十二、まじない
「いやあ大変なことになりましたねぇ」
のんきな口ぶりなのは義妹の雀だ。
麻美たちは豪の屋敷を出て、猫猫を宿舎に送り届けたあとだ。
馬車を降り、月の君の宮へと向かう。
「どうしますかぁ? 月の君への報告」
「持ち帰ると言った以上、報告しかないわねえ」
麻美は大きく息を吐く。ここで猫猫が何か反応をしてくれればいいが、そこまで麻美に強制できるわけでもない。その手の誘導は、麻美よりも雀のほうが向いている。だが、雀はさっさと猫猫を帰してしまった。
「雀さんのことだから、猫猫さんを月の君の元まで連れていくと思っていたのに」
「猫猫さんは明日も仕事ですからねぇ。それに雀さんとて思うところはあるんですよぅ」
「思うところ?」
麻美と雀は、雀が結婚する前からの知り合いだ。なので二人きりになるとつい元の友人のように話をしてしまう。
「月の君が猫猫さんに意見を聞こうとしたらどう思いますかぁ? 麻美さんとしては、馬琴さんに形だけでも妾にしろという女の扱いを任せると言われたらどうですぅ」
「あーー」
麻美は納得した。
「すっごい嫌だわ」
「ですよねぇ。あくまで相手の意見を尊重して話を聞いているってのが向こうの言い分なんですけどぉ。雀さん的には責任転嫁にしか見えませんよぅ」
「うんうん。それそれ」
男にとってはちゃんと相手を尊重している。女にとっては責任転嫁している。互いの立場や考えに違いがあれば、すれ違いは生じる。そして、そのすり合わせは、相手の立場を理解していても受け入れられるとは限らない。
「別に猫猫さんならどっちでもいいと思うんですよぅ。正直、当人としては利点もよく理解していると思います。末摘花の君が何を考えているかと考えると悪くない手と思わなくないんですよねぇ」
「そお? 色々面倒くさいことのほうが多いと思うんだけど」
雀はあまり大きくない目を細める。
「末摘花の君は旦那さんが十年生きるかわからないって言いましたねぇ」
「ええ。まさか旦那さまに毒でも盛ろうと?」
二人は小声で話しているが、具体的な名前を出さない。どこの誰に聞かれているかわからない会話なのだ。
「奥方がやらなくても、誰かがやると思いません?」
「誰って……、あとは息子かもしくは」
「娘という自分を引き立たせる道具が無くなったお妾さんはどうするんでしょうか? 新しく小動物でも飼い始めますかねぇ」
雀は麻美よりも人の心の闇に詳しい。
「今度はあの妾が旦那に盛るとでもいうの?」
「はい、実はあのお妾さんが例のお宅に来る前のことを調べていたんですけどぉ」
雀の諜報能力は麻美よりもずっと高い。
常識外れなのに能力が高い義妹には少しだけ嫉妬してしまう。ただ同時に、自分の子どもを抱こうともしない雀に比べ、麻美がちゃんと子育てができるのは幸せな証拠なのだと思っている。
「猫猫さんの鼻はすごいですねぇ。本当に妓女でしたよ。それに、当時から薬にも詳しかったみたいですねぇ」
雀はぽてぽてと独特の足音を響かせながら話す。
「生薬に詳しい妓女で、美しさも合わさって人気者でしたよぅ。特に常連客は彼女に三日あけずに通ったという話ですけどぅ」
雀は人差し指を唇の前に置く。
「何かおまじないをしていたんでしょうか」
「おまじない?」
「西方の夫が浮気をしないおまじないですよぅ。毎朝、夫の食事に遅効性の毒を少しだけ入れて、夜に帰ってきたら解毒剤を与える。浮気して夜に帰らなければ体調が悪いままというわけですねぇ」
雀は西方の知識に詳しい。
「もっとも毒ではなく麻薬を使う手もありましょうよ。そうすれば、三日も待てずに通うようになりましょうねぇ」
