猫猫が案内されたのは都の屋敷だった。誰の屋敷なのかはわからないが、薬の匂いがぷうんと漂う。
「ここはどこですか?」
「老医官のおうちですよぅ」
質素だが歴史を感じる屋敷だ。
「克用さんは腹を刺されましたが、意識もあり今はもりもりごはんを食べていますよぅ。元気そうなので都まで移ってもらったそうですねぇ」
雀が説明する。
腹を刺されたなら病人ばかりの疱瘡の村に置いておくことはできまい。聴取など考えると都にいてもらったほうが楽だろう。同時に疱瘡の耐性があるとはいえ、一度隔離はしておきたい気持ちはわかる。老医官も疱瘡の経験があるので、家族も疱瘡について理解があるのだろう。
「診療所には猫猫さんと妤さんがいたのでとりあえずこちらにはこんでもらいましたぁ」
猫猫は納得する。
老医官の家族や使用人は猫猫たちが通ると頭を下げて動かない。
(変に挨拶とかしないほうがいい雰囲気だ)
疱瘡関係者だと思われていたら、変に接触しないほうがいいだろう。
奥の部屋に向かう。
「この中です、どうぞぅ」
雀は部屋の前で止まる。
「雀さんは入らないのですか?」
「そうですねぇ、猫猫さんを殿方と二人きりにしたくはないのですけど、雀さんがいてもよいでしょうかぁ?」
「……」
雀は察しがいい。
今から猫猫が克用に話す内容についていっているのだろう。
「何かありましたらお知らせくださいましぃ。素早く優秀な雀さんが猫猫さんを救出に伺いますよぅ」
「よろしくお願いします」
猫猫は一人、部屋の中に入る。
中には寝台に横たわり、本を読んでいる克用がいた。
「やあ」
「やあ、じゃないから。刺されたって聞いたけど」
「うん、傷口見るー?」
「見せんでいい。大丈夫そうだな」
克用は相変わらずだ。
「さっき、克用を刺した人に会ってきた」
「あー、村長だったねー。ずいぶん人相が変わっていて最初わからなかったよー」
「克用のことを彭侯だって言ってた」
「ほうこう?」
克用は意味がわからないと首を傾げる。
「妖怪のことだよ。千年生きた木に寄生するあやかしだとかなんとかいう」
「へえ。それがなんで僕なんだろうねー」
克用は本当にわからないらしい。
猫猫も意味が分からないと思っていた。
「やまびこって知っているか?」
「それは知っているよ。山で声が返ってくることでしょー」
「それを木霊がかえるというのは知っているか?」
「うんうん、そうとも言うね」
克用はにこにこしながら会話を続ける。猫猫は克用のことを悪い奴ではないと思っている。最初に会ったのは船着き場だったろうか。
猫猫たち一行は克用を船に乗せてあげた。克用はお返しにと船酔いがひどい羅半に酔い止めをくれた記憶がある。
それから、次に会ったのはいつだったろうか。
左膳が心配だからと緑青館の薬屋を見てほしいと頼んだ。その時はしっかり金の支払いをすることで受けてくれた。
最近では、猫猫の紹介で医官まがいの仕事をするようになった。いい給料を支払ってもらっただけにそれだけいい仕事をしているようだ。
「妤たち家族とは関係は良好だったみたいだけど」
「うん、妤たちは僕にとてもよくしてくれた」
「だから、疱瘡にならぬよう種痘をしてやったし、いろんな医術も教えたと」
「うん」
克用は持っていた本を置く。医術関連の本のようだ。
「じゃあ、村長や他の不親切な村人に対してはどうだったんだ?」
猫猫は拳に力を入れていた。
「……できるだけ付き合わないようにしてたよー」
「嫌がらせをしてきたときは?」
克用は「うーん」と唸る。
「質問に答えなきゃだめかなー? 猫猫とは仲良くやっていきたいんだけどー」
猫猫の体が一瞬で粟だった。
「妤の村に疱瘡をばらまいたのは、克用か?」
「それは違うよー。でもね、僕がいなくなれば結果的に仕返しなんてする必要はなかったと思ったかなー。そして、村長が僕を追い出したのは事実」
