二十三、罪人
猫猫は面倒くささよりも好奇心が勝つ生き物だ。ゆえに冷たい石床を歩き、狭く暗くじめじめした地下への道を歩いている。
場所は牢獄。罪を犯した者に対して環境の改善など求められない。
かつかつと足音が良く響く。
「罪人とは目を合わせんなよ」
注意するのは李白だ。
場所が場所だけに雀が案内するよりも良いとの人選だ。雀はしたたかでそんじょそこらの護衛よりも強いと思うが、片手が使えないし見た目はちゃらんぽらんな侍女だ。荒くれ者に舐められぬよう、がたいのよい護衛を選ぶのは正しい。他二人の護衛も大柄な者を選んでいる。
「……」
「……」
罪人たちの声は呪詛のように聞こえる。やってきた猫猫たちを見て何を言っているのか、ろくなことではない。侮蔑や卑猥な内容を浴びせられたとしても檻から出られるわけもなく、声に元気もない。
ごほごほと咳をする音、生気がないどよんとした目。
病人が集められた牢獄なのだと猫猫は理解する。
猫猫は手ぬぐいを口の周りに巻き、李白らもそれを真似する。病人を見捨てるというのは気分が良くない。だが、ここで変に仏心など出してしまってはいけないと猫猫は周りの声を無視していく。
「ここだそうだ」
狭い独房の一つ。擦り切れた茣蓙の上に転がる男。上掛けの代わりに破れた布を被っている。
よどんだ空気を換気するための空気穴から風が入る。それに震え、囚人は体を丸くすることしかできない。
寒く手を震わすことしかできない男。これが妤の村の長であり呪い師だ。
護衛の一人が嫌そうな顔をしながら牢を開け、中の囚人を起こす。
(死臭がする)
生き物が死ぬときは独特の臭いがする。そのかけらがもう囚人の体から漂っていた。
李白が明かりを向ける。
落ちくぼんだ眼窩に干からびたような肌。指先は黒く壊死しているようだ。
「……っ」
囚人は呂律が回っていない。体のいたるところが麻痺をしており、首には痘痕が見えた。
「どうして、種痘、疱瘡の種をまき散らそうとしたのですか?」
「っあ、はは」
囚人は笑いだす。引きつるような笑い、残っていた体力を絞り出そうとしているようだった。
「はははは、なんで私あ、わるいろ、だ?」
囚人の声がよく聞こえない。
「あいつは、こふよふは、やってひたのひ」
克用のことを言っているようだ。
「あひつはな、ほうこうなんだひょ」
「ほうこう」
なぜかその言葉だけよく聞き取れた。
「はははあ、はああ……」
囚人は笑い、そしてぷつりと糸が切れる。
慌てて護衛が囚人を抱えた。
「生きているか?」
「かろうじて」
「……」
ちゃんとした証言を聞くこともなく、囚人はここで果てるのだろう。暖かい布団の上で息絶えるには、囚人がやらかした罪は重い。
猫猫は茣蓙の上に置かれる囚人の手をじっと見ていた。
(ほうこう)
奉公、方向、咆哮、芳香……。
(彭侯)
猫猫は妖怪の名前を思い出す。
千年生きる木の精霊。地域によって伝承は変わるが、猫猫が知るのは木霊に近いものだった。山に向かって大声を上げると声が反響して返ってくる。
克用のことを木霊というのならなんだか納得がいく。
克用はいつもへらへらした顔で猫猫に接していた。不幸な身の上話をへらへらとし、その割に擦れていない様子に見えた。
(木霊だな)
猫猫はぎゅっと拳を握る。
「どうした嬢ちゃん?」
「いえ、このあと克用の見舞いもできないかなと思いまして」
「俺はその管轄じゃねえけど、とりあえず雀さんあたりに伝えれば問題ないか?」
「助かります」
李白は気を利かせて、牢獄を出るなり部下を捕まえて神出鬼没な雀を探しに行かせた。
「しかし、雀さんは一体何を企んでいるんだか。今回、うちの部下も巻き込みやがって」
「部下というと卯純さんでしょうか?」
「そいつだよ。あと馬閃の旦那にも色々ちょっかいかけているだろ」
「ああ」
卯純が異母妹を盾に何やらやらされていると聞いていた。
「そのためかどうか知らねえが、前に後宮にいたっていう卯純の異母妹、出家した元妃、名前なんだっけな?」
「里樹さまですね」
「あっ、そうそう。その妃が卯の屋敷に戻ったらしい」
「なぜに?」
猫猫がいない間にいろいろ話が進んでいる。
「わかんねえけど、卯の家の当主のたっての頼みだとかで。どうやら里樹さまがいた寺で色々新しいことをやるようなんだ」
「危険なことでしょうかね」
猫猫の予測が正しければ、弱毒化した種痘実験だろう。
「そうかもな。その流れで、里樹さまはもう家に戻ってもいいとお許しがでたようだ」
元々、皇帝は里樹に対して甘い扱いをしていた。後宮から出して出家させたのも、里樹が不当な扱いを受けることを避けるためだったはずだ。
親でありながら敵だった父親と異母姉はとうに卯の家を追い出された今、何か理由を付けて呼び戻しても問題なかろう。周りがまた出戻りだと文句をいうこともあろうが、里樹に関しては今更な話だ。
あと彼女がどうなるかは馬閃にかかっている。
考えているうちに医務室についてしまった。
「猫猫さん、猫猫さん」
神出鬼没な雀はすでに医務室の前にいた。
じゃあ、と李白はそこで手を振って元の仕事に戻る。猫猫は頭を下げて雀の元に向かう。
「なんでしょうか、雀さん」
「どうでしたか?」
「どうでしたかもなにも、あと数日の命ですね。私が手を出したところで余命が延びることはないでしょう」
「ええ。そうでしょうねぇ。現行犯でとらえたので彼が死のうが生きようが関係なく、罪人になることはわかっていますねぇ。でも気持ち悪いんですよねぇ」
雀は淡々と言った。最初からわかっていて猫猫を向かわせたのだろう。猫猫に『診ろ』とも『看ろ』とも言っていない。だから猫猫は『見る』ことしかしなかった。
「なぜ克用さんを刺したのか、なぜ通り魔のような真似をしたのか、わかりましたかぁ?」
(なんとなく)
猫猫はわかってしまった。
でもそれはただの憶測だ。
「わかっていても口に出さないのが猫猫さんですねぇ」
「おっしゃる通りです」
「では答え合わせに、克用さんのお見舞いに行きましょうかぁ?」
雀は猫猫を促すように手を引っ張った。