二十一、弱毒化
しばらくして猫猫たちは別の場所へと移動することになった。医務室を占拠したままだと仕事に支障が出るからだ。
案内された先が、慣れ親しんだ投薬実験会場だったときは何とも言えない気持ちになった。
「こんな場所があったんですね」
卯純は街中にある診療所を見て驚いている。
皇帝の手術は無事終わって投薬実験は縮小しているので、部屋はいくつも空きがあった。
患者は籠に乗せられて運ばれた。猫猫たちは口元を覆い、歩いて移動した。
「猫猫さんは感染していないと思いますけど」
妤は言った。猫猫もそう思うが、さらしを解いたときに発疹に触れてしまったことが気になる。すぐに手を洗ったので感染の可能性は低い。猫猫も上からの判断を仰ぐことにした。
「しばらくとどまるように」
劉医官にそういわれたら何もできない。
「人手足りるんだろうか」
猫猫は思ったが上司の言葉には従うしかない。
(あと妤のことも気になる)
ただ妤の動きは機敏で、患者のことはよくわかっている。複数いるなら問題だが、一人なら彼女だけでも十分対応できそうだ。
猫猫たちは診療所の部屋を一室ずつ使うことになった。食事は食堂まで取りに行く。厠も共有しているが、それ以外は部屋の外には出ない。
妤の部屋は猫猫の隣で、患者は少し離れた部屋に隔離されている。
猫猫は積まれた本を読みつつ部屋で大の字になっていた。卯純が本を頼んでくれたおかげで猫猫もどんどん頼めた。
何より大きいのは、今持っている冊子だ。
(華佗の書を手に入れた!)
ぼろぼろの本を復元して写本にしたものを一冊貸してもらえた。本来なら、禁書扱いで持ち出し禁止だが特別に許可をもらった。
さらに克用の資料を書き写している。二つを照らし合わせると、時間を忘れるほど面白い。
華佗の書はところどころ虫食いになっているので、猫猫が持った知識や克用の資料を基に補足する必要があった。その作業は頭を使うが楽しい。ただ考えをまとめようにも禁書を写すことはできないので、記帳できないのが残念だった。
(疱瘡にかからぬためにはあらかじめ弱い疱瘡にかかっておく)
(弱い毒とはいえ、それでも重症になる場合もある)
猫猫が知っている知識も多い。復習するように読み込みながら見ていく。
(よく似た病にかかることで耐性が付く場合もある)
「よく似た病」
足音が聞こえて猫猫は隣の部屋の妤が帰ってきたとわかる。
『猫猫さん、いかがですか?』
妤が戸越しに容態を聞いてくる。
「問題なさそうですが、勝手に出ちゃだめですよね」
『言うまでもなく』
猫猫もよくわかっている。
「患者はどうですか?」
『発疹は出ていますが、あまり広がっていません。あと熱は出ていますが、意外と早く引きそうです』
妤は不思議そうな顔をしているのがわかる。
「疱瘡ではないと?」
『いえ疱瘡と似た症状ですし、元々武官であれば体は丈夫ですよね。たまたま弱いのかもしれません』
猫猫もうむと唸る。
『それよりちょっと気になったことがあったので、質問いいですか?』
「なんでしょう?」
『猫猫さんはなぜ切り傷に反応していたのでしょうか? そこから疱瘡だと確信を持っているように思えました』
ああ、と猫猫は思った。
妤にはまだ通り魔の件を話していなかった。疱瘡の種を植え付ける通り魔がおり、克用が疑われていた。克用のことで私情を挟まぬよう劉医官は妤には話していないのだろう。
猫猫はどうしようかと考えつつ口を開く。妤は克用のことを信じているだろうし、猫猫も確認したいことがあった。
「実は――」
通り魔事件の話をする。
『お医者さんはそんな真似はしません!』
案の定、妤は否定する。声の大きさから気持ちが高ぶっているのもわかる。
「勿論わかっています。ただ、疱瘡の種を植え付ける方法なんてそんなに思いつく人はいないはずです。その行為を目の前で見ている人でもなければ。妤さんは前に言っていませんでしたか? 妤さんの家族と子どもが数人、それ以外に村で生き残った人がいたと」
『あっ、それは……』
妤は口ごもった。
『はい。一人います。呪い師、当時の村長ですね』
「呪い師」
確か克用を追い出した人物だ。よりによってその人物が生き残っていたとは思わなかった。
『ですが、村長がお医者さんの真似事をするなんて。あれだけお医者さんのやることに否定的だったのに』
妤は不思議そうだが、猫猫は逆に気持ちがわかる気がした。
「事実、克用のやることが正しかったとわかったら利用しようとするかもしれません」
(くたばってしまえばよかったのに)
猫猫は思うが口にしない。ただ生き残った理由について考える。
「村長は他の村人に比べて裕福だったのでしょうか?」
『……おそらく。代表として食料の買い付けなどもやっていましたので』
栄養状態が良ければ生き残る可能性は上がる。他にもう一つ考えられることがあった。
「すでに疱瘡にかかっていたとかありませんか?」
『それは……わからないです。ただ呪い師だからと、いつも肌を見せない服は着ていました。あっ、あと』
「あと?」
『私は絶対に病にはかからない。呪いのおかげだからと言っていました』