克用は村人に何もしていない。何もしない仕返しを選んでいた。村長もまた息絶えるかと思いきや、村長は妤の家族以外に生き延びていた。
村長は運が良かったのではなく、元々疱瘡にかかった経験があったのかもしれない。猫猫が見た痘痕はずいぶん古いものに見えた。
やまびこ、木霊、彭侯。村長が克用をそう呼んだ理由がわかってきた。
(相手の好意には好意を、悪意には悪意を返している)
ただそれだけだ。山に向かって叫ぶと木霊が戻ってくるように。鏡のように相手の心を映し出して返しているに過ぎない。
(道理で交渉が上手いわけだ)
猫猫が克用を善人と見たのは、猫猫たちのふるまいが克用にとって好意的に見えたのだろう。
そうなると、猫猫の目には克用に悪意を持って接した人間がどうなったのか見えてくる。
「克用が疱瘡にかかったのは?」
「十年以上前だねー」
「じゃあ、妤たちに接種した疱瘡はどこから手に入れたんだ?」
疱瘡のかさぶたの感染力は高い。だが、せいぜい一年ほどのはずだ。
克用はにっこり笑い、顔半分を隠した布を外す。端正な顔には痘痕がびっしりついている。
「ここ、痘痕以外の傷跡もあるってわかる?」
「もしかしてへこんでるのか?」
「こん棒で殴られた。身ぐるみ剝がされた、盗賊だったよー」
声色は変わらない。いつも通りの明るい克用だ。
「春だったから助かったよー。夏でも冬でも死んでいたと思うねー。ふらふらしながら血止めの薬草探してさー。命からがら近くの村に助けを求めたわけよー。親切な人がいてさー、僕みたいなのを看病してくれたんだー。でもねー。他の村人は僕のことが気に食わなくて追い出そうとしていたー。そうだよねー、その中の一人が僕を襲った盗賊だったわけー」
軽快な克用の話はいつも通りひどいものだった。
「だから僕が邪魔で邪魔で仕方なかったんだよねー。僕が気付かないふりをしているから、気付く前にどうにか追い出そうとしている。滑稽で面白かったけど、口封じをしようとしたから、仕返しの一つくらいするよねー」
「どんな仕返しを?」
「苗床にしたんだー」
何の苗床に、それを聞き返すほど猫猫は察しが悪くない。種痘をやるにあたって危険性を減らすには、健康な肉体と看病できる環境が必要になる。
きっと苗床にはそんなものは必要ない。
「……温情は、と言いたいところだけど、初めにやったのは相手だったな」
「うん。僕が何を言おうと他の村人には聞いてもらえなかったはずだしー」
克用のやり方を完全に否定する気はない。ただ、克用の行動には制限がないように見えた。
「では、妤さんの村の村長へ仕返しをしたのか?」
「村長には刺されたほうだけどー」
「いや、したよな? でないと、あれだけ急激に村長が弱るわけがないだろう? たぶん、あと数日も持たない」
猫猫には疑問があった。さっき会った村長は死臭がするほど弱っていた。体が震え、呂律が回らず、幻覚を見ているようだった。
そんな人間が都から疱瘡の村まで移動し、克用を刺す体力があるように見えない。
毒を盛られたようにしか思えなかった。
「村長は呪いと称して妙な香や薬も作っていたよー」
「麦角か?」
「正解。なんでわかったのー?」
「村長の指先が壊死しかかっていた」
麦角か別の毒か、克用がどちらを投与したのかわからない。
「刺したのが先だよー。僕はだから持っていた毒を口につっこんでやったんだー。村にいたとき何度も盛られたからね。やられたらやり返さなきゃだめだよ、って弟が言っていたんだー」
「弟?」
「弟。双子の僕を置いて死んじゃった弟」
前に聞いたことがある気がする。
「実験のために別々の種痘をうたれたんだっけ?」
「うん、僕には人間の疱瘡の膿を、弟には家畜の膿を。弟は弱い毒だったから問題なく、僕はこの通り重症化して生死をさまよったんだー」
克用は右頬の痘痕を撫でる。
「師匠は僕たちを育てた優秀な医者で、でも臆病で、僕たちに種痘の実験を試さないと自分で試すような人じゃなかった。すごいんだよ、何年も疱瘡の研究をしていたのに、当人は疱瘡にかかったことがなかったんだ」
