十八、通り魔
妤が復帰した現場は猫猫と同じ部署だった。武官たちが多い比較的忙しい部署だが、もっと厳しい現場を見てきた妤にとってはある程度忙しいほうが落ち着くようだ。そこを見越して老医官はこちらの部署に戻したのだろうと考えると、さすが年の功といえよう。
そして、姚や燕燕、長紗は近い場所で働いているので、しばらく地獄の恋話は続くと思われる。宿舎から出ていく姚は疲れたようであり同時にはにかむような顔だった。燕燕はそれこそ一日で体重が半減したかのようなげっそりした様子だった。
(あの様子だと、羅半に対して好意的な発言があったんだろうな)
どこがいいのだろうと猫猫は心底思いつつ、見送った覚えがある。
長紗の性格は好き嫌いがはっきりしているので、今回は相性が比較的良くてよかったと猫猫は思う。場合によっては、修復不可能な亀裂が生じる。
(本当によかった)
猫猫はつくづく思う。毒が時に薬となると考えると、姚と燕燕の特効薬に長紗は上手く当てはまったようだ。
それにしても、医官手伝いの官女たちは皆が皆、個性が強いと思わずにはいられない。無論、偶然集まったのではなく、医官の手伝いをしようと考える物好きがまず試験に受かって、さらに弱弱しい個体は姚や医官たちがはねのけたので図太い者しか残らないのは当たり前だ。
そして、そのせいで窮地に立たされている燕燕はある意味面白いと言ってしまったら、性格が悪いだろうか。
「猫猫さん、日誌の書き方はこんなものでよろしいですか?」
「問題ないと思います」
部署によって上司が違うと、やり方も微妙に違ってくる。妤はそれも踏まえて猫猫に逐一聞く。面倒くさいが初回のやり方としては正しい。
そして若い娘がいると武官たちがにやにやした顔で近づいてくるので、猫猫は歯をかちかち鳴らしながら威嚇しておく。言うまでもなくがちむち李医官やわんわん先輩にも話をして、妤に変な虫がつかないよう防虫には抜かりない。
だがそれでも近づいてくる莫迦者はいる。
「ねえねえ、疱瘡の現場ってどんな雰囲気だった?」
空気を読まずに近づいてくるのは、絶賛減給中の天祐だ。天敵の李医官のげんこつをかいくぐりわざわざやってくる。
「死んだ人は解剖した?」
「皮膚の表層だけでなく中まで膨れ上がっている?」
「破裂したりしない?」
どこまでも自分の好奇心を優先して妤に話しかけるので、猫猫はそっと李医官を呼んできて激しいげんこつを落としてもらった。
「別に答える必要ないですよ」
疱瘡の遺体など下手に解剖でもしようものなら、感染が恐ろしい。たとえ一度疱瘡にかかっていたとしても必ずしももう一度かからないとは断言できないのだ。
「はい」
妤は強い。何せ後宮にも二年間務めた経緯がある。天祐くらい気にせずやっていくだろう。
「実は、何体かは腑分けしたそうです」
「……そうなんですか?」
意外な答えに猫猫は驚く。
「最初の子どもの遺体を……」
「どうでしたか?」
妤は首を横に振る。
「特に変わったところはなかったみたいです。私も深く追求する立場でもないので」
「そうですか」
腑分けした医官としては気になるところがあって、やったのだろう。どうやって感染したか気になるはずだ。
(本当にどこから感染したのか)
猫猫は気持ち悪さが残るまま、仕事を続ける。
気持ち悪い疑問が解決されるのは意外にも早かった。
仕事終わりに劉医官に呼び出された。神妙な面持ちで猫猫を呼び出すので身構えてしまった。
(なにか、私がやらかしましたでしょうか?)