その村長というのが呪い師ではなく詐欺師に聞こえてきた。
開拓村にいる時点で貧しい者か、それとも以前の場所にいられなくなった者か。村長は後者だろう。
「もし村長が通り魔だったらどうします?」
『許せるわけないですよ! お医者さんを追い出しただけでなくまだ迷惑をかけているなんて』
「村長が犯人と決まったわけではありませんが、念のためどういう人か特徴を教えて似顔絵でも描いてもらったほうがいいかもしれません」
『はい』
「あくまで念のためです」
『わかっています』
猫猫が念を押したのは、妤が突っ走らないためだ。彼女は感情的になるところがある。釘を刺しておかないと怖い。
『今は、それどころではなく患者の容体を看るほうが優先です』
妤はあきらめたかのように言った。
患者の容体は軽かった。熱は数日で下がり、いつ仕事に復帰してもいいと言っている。
「ぜったい駄目です!」
妤の叫び声が聞こえるのは、患者が診療所を出ようとしたからだろう。
風邪は治りかけがうつりやすいというが、疱瘡も同じだろう。何よりかさぶたですら感染力が一年は持つという。簡単に表に出せるわけがない。
「大変そうですね」
少し離れたところで卯純が言った。猫猫と同じく食事をとりに来たみたいだ。
「卯純さんも特に病状は出ていないようですね」
「純とお呼びください」
卯純は毒気のない笑みを見せる。
この男は卯の一族であるが、ほぼ追放されたようなものだ。『卯純』と先日名乗ったのは、猫猫が覚えていないと思ったのでわかりやすく言ったのだろう。
気軽にお呼びくださいと言われても面倒なので無視しておく。陸孫のときも呼び捨てにしてくれと言われてその時は折れてしまったが、卯純はそのまま無視して使ったら向こうが折れそうだからだ。
猫猫は言葉づかいが軽くなったからといって相手との距離が詰まるとは限らないと思っている。
「私たちもそろそろ出てもよさそうですね」
感染源とされる患者があれだけ元気なのだから、猫猫たちも問題ないように思える。
「そうですねえ」
猫猫は卯純の態度を見て、やはりと思う。
「何よりこんな茶番をやるなんてどういうつもりなのでしょうか?」
「茶番とは?」
猫猫は卓の上に置いてある食事を手にすると、行儀悪く手づかみで食べた。
「通り魔にやられた武官のかた、勤務中の怪我でしたよね?」
「はい、そう聞いております」
「前腕部に怪我をしていましたね」
「はい」
猫猫はやはりと大きく息を吐いた。
「街中を警備する武官は、手甲をつけていたと思います。通り魔が斬りつけるには少々難しい場所ではないでしょうか?」
猫猫の問いに卯純は曖昧な笑いだけを浮かべている。
(誰かに似ている)
猫猫は雀を思い出す。
猫猫は西都で雀に一杯食わされたことがあった。もしその経験がなければ、今こんなことは思いつかないだろう。
「私を隔離するために一芝居うったのでしょうか?」
「何を言っているのか、わかりません」
卯純はあくまで知らないふりをしている。
猫猫の勝手な憶測で間違っていればそれでいい。卯純という男には猫猫の戯言だと忘れてもらう。だが、憶測が正しければ話は違う。
猫猫は話を変える。
「里樹さま、卯純さんの妹君は今どこにいらっしゃるか知っていますか?」
「出家していると聞いています」
「紅梅館という変わり者が集まった場所です。そこで里樹さまは家鴨を育てておりました」
「家鴨ですか」
「他にも牛や馬なども育てていました」
猫猫は克用が牛や馬を探していたことを思い出す。
猫猫もその場に連れて行ってほしいと頼んでいた。だが、とうに医官たちは克用の目論見をわかっていたのではなかろうか。
華佗の書と克用の資料、それに馬や牛。
疱瘡への耐性をつけるために弱い疱瘡にかかる必要がある。
病の中には、近い病にかかることで耐性を得られることがある。
そして、人間は家畜がかかる病にかかることもある。
「馬や牛にとっての疱瘡のような病。それを人間に植え付けることで同じ病にかかる。卯純さん、あなたが連れてきた患者はその病の種を植え付けられているのではありませんか?」
偶然、卯純が来たとは思えなかった。
「純とお呼びください」
卯純は笑ったままだ。
「しらばっくれますか?」
「しらばっくれるも何も私は言われた通りにしたまでです。『卯』の字を名乗るのも怪しい小物ですから、頼まれた仕事など断ることはできません」
言われた通りにやったと自白している。
猫猫は大きく息を吐く。卯純は小物だが小物であるが故の生き方を知っているように見えた。
「ただ私は、里樹さまがどう過ごされているか気になったまでです。教えてほしいなら、患者を医務室に連れて行けと言われただけですよ」
どこまで本当かわからないが、猫猫が知りたいことを詳しく聞かせてくれる様子ではない。
「じゃあ質問ですが、あと何日くらいここにいればいいのでしょうか?」
「さあ、十日ほど隔離が必要とだけ最初にみなさん言っていましたよね。なので十日ではないでしょうか?」
卯純はあくまで知らないふりをしたまま答えた。