十九、体調確認
どういうめぐり合わせか、猫猫は壬氏の宮にいる。
「はいはい、夕餉はまだでしょう。用意してありますよ」
水蓮に至っては親戚のおばさんのように食事を用意し始める。
猫猫としてはさっさと食べたい料理がたくさん並んでいるが、一応わきまえないといけない。家主ではない上に、皇族の前でおいそれとがっつくわけにもいかない。
毒見という体で先に食べることが多いが、今日の配膳を見る限り一緒に食事をとれということだろう。
壬氏が一口粥をすする。
「……食べていいぞ」
(待ってました!)
壬氏の「よし」をもらったので猫猫は粥からいただく。鶏の味がしっかりしみこんだ汁で米と肉が浮いている。
壬氏は食前酒を飲みながら、猫猫をじっと見ている。
「最近の仕事はどうだ?」
猫猫は口の中の物を飲み込む。
「私のほうは変わりありません」
「俺のほうも変わりない」
(俺のほうも、か)
猫猫としては、姚や燕燕、妤に変わりがあったという意味だったがわざわざ訂正する必要もない。「いや、あんたのこと聞いてないし」とあえて言うこともなかろう。
壬氏としては何か話したいのだが、何を話せばいいのかわからないという顔をしていた。
(無理して話さなくてもいいんだけど)
猫猫は黙々と食べつつ、一応表向きは皇弟の体調確認であることを思い出す。肉汁あふれる小籠包をよく噛んで飲み込むと一度箸を置いた。
「壬氏さまの体調は良さそうですね」
いつも過労働で疲れているように見えていたが、今はそうでもなさそうだ。
「ああ。猫猫は嫌がるが仕事を減らしてくれる部下ができたものでな」
「ははは、虎の字が付く男のことでしたら、今後のために事故に見せかけて始末しましょう」
猫猫は虎狼が嫌いである。
「やめろやめろ。ただでさえ雀が隙あらば亡き者にしようとしているんだ」
(雀さんがんばれ)
猫猫は箸を持ち、漬物をつまむ。
「それにあれは色々諜報の面で役に立つんだ」
「そうですかー。残念です」
猫猫はぽりぽり漬物を食む。
「猫猫も体調は悪くなさそうだな」
「ここ一番胃が痛くなる仕事が終わりましたからね」
「そうか。何か変わったこととかはないのか?」
「そういえば後宮時代の友だちから手紙が来ていました」
「……おまえの友だち……となると、手習い所に通っていた娘か」
「ええ。よく覚えていましたね」
小蘭が手習い所に通っていたことは今の生活に役に立っているだろうか。
「手紙を送れるだけ字はしっかり覚えたのか」
「ええ。ですがいつも自分のいる場所を書き忘れているために文を送り返せないんですけどね」
壬氏はふむと顎を撫でる。
「ならば調べようか」
「いいえ、そっとしておいてください」
猫猫は茶を飲む。
「どうしてだ?」
「一度は返信しますよ。『花街になど連絡するな。変な噂が立つぞ』と書いてそれっきりにしないといけません」
本来、娼館に文など送るものではない。
「別の送り先を用意すればいいだろう」
「雀さんの仕事が増えませんか?」
小蘭が幸せそうにしているのならそれでいい。猫猫と関わると小蘭も何かしら監視がつくことになるだろう。手紙にも検閲が入るだろうし、猫猫の返事も無難なものばかりになる。穏やかに暮らしているのなら猫猫は小蘭と接しないのが正解なのだ。
猫猫には、帝の手術しかり、疱瘡しかり不用意に口に出せないことが多すぎるのだ。
ただ、同時に小蘭にひどいことをしている自覚がある。
猫猫は小蘭の何気ない日常をこのまま知りたいがために返信をしたくないのだ。いつか小蘭が諦めて文を書かなくなるまでの間。
「……疱瘡について壬氏さまは何か聞いていますか?」
壬氏相手でも言葉を選ばなくてはいけない。
「疱瘡のことについて今、虎狼が色々調べているぞ。疱瘡の感染経路がわからないそうだな」
「はい」
医官たちの話の中には暗黙の了解で勝手に話してはいけないものもまじっている。壬氏はそれも踏まえて、『感染経路』という言葉を出したのだろう。
「克用という男が疑われていると聞いた。わざと子どもに疱瘡を感染させて広げたのだと」
「そこまでご存知なのですね」
