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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
疱瘡編
377/389

十四、飢餓状態


 猫猫マオマオは変人軍師邸にいた。


 正直行きたくないが、行かねばならなかった。


「あなたが絡んでいたのね」

「絡んだというか絡まれたというか」

「いつもそれじゃない?」


 猫猫を出迎えたヤオは呆れた顔だ。


 今日は、姚も燕燕も休みで猫猫も特別に休ませてもらった。医官手伝い三人がまとめて休みを取るのはどうかと思われるかもしれないが、仕方ない。なんなら皇弟の命と言われたら、リュウ医官も「けっ」と唾を吐くような顔をして了解してくれた。老医官ことラオ医官は疱瘡の最前線に向かったので、劉医官に色々申請を行わなくてはいけない。


 猫猫としては早く老医官に帰ってきてほしい。


「ともかく、こちらにどうぞ。基本は私と燕燕エンエンが診ているわ。近いうちに羅門ルォメンさまが来るらしいけど」

「いつ来るかわかりますか?」


 猫猫も羅門に会うことはあまりない。基本、後宮に在中しているからだ。宦官は女官ほど後宮の出入りに厳しくはないが、新しい上級妃が来たことややぶ医者が頼りないことで、外出を控えているのだろう。


「さあ、数日中みたいなことを聞いているけど」


 猫猫はむうっと顔を歪める。羅門には会いたいが、変人軍師には会いたくない。どうしようかと悩んでいる。


「じゃあとりあえず病人はどこですか?」

「私たちの離れの近くよ。燕燕エンエンが今食事を用意しているんだけど……」

「だけど?」

「あの子、本当に良家のお嬢様なの?」


 信じられない顔を向ける。


「ええっと、年齢は十四、栄養失調気味の娘が一人入っているはずですが」

「確かにその通りだけど」


 姚は視線を離れのほうへ向ける。


「いけませーん!」


 燕燕の声が聞こえた。普段、大声など上げることがない彼女の叫ぶような声に猫猫は目をぱちくりさせる。


 猫猫たちは速足で病人がいる離れへと向かった。


 そこには慌てた顔の燕燕が大きな鍋を持ちあげていた。梔子ジーズーは燕燕の体にすがりつき、鍋を取ろうとしている。口の周りには粥がべったりとついていた。


「深窓の令嬢というより、飢えた野生児なんですけど」

「そのようですね」


(そういえば)