「危ない仕事は全部弟子にやらせていたんだろ」
猫猫はそっけなく言った。
克用はおかしな奴だ。本人に善意も悪意もない。ただ、鏡に映るように相手の行動を返している。
どれも明るい声で話すのに、弟の話だけは少しだけ湿っぽく聞こえた。
「僕がいじめられると弟がやってきて助けてくれた。その頃は僕がやらなくても弟がやり返してくれたんだー。だから、僕もやり返さないといけない、だから――」
克用は手のひらを合わせる。
「師匠に打つはずの家畜の膿を人間の膿に入れ替えた」
「……」
猫猫は唾を飲み込む。
「師匠は重篤な疱瘡にかかった。何人もの弟子を使い実験していた種痘のはずが失敗して混乱して研究結果も燃やして、どんどん弱って――。弟はこれ以上師匠が苦しまないようにと始末した」
克用の声はいつもの間延びした声ではなかった。
「弟はそのあと死んだ。自殺した。たぶん、僕が種痘を入れ替えたことを話したせいだ」
克用は手をぎゅっと握り、頭を下げる。懺悔をしているように見えた。
「嘘をつけばよかった。実験に失敗はつきものだって言って、何食わぬ顔で言ってごまかせばよかった」
「鏡を誤魔化せる?」
猫猫の質問に、克用はゆっくり首を振った。
「何をすればいいのか、わかんなくなった。ずっと弟に周りの相手をさせていたから」
だから、克用は鏡のように相手の好意や悪意を返すことしかできなくなった。
「……どうするのー? 猫猫は僕をー」
「……」
猫猫は立った鳥肌がまだおさまらない。克用という人間について思うところはあるし、これまでのように付き合うことはできないだろう。
なら暴こうとしなければよかったが、彼の人となりを理解する必要があった。
(彭侯のような男)
村長の言った通りだ。
克用は無害な人間には無害で、有害な人間には有害である。
だから村長にとって克用は殺してでも始末しなければいけない相手だったのだろう。
「一つ質問」
「なーにー」
「村長は本当にろくでもない人間だったのか?」
「んー。どうだろー? 少なくとも、疱瘡が流行る前までは上手く村をまとめていたよー」
だろうな、と猫猫は思った。妤の家の子どもたちは村長が来たとき、彼の言うことを聞いていた。
「僕のやることは確かに危ないからやめろというのはわかるけどー。嫌がらせを率先してやってきたのは村長だしなー」
猫猫は村長がどんな人間なのかよくわからない。ただ、村長が克用に対してどう思っていたのかだけは少しだけわかる気がした。
(ずるいと思っていたんだろ)
呪いでは治らない病気を治す克用。疱瘡にかからぬよう処置する克用。
だから克用を嫌いながら、克用の真似をした。子どもに種痘を施そうとした。もう何年も前の疱瘡のかさぶたには感染力がないに等しい。でも、不幸にも感染してしまった子どもがいたせいで今回の騒ぎになった。
人のためとしてやったことが通り魔として扱われ、追い回され、結果、克用が憎くてたまらなくなったのだろう。
(ああ、どうしようか)
村長が罪人であることは変わりない。
克用のやってきたことが罪であったとしても今更問えるものでもない。
何より克用はこれから医療に関して役に立つ人材だ。
(役に立つ立たないで人間を区別したくないけど)
猫猫はずるい性格だ。
この会話はすべて雀に聞かれているだろう。だったら、彼女に丸投げするしかない。
「克用の周りに善人だけが集まることを祈っとく」
「祈っとくって猫猫っぽくなーい」
猫猫は手を振ると部屋を出た。
部屋の外には雀がいて、ぴょんぴょんと立った髪がはねていた。
「何か報告は?」
「いえ何も」
「それは残念」
雀は猫猫のあとをついていく。
「猫猫さん、お疲れのようですし、今日はこのまま夕ご飯を一緒に食べにいきませんかぁ?」
「そういう気分でもないです」
「残念」
猫猫はもやもやした気持ちを抱えたままだった。




