二十二、隔離生活終了
隔離生活が始まってから十日、猫猫たちはようやく解放された。
卯純はそれまでずっと知らぬ存ぜぬだったし、妤はその間ずっと患者の面倒をしっかり看ていた。妤にこれが仕組まれたことだと告げるのは酷であるし、何より感情的な彼女が何をしだすかわからないので黙っておいた。
猫猫は誰が何の目的でこんなことをするのかずっともやもやしていたが、ようやく説明される機会に恵まれた。
妤は患者の記録を上司に報告するということで別行動をする。頃合いを見計らったかのようにぽてぽてと独特の足音が近づいて来た。
「お迎えに上がりましたよぅ」
独特の語尾は猫猫が知る限り一人しかいない。
「雀さん一体何があったか説明願えますか?」
患者の武官と卯純もいつのまにかいなくなり、診療所には猫猫しかいなかった。
「仕方ありませんねぇ」
雀は玄関からずかずか診療所に入ると、勝手知ったる顔で茶の準備をし始めた。猫猫が知る限り雀は診療所に来たことがなかったはずだが、雀だからという理由で納得がいく。
猫猫は卓の上を拭いて、雀の茶をもらう。茶菓子は置いてないので、雀が懐から饅頭を取り出した。
「殿! 温めておきましたぁ」
「……」
微妙なぬるさだ。猫猫はあえて冷えるのを待つため茶の横に置いておく。雀のどこか芝居がかった動きは何か意味があるのかもしれないが猫猫はよくわからないので無視しておく。
「色々複合的な原因で致し方なくでしてねぇ。純さんには彼の異母妹を盾にして協力をお願いしたんですよぅ」
「へえ」
雀の話がどこまで本当だかわからないが、今は流しておく。
「まず疱瘡について何かわかりましたか?」
猫猫の推測が正しければ、虫垂炎の投薬実験と同じように疱瘡でも似たようなことをしているはずだ。
「何やら私が知らないところでどんどん実験をしていたように見えましたね」
猫猫に禁書を貸し出したということは、理解してもらうためだろう。猫猫が貸してもらった禁書はあくまで写し。そして、全部の写しではなかった。
「禁書には『種痘』という名前で出ていましたね。写本のその部分だけよこすのでわかりやすかったですけど」
禁書の禁書たる所以、腑分けの部分がなかった。さすがに外に出すのはまずいと思ったのだろう。腑分けの部分さえなければ、誰かに見られたとしてもいくらでも言い訳ができる。
「克用からの文で牛と馬について書かれていました。医官たちはとうにその実験について手を出していたみたいですね」
「はい。我が義弟くんの想い人がいる紅梅館の馬と牛を使ってやっているようですよぅ。そして、猫猫さんならとうに気づいているでしょう。ここにいた患者は言うまでもなくその種痘を試された人ですねぇ」
猫猫の想像通りだった。
「その人を使って私を隔離した理由はなんでしょうか?」
雀は「ぷぷっ」とちょっと腹が立つ笑い方をした。
「ふふ、猫猫さんは今回おまけなんですよぅ」
「ん? っということは、私ではなく」
妤を隔離することが主題ということか。
(どういうことだ?)
雀が笑ったのは猫猫が自意識過剰と言いたかったのだろう。どちらかといえば少し他人を煽るところがある雀なので、ここで怒っては逆効果なので淡々と質問で返すことにした。
「妤さんに対しての足止めだったということでよろしいですか?」
雀は片目を瞑り、笑いながら左手の指をぱちんと鳴らした。
雀は、人を煽ることに対しては天性の才能があると猫猫は思う。
「なぜ妤さんを? 克用関係なら……」
ふと猫猫が止まる。
克用がやっている種痘のやり方を知っている人物。猫猫は生き残りの村人だと考えた。そして、妤の家族もその一人である。
「妤さんの家族の誰かが、勝手に種痘をしていたと?」
「猫猫さんは説明する必要がなくて楽ですねぇ」
猫猫の全身からぶわっと汗が噴き出してきた。緊張した時の汗は運動した時の汗とは種類が違う。独特の臭い汗に気づかない雀ではなかろう。
「妤さんも関与しているかと思われましたが、ここ十日間の様子を見る限り無関係のようですねぇ」
雀は猫猫を落ち着かせるためか、まず妤が無罪であることを主張する。
「そして、種痘についてですけども、妤さんの家族はやろうとしていた、とまで言えばわかりますか?」
「やろうとしていた?」
雀は猫猫に答えを出してもらおうとしているようだ。回りくどいやりかただと猫猫は思うが、普段猫猫も同じように受け答えすることが多いのであまり強く言えない。
(妤は関係ない)
(妤の家族は種痘をやろうとしていた)
(種痘には疱瘡患者の皮膚などが必要だが)