 梔子は飢えすぎて庭の蛙を食べようとしていた、と話に聞いていた。


「もう少し思慮深そうな子に見えたのですが」

「どこがよ」


 この間猫猫が会ったときは栄養失調と毒によってかなり弱っていた。ただ弱っていて抵抗することがなかっただけのようだ。


「見ていないで、なんとか、してください!」


 燕燕が言った。


 猫猫たちは慌てて梔子を燕燕から引きはがす。あの大人しかった娘が嘘のように獣のような唸り声を上げている。


「ごはん、ごはん、ちょうだい!」


 梔子の声は幼く、でも切迫した声だ。はだけた寝間着から見える浮いたあばらや、枝のように細い手足を見ると腹いっぱい食べさせてやりたくなる。


 猫猫、姚、燕燕だってそうしてあげたい。そして、もう一人食料を誰かに配ることに関しての玄人プロもこっそり見ていた。


「食わせてやんねえのか?」


 羅半ラハン兄がはらはらした顔で言ってきた。背中に抱えた籠の中には根菜が入っている。


「食べさせてやりたいのはやまやまですが、だめなんですよ」

「どうして?」

「飢餓状態で急に栄養を与えると死ぬんです」

「死ぬの⁉」


 羅半兄は籠から蕪を取り出そうとしていたが、そっと片付けた。


「ええ。昔、兵糧攻めにあった城があったそうで――」


 兵糧攻めにあって飢餓状態が続き、ようやく解放されたとき飢えた者たちはがっつくように粥を食べた。そして、ばたばたと死んでいったらしい。


 おやじに聞いた話だ。姚や燕燕にも文で指示を出している。燕燕は忠実に役割を果たしていたのだ。


「与えられた粥に毒を盛られたとかじゃないのか?」

「いいえ。ゆっくり粥を食べた者は生き延びたそうです。どういう原因かはわかりませんが、おなかがびっくりしたの最大級でしょうか?」

「おなかがびっくりで死んだらたまらねえんだけど」


 羅半兄はそっと蕪が入った籠を見えない場所に置いた。梔子のぎらぎらした目は周りに食べ物がないか探している。


「というわけで、今の状態でがっつくように食べ過ぎたら死にます。少しずつ量を増やしますので我慢してください」


 だが、梔子は猫猫と姚に押さえ込まれながらも粥が入った鍋に手を伸ばす。


「いまたべないと、いつたべられるかわからない!」

「食べられます! 二時よじかん後に昼餉を出しますから!」


 燕燕の言葉を信じられないでいる。梔子はまだ餌付けが完了していない野良犬のようだ。それだけ彼女が長年ひどい目にあってきたのかがわかる。


(これは見捨てられない)


 猫猫は甘くなったなと思った。飢えてがりがりの子どもなど世の中にはいくらでもいよう。いちいち助けては猫猫のほうが野垂れ死にする。だから切り捨て見なかったことにしていた。


 今、こうして見捨てずにいる理由としては、少なくとも梔子一人なら助けられるからだ。


 猫猫は懐からするめを取り出す。


「これを噛んで我慢していてください」

「あっ!」


 梔子は猫猫からするめを取るといぬが骨を噛むようにかじり始めた。


「ふう」


 燕燕は粥の残りを持っていく。


 羅半兄も余計なことを言ったなと思ったのかそそくさと去っていった。おそらく燕燕がいたので野菜を貢ぎに来たのだろうが、それどころではなかったわけだ。


「じゃあ、ゆっくり寝ていてね。ごはんのときは起こすからね」


 梔子は聞いているのか聞いていないのかわからないがするめをひたすら舐めている。問診したいところだが、もう少し落ち着いてからのほうがいいだろう。


 病人の部屋の前には椅子と卓が置いてあった。自然と猫猫と姚はその椅子に座った。


「監視しているんですか?」

「ええ。あの様子だもの。昨晩は炊事場に向かっていくところを捕まえたわ」


(どうしようもない問題児だ)


 猫猫は申し訳ないと思うが、姚はまんざらでもない顔をしている。


「姚さん」


 猫猫は燕燕がいないことを確認する。几帳面な彼女のことだからちゃんと鍋を綺麗に片付けてやってくるだろう。


「この屋敷にもうずいぶん長くいるかと思います。何か思うことはありませんか?」

「ずいぶん遠回しに言うのね」


 姚は大きく伸びをした。


「私だって、よくわかんないの。わかんないんだけど、引くに引けずにいるわけ。そして、今更どうやって出ていこうかと考えて……、でもなんだか悔しくてできなくて」


 猫猫も大きく伸びをする。普段だったら逆の立場だろう。猫猫にチュエが問いかけるように聞くのだ。


(雀さんが代わりにやってくれればいいのに)


 猫猫は思うが、雀はやらないだろう。雀は猫猫だから言ったのであって、姚に対して言うことはあるまい。お調子者で誰にでも愛想がいいが、猫猫以上に人間関係を合理的に処理するところがある。


 そして、姚もまた雀のことを知らない。彼女の言葉に耳を傾けるとは限らない。


 猫猫は自分の言葉もまた姚に届くのかと冷や冷やした。でも、姚は姚なりに昔よりも成長していた。


「どうせ猫猫のことだから気づいているでしょうけど、正直に言うわね。今回、梔子さんが来たことを喜んでいる自分がいるの。すごく手間がかかるし大変だけど、彼女がいることで私がここにいていいんだって思ってしまう。私はどうしようもなく、幼くて汚い考えの人間だわ。手間がかかるとぼやきつつ、梔子さんが駄目であればあるほどいいとも考えちゃう」


 姚の声は小さい。奧の部屋の梔子に聞こえないような大きさだった。


 姚は堂々としているようで自信がないらしい。だから、自分に自信が持てるよう依存先を求めているようだ。ただ本人が自覚している以上問題ないと猫猫は考える。


 姚の自信のなさはどこから来ているのか。猫猫は心あたりがあった。


砂欧シャオウの巫女の件か)