雀の推測に麻美はひやりと汗をにじませる。
「ある時、花街に凄腕の薬師が来るようになってからというもの、客足が落ちてきたようでその後、身請けされたようですねぇ」
「それって……」
「ええ。猫猫さんのおやじさん、羅門さんが花街にやってきた頃ですねぇ。彼女は色々やらかしていたんでしょうけど、まともな薬師がやってきて当時落ちぶれていたとはいえ緑青館という大店にいたらやましい商売ができなくなったと考えていいでしょうねぇ」
雀は腕組みしながら「うんうん」頷く。猫猫の生い立ちについては麻美もさらっと知っている。猫猫が妾のことを知らなかったところを見ると、物心つく前なので記憶に残っていなかったはずだ。
「なんでそれを猫猫さんの前で言わなかったの?」
「言ったら助けてしまうでしょう?」
雀の言い分に麻美は詰まる。誰をと言えば、豪のことだ。
「猫猫さんは憶測を口にしたくないはずですよぅ。ここで憶測が確信に変わることを話すと困りますよねぇ」
きっと妾は豪が逃げないようにおまじないをかけるに違いない。どんな種類のおまじないだろうが、豪はだんだん弱っていくはずだ。
猫猫は悩むだろう。正直に答えを出すべきか、だまっておくべきか。
「雀さんは汚れ役嫌いじゃないんですよぅ。潔癖でいようとする莫迦がどんな者か知っていますからねぇ」
雀の右手が使えなくなった理由は、罪人を法の下で裁くことにこだわった者の責任だ。
「十年持てばよいですねぇ」
奥方が娘とともに妾を追い出そうとしない理由がわかった。
そこには相手に対する好き嫌いなどはなく、ただ妾の存在を道具として扱っているのだ。
最初から奥方に情がなかったわけではなかろう。ただ少なくとも今は全くない。
そうさせたのは豪自身だ。
「末摘花の君は本当にしたたかですよぅ。まだ息子さんは頼りないですが、夫君に比べるとしっかりしておりますし、欲をかかなければしばらくは安泰でしょう。玉の一族はそこまで好戦的ではないですから、外野をうまく抑えればいい話です」
そんな話をしているうちに月の君の宮に到着した。
部屋の前では、愚弟こと馬閃がいた。
「月の君は帰っているかしら?」
「はい」
馬閃は部屋へと案内する。
月の君は仕事の残りらしき書類に目を通していた。水蓮がいないのは夕餉の準備をしているからだろう。
「麻美か。どうだったか?」
「はい」
麻美と雀は報告する。水蓮がいないためか、雀が茶々を入れて話すことが多い。
月の君は予想通り奥方の提案に頭を抱えた。
「豪の奥方はやり手だな」
「どうしましょうか?」
麻美は月の君の返事を待つ。彼が断わっても受け入れても何にも問題ない。皇弟という立場はそれだけの権力は持っている。
「どうするかな、治療法は猫猫に詳しく話を聞こうか」
「はっ?」
思わず麻美は声を上げた。
「どうした?」
「いえ……。つまり豪さまの娘を受け入れるというのですか?」
「そうしないとその娘とやらは近いうちに死ぬだろう?」
いやそうかもしれないが、麻美の中ではふつふつと怒りがわいてくる。
「他に方法はありませんか? 別に月の君が引き取らなくても、娘と妾を離せばよいことでしょう」
利点が多少なりともあるということでとりあえず持ち帰ることになった話だが、思わず麻美は言ってしまった。
「月の君は猫猫さんに自分の厄介ごとの種をまかせようというのですか?」
「姉上!」
馬閃が麻美を止めるが知ったことではない。
「大体、皇太后も皇太后です! なぜ当人が引き受けないのでしょうか? 厄介ごとを月の君に押し付けるのはおかしいでしょう?」
月の君は息を吐いた。