妤の村が疱瘡で壊滅したのは何年も前だ。その時の患者の皮膚など取っていても今更種痘には使えないだろう。
なら比較的新しい疱瘡患者の部位が必要になる。
「妤さんの家族は、誰かに種痘をするようにと勧められ、疱瘡患者の部位をもらった、とか?」
雀は指で丸を作る。
「正解ですねぇ。昼間、とある人物が妤さんのいない時間帯に来ていたそうです。妤さんの母親はおらず、家にいるのは子どもばかり。疱瘡現場の最前線から帰ってきた妤さんには知らせないように、内緒にしていたみたいですねぇ」
「その誰かというのは」
「ええ、猫猫さんは想像がついているかと思いますぅ。妤さんのいた村の元村長でございますよぅ。大人たちが留守中、子どもたちだけが家におりました。どこからか村の生き残りが都に住んでいると聞きつけたのでしょうねぇ。元村長ということもあって、子どもたちは気を許したようですねぇ。だから種痘の真似事などしようとしていたみたいですよぅ。お母さまが異変に気付いて止めて事件が発覚しましたけどぅ」
雀は饅頭を食べながら言った。食べながら話すが、食べかすをこぼさないのは腐っても良家の嫁というところか。
「妤さんに知らせるのはやめたほうがいい。何よりまだその村長が捕まっていないことも踏まえて、こんな大がかりな芝居を始めたということですか」
雀は頷く。
「妤さんの家族は、男手は疱瘡が発生した地域でお手伝いしているそうですし、妤さんに知らせて変に大騒ぎになると困りましたからねぇ。村長がまた戻ってきたとき、捕まえるためにも彼女の家の周りはこっそり官たちで囲んでおりました。違和感なく隔離する方法を考えたうえでの今回の芝居だったわけですよぅ」
「未遂とはいえ、勝手に種痘をやろうとしたことは問題ですし」
子どもとはいえ、ある程度の罰則は考えられる。妤が変な方向に走る可能性はあった。
妤は医療従事者として年齢の割にかなりよくできたほうだろう。だが性格が感情的だ。
天祐ほど壊滅的ではないが、取り扱いが難しいところはあろう。
「そうなんです、困りましたよねぇ。妤さんはまだ知らなかった。ゆえに妤さんを家に帰すわけにはいきませんし、できれば情報も遮断したかったわけですよぅ。また家の周りに見張りをつけて村長を捕まえようとしましたが見つからず」
雀が言いたいことはわかる。だが疑問もある。
「では、私まで巻き込まれているのは?」
「ふふ。誰かもう一人女性がいると、妤さんが安心するのと――」
「のと?」
「もう一つ。こういう時こそ羅漢さまのお手を拝借したくなりましてぇ」
猫猫はいつもどおり嫌な顔をする。
「猫猫さんが村長さんに出くわさないように保護する名目も兼ねておりましたぁ」
ぱちぱちと手を叩き、旗やら花をぽんぽん出す雀。おどけているのがかなり怪しい。
「村長は色々医療従事者を訪ねまわっていたようです。妤さんを保護したのはそこも関係しております」
十日間の名目であったが、こうして出られたということはもう問題は解決していると見ていいだろう。
「じゃあ村長は捕まったということですね?」
「ええ……、三日前に」
歯切れが悪い言い方だったのを猫猫は聞き逃さない。
「生きて捕まえられなかったのでしょうか?」
「いいえ」
「じゃあ」
「村長、いえ通り魔というのが見つかったのは、例の疱瘡によって閉鎖された村でしたぁ。妤さんのお父さんが働いていると子どもがぺろりと話してしまったみたいですぅ」
雀は一拍置く。
「そして同時に通り魔に刺された克用さんが見つかりましたぁ」
「なっ⁉」
猫猫は立ち上がり卓を叩いた。
「生きています。まあまあ危なかったですが生きてますよぅ」
「……変人軍師役に立たなかったですね」
「羅漢さまに頼んでいたのは都の中だけでしたので。猫猫さんがいない他所の町まで気を回すお人ではないでしょうから」
猫猫は妙な罪悪感が芽生えてしまう。
「それで雀さんが私に種明かしをしたところで、何かやることがあるのでしょうか?」
雀はとうに饅頭を食べ終わって、猫猫の饅頭を見ている。饅頭は冷えていたが猫猫はそのまま雀にやった。
雀は饅頭を手にすると、指先でもてあそびながら話す。
「捕まった村長さん。あまり状態が良くないんですよぅ。何かにとらわれて最後の命の灯を燃やすように行動していた。狂人の戯言だろうと皆さん放置しておりますが、気になりませんか?」
「……その人を診ろと?」
「強制は致しませんよぅ」
こういわれるとずるい。
猫猫は面倒くささと好奇心を天秤にかけて傾いたほうに動くしかない。