妤が帰ったことを見計らっての呼び出しだ。
「克用という男について、信用できるか否か、もう一度聞きたい」
「……医療知識については申し分ないことは劉医官もご存知のはずですけど」
「ああ。それについてはわかっている。ただ、気になることがあってな」
劉医官は険しい顔をしている。
「話によれば妤は、克用と親しいと聞いている」
「はい」
つまり妤に言えなくて猫猫に確認したいことなのだろう。
「克用が何かやらかしましたか?」
「疱瘡の村の最初の感染者について話を聞いているか?」
「子どもで感染経路がまだはっきりしないと。あと腑分けをしてもわからなかったとさっき妤と話していました」
この様子だと妤には知らされていない事実がありそうだ。
「腑分けについてわかったことがある。子どもには刃物で切り付けられた傷があった。詳しい話はすでに本人も家族も死んでいるのでわからなかったが、村人の話によれば遠出をしたときに通り魔にやられたらしい。話によれば似たような事件が他に何件かあったらしく子どもが何人か切り付けられていた。だが犯人は見つかっていない」
「通り魔? 遠出ということは、もしかして……」
「ああ。他の街へと出かけた時だ。そして、切り付けられたというがその傷は皮膚の表層部分だけの軽傷だった」
猫猫は劉医官が言いたいことがわかった。
「気づいたことがあったら口にしてみろ。羅門の教えのせいで、思いついたことをぽんぽん口に出せないのだろう。今はくだらん憶測でも口にしてみろ」
劉医官は猫猫の発言を促す。
「通り魔の狙いは子どもに疱瘡の膿を投与すること。実験か、それとも子どもに疱瘡にかからぬよう処置をしたかったのかはわかりません。ですが、妤は過去に克用によってあえて疱瘡に感染させられ、結果疱瘡に対して抗う体質を得ることになりました。劉医官は、今回の疱瘡の流行は克用が原因だと言いたいのでしょうか?」
「確定はできないが、可能性はある。無作為に子どもを狙ったため確実に感染させることはできず一人だけ疱瘡にかかった。それが重症化し、他の人間にうつしてしまって今の事態になっている。矛盾するか?」
その通りだ。しかし、猫猫とて思うところがある。
「通り魔が出た場所はどこですか?」
「地図は読めるか?」
「はい」
劉医官は地図を取り出す。劉医官がわざわざ確認したのは、地図という物を見たことがない人間も多くいるからだ。
劉医官は都から人差し指を滑らせて北西に移動させる。
「ここだ。歩いて三日はかかる距離だな」
猫猫は、距離としては三十里ほどと推測し、地図に描かれている主要な街の名前を確認した。
「克用という男は、月に数日、花街の薬屋に来てもらう契約をしておりました。普段は、こちらの村にいるはずです。滞在先に老人がいるので、確認してみるといいでしょう」
克用のいた村は猫猫が自分では栽培できない薬草を買いに行っている村だ。都からさほど離れていないので、通り魔が出た場所から同じく歩いて三日ほどかかるだろう。
「おまえの考えでは、克用は容疑者から外していいと考えているのだな」
「はい。可能性は著しく低いのではないかと思います」
「根拠は?」
「理論上不可能ではないですが、わざわざ歩いて三日もかかる距離の場所を選ぶ理由がわかりません。実験であれば多少やましいことがあるので遠くの町でやりたい気持ちはわかりますが、同時に経過を確認しなければなりません。早馬を使えば移動は短縮できますが、克用という男に早馬を使うほど銭に余裕があるようには思えません」
劉医官は静かに猫猫の話を聞いている。
「また子どもが疱瘡にかからぬ処置をするのであればもっと近場で問題ないはずです。何より誰よりも危険性はわかっているはずなので、自分の目が届かない場所でやるとは思えません」
劉医官は顎を撫でて考えている。
「あらかた理解した。では、前提を変えてみよう」
「前提?」
「実験でも、処置でもなく、悪意によってもたらされたものであったらどうだ?」
「悪意」
『悪意』という言葉に猫猫は詰まる。
人間の悪意というものは怖い。なぜなら、自分がいくら損するとわかっていても、相手に損害を与えるためならやらかすのだ。そこに損得勘定など無くなる。
かつて後宮に巣食った悪意は、一つの反乱を引き起こした。結果、その代償として一つの一族が族滅させられた。
「克用は悪意ある人間かどうか、わかるか?」
「わかりません。ですが、今のところ私にとっては平等な立場で接する人物だという認識です」
克用は猫猫に対して銭の取引に細かいところはあれど、極端に吹っ掛けるような真似はしない。猫猫は小柄で女だという理由で、格下に見られることが多いのでそう考えると比較的悪い人間ではないというのが猫猫の評価だ。
とはいえ、猫猫の主観であり断言はできない。
劉医官がその点に厳しいのは、羅門とともにかつて西の地を旅した経験から来たのではないかと猫猫は思う。
変に感情で行動するよりも理性的にあらゆる予測を立てるのは上司としては頼りがいがある。
(主観で考えるな。客観的な視点を持て)
そして、猫猫以上に主観が混ざる相手が妤だ。だから、劉医官は妤を避けて猫猫を呼んだのだろう。腑分けの真実を隠していたのも、このためだろう。
「妤には話さないほうが良いですね」
「言わなくてもわかるだろう」
「念のため確認です」
猫猫は怒られずにすんだことをほっとしつつも、心の隅っこに澱がたまったような気がした。
「もう一つ用がある」
「……なんでしょう?」
やはり何か怒られるようなことをしただろうかと、びくりと反応する猫猫。本当に、本当に何もやらかしてないはずだが――。
劉医官の顔がとても険しかった。
「月の君の体調確認を定期的にやってもらいたい」
「……私で問題ないのでしょうか?」
他にたくさん優秀な医官はいる。猫猫など医官ですらない。
「診察ではないからな」
それでも劉医官が不服そうな顔をしている。劉医官の意思ではなく他の圧力で猫猫を派遣しようとしているのがわかった。
とっさに雀の顔が浮かんだが、雀自身にそんな権力はない。おそらく命令を下せるのは、かなり上の人物であり五本の指にも満たない人しかおらず、雀ができるのは告げ口くらいだ。
「かしこまりました」
猫猫は劉医官に頭を下げた。