「豪は皇太后、母上の話などまともに聞くと思うか? 豪にとって母上は皇帝の母以前に、妹だぞ」
「ですが」
確かに豪という男は、思い込みで行動するところがある。皇太后は、元々妾の娘であったためより下に見ているはずだ。
「だが俺は甥である以上に、皇弟だ。俺の話なら聞くと思って話を持ち込んだ」
「ですが、ここで豪さまを調子づかせるようなことをするのはどうかと思います」
「だが猫猫だったら、娘を見捨てるより救うほうを選ぶだろう?」
麻美は口をぽかんと開け、月の君を見る。
「麻美の言いたいことは十二分にわかっている。豪に調子づかれなければいいのだろう?」
月の君は大きく伸びをする。
「その様子だと俺が形だけでも妾として養うとでも思っていたのか?」
「違うのですか?」
豪の奥方の口ぶりは完全にそのように聞こえた。
「母上は姪っ子がかわいそうだと思ったのだろう。麻美は母上が過去にどんなことをやらかしていたか忘れたか?」
「どんなこと?」
皇太后といえば慈悲深い人で有名だ。後宮内に先帝のお手付きの居場所を作ったり、新たに宦官にする手術や奴隷制を廃止したりしている。本来、皇太后という立場であっても簡単にできることではないが、これはあくまで皇帝が母親の意をくんでやったことだ。
とはいえ、結果どうなったかと言えば――。
先帝のお手付きを集めたことにより、子の一族の反乱に協力する。
宦官の高齢化、これは後宮を縮小することで今のところ問題はない。ただ追加の宦官は異民族の奴隷として去勢された者だけなので集めるのは難しい。
奴隷制度の廃止。表向きはなくなったが、形を変えて行われている。数は減ったが、よりあくどい方法が出回るようになった。
慈悲深いことが必ずしもいいこととは限らない。
時代が時代なれば悪女と呼ばれただろう。だが、同じ時代に息子を傀儡にした女帝と、国を傾けようとした女狐がいる以上、皇太后はかすんでしまう。
麻美はこれまでのやらかしを考えると、姪を一人引き取れというのはまだかわいいほうだと感じた。
そして、月の君は対処法も心得ているようだった。
「栄養不足と毒によって体が弱っている娘だったな。医者も匙を投げる可哀そうな娘をどうにかしてくれと」
「はい」
「つまり栄養をたっぷり与えて医療に詳しい者がおり、なおかつ豪殿でも黙るしかない場所へと送ればいいのだろう」
「あー」
雀がぽんと手を打った。
「ありますねぇ。一か所」
「雀さん、それって」
「新鮮な作物は庭というか畑で作られて栄養が高いですしぃ、なぜか医療関係に詳しい居候がいますからねぇ」
「なにより、元の家から近いだろう」
麻美はどこのことを言っているのかようやくわかった。
「羅漢さまのところへ送ろうというのですか?」
「ああ」
「でも羅漢さまがそんな慈善めいたことをするわけが……」
いや、優秀な人間はどこからともなく引き取ってくるとは聞いたことがある。しかし、豪の娘はただ病弱であり羅漢に見出されるほど才覚があるようにも見えない。
「羅漢さまなら、居候の一人二人増えても気にしなさそうですもんねぇ」
雀は納得する。
「養子の羅半だったか。あいつなら月の君の命とあらば引き受けてくれそうだな」
「ふふふ、違う波乱はおきそうですけどねぇ」
訳知り顔の雀が笑う。
「そういえば羅半兄がまた新しい野菜を育て始めたそうですよぅ。今度、食べにいきましょうかねぇ」
「い、芋ならいらんぞ」
「芋ではなくて実みたいですよぅ。赤い丸っこい実なんですけど、もう時期が終わったかもしれませんねぇ」
雀はぺろっと舌を出す。
雀の反応を見る限り、本当に解決策になるのだろうか。
麻美は思いつつ、やたら心配するだけ損したと思った。