 姚は以前、砂欧の巫女の毒見役をやった。結果、巫女たちの企みのせいで内臓を悪くし、今も味が濃いものは食べられないはずだ。


 姚は利用された。悪くない。だが、政治的な判断により彼女は汚名を着せられることになった。


 生き残った砂欧の巫女は、表向き死亡扱いだ。リーにとどまり、今後表舞台に現れることはない。


 結果、姚は毒見に失敗し他国の要人が死んだということになっている。姚の容態も一時生死を危ぶまれたことがあったため、表立って責める人はいない。だが、誰よりも責任を感じているのは姚だ。


(私は何も言えない)


 猫猫が真実を口にすることはない。口にできたらいいのに、絶対にしてはならないことだ。


「猫猫が言いたいことはわかっているつもり。梔子さんの体調が良くなったら、私もこの屋敷を出ていくことにするわ」

「そうですか」

「でもまだ燕燕には言わないでちょうだい。ゆっくり健康を取り戻すべき梔子さんを急かすような真似をしかねないから」


 姚は燕燕に対しては冷静に見ている。姚もずっと変わらずにいるわけではない。


「姚さんはちゃんとやっているかと思います」


 猫猫はこう伝えることしかできない。


 彼女はまだ十七だ。いろんな道があったはずなのに、叔父への反発から医官手伝いになった。


 正直、汚いし臭いしきつい。他の官女たちが花嫁修業として宮廷で働くのとは真逆の道を歩んでいる。すぐに音を上げることもなく今も続けており、今も外科技術を教えてもらうために訓練しているはずだ。


「姚さんはもっといろんな場所にいったほうがいいですよ。いろんな人にあっていろんな経験をする。医官手伝いとしてそれこそ世の女性よりも多くの経験をしているかと思いますけど」


 今の場所では姚は自分が優秀なことなど気づかないはずだ。正直、他の部署に行けば一気に重要視されるだろう。


「猫猫みたいに飛び回らないわ」


(そうとらえたか)


 姚は医の道から離れるつもりはないらしい。


「私は、まあ、色々便利屋みたいなところがありますので」


 猫猫としてはもう少し落ち着いていたいのだが、どうも飛び回ってばかりいる。今回は、疱瘡関連なので呼び出しを食らっていないが、また何が起こるかわからない。


 姚に対してもう少し踏み込んだ話をすべきかと迷ったが、これくらいでやめておくことにした。変に踏み込みすぎて失敗する。猫猫がよくやらかすことだ。


「今、どこかへ飛んでいるさんは大丈夫でしょうか?」

「疱瘡の現場だったわね。妤はかからないって聞いたけど」

「……ええ。一度かかっているようですから」

「疱瘡にかかったことがあったから、ずっと長袖を着ていたのね」


 姚は大きく息を吐く。


「私も一度かかれば連れて行ってもらえるかしら?」

「やめたほうがいいです。安全に疱瘡にかかる手段はないのですから」


(今のところ)


 猫猫はにへら顔の顔半分隠した男を思い出す。克用コクヨウもまた妤たちと同じ場所に向かったはずだ。


 克用の師匠がやった方法で疱瘡にかかることができれば大きいのに。


 それが可能であれば、今ほど苦労はしていない。


(一度、克用に文出してみるか)


 返事がくるかわからないが、医官たちの定期連絡とは別の視点で話が聞きたいと猫猫は思った。



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― 新着の感想 ―
>「あなたが絡んでいたのね」 >「絡んだというか絡まれたというか」 >「いつもそれじゃない?」 姚、"名探偵”が行く先々で、本人の意思とは無関係に「殺人事件」に遭遇するのは"お約束”ですから(笑。 …
「なんなら」って、確かに元々の使われ方ではないけど、この言葉が使われている事によって文章に躍動感が生まれるんだよなぁと思った。調べてみたらやっぱり最近は会話のテンポをリズミカルにするためによく使われる…
”なんなら皇弟の命と言われたら” ”なんなら”が、不要です。 意味不明ワードを用いるべきではありません。
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