「そいつは犯人か?」
猫猫はゆっくり首を振る。
「できないこともありませんが、やる理由はないですね」
「じゃあ、どんな奴が犯人だと思う?」
「憶測を言えと?」
「憶測でない、推理だな」
壬氏は後宮時代の謎解きをしろと言いたげな顔をしていた。不謹慎だぞ、と猫猫は思いつつ腕を組む。
「子どもを狙って疱瘡の種を付ける。やっていることは克用と同じに見えますけど、違う点がありますね」
「どこが違う?」
「克用は子どもの疱瘡が重症化しないように元気な時を狙ってやったのでしょう。しかし、犯人は見ず知らずの子どもを襲っている。また、通り魔的な犯行なので事後の経過を見ることもできない」
猫猫は頭の中を整理するように語る。
「……中途半端な真似事のように感じました」
「真似事とは?」
「医者の真似事でしょうか。ただ表面だけをなぞって何をしているのかわからない、子どものごっこ遊びのように感じました」
「ごっこ遊びか。では、誰かが疱瘡にかからないよう処置をしていたが、見様見真似だったために失敗したと」
「と、思ったのですが、そんなに疱瘡の処置を知っている人間がいるとは思えませんね。それこそ克用が処置した村の住人はほとんど死んでいるそうですし。……ん?」
「どうした?」
「そういえば一人村の大人が生き残っているみたいなことを言っていたような」
猫猫は額を叩く。妤の話だったと思うが、記憶があいまいだ。
「妤という官女に話を聞いたらわかるかもしれません」
妤が何か言っていた気がする。猫猫はまた漬物をぽりぽり食べる。ちょうどいい塩加減でついあるだけ食べてしまいたくなる味だ。
「しかしさっきから聞く克用というのはどんな奴なのだ?」
(おや?)
壬氏には面識がなかったか、と猫猫は思った。日頃、いろんな人と会っていると誰と誰がどこまで知り合いなのか忘れそうになる。
「顔半分に疱瘡の痕が残る男で、やたら明るいけれど医術の知識はしっかりしていますね。あとけっこう金にうるさいです」
「医術の知識か。医官ではないそうだな」
「はい、野良の医者ですね。不幸体質なのかいろんなところ転々としているみたいですけど。そういえば、この間馬や牛について色々聞いていました」
「馬や牛? 医療に関係しているのか?」
「たぶんそうでしょうけど」
猫猫も気になっている。
「私も気になるので、克用が何か申し出たときには一緒に行くことは可能でしょうかねえ」
「なんとなく伝えておこう」
「ありがとうございます」
猫猫は頭を下げる。
どうにもこうにも仕事よりの話になるのが、猫猫と壬氏の悪い癖だ。
しかし、趣味も好みもあまり合うものがないので仕方ない。
ただ、壬氏は食事に関しては屋台の食べ物など美味しそうに食べていた。味覚に関しては庶民向けでもお気に召すらしい。
猫猫は麺に手を出す。これまた汁にしっかり味がついていて美味い。
「そういえば前に雀さんが美味しい刀削麺の屋台があると言っていました」
「刀削麺、屋台」
壬氏にとっては食べたくても食べられない。皇弟が町中をぶらぶらして屋台で飯など食えるわけがない。それこそまた下男の服を借りて全身の匂いを消す必要がある。
ただ以前のように街歩きをするには、右頬の傷は目立ちすぎるし、火傷に見せかけて隠せばそれもまた目立ってしまう。
宦官壬氏時代は後宮内こそ誰もが知る顔だったが、街中では全く顔が知られることはなかった。
皇弟として都中に顔が知れわたった以上、ほいほい変装してぶらぶら歩くわけにはいかない。
「お持ち帰りできるか聞いてみましょうか?」
「麺が伸びるし冷えるだろ。何より寒い中あつあつの麺を口にかきこむのが美味いんだ」
「食べ方をよく知っておいでで」
猫猫はちらりと水蓮のほうを見る。できるばあやは、高齢なのにがんばって麺を刀でそぐ練習をするに違いない。
「水蓮さまが刀削麺を作れるようになったら呼んでください」
「わかった、というかそれ以外にも呼ばれて来るんだぞ」
「ええ」
猫猫は最後の漬物を食べながら報告書を書かないといけないと思った。
『皇弟、体調良し』と。