九、末摘花 前編
急ぐということでそのまま出かけることになった。もう真っ暗だが、屋敷は都にあるという。
馬車の中で壬氏は説明を始めた。聞いたことがある話もまじえているのは忘れっぽい猫猫へのおさらいも兼ねているのだろう。
麻美と雀は違う馬車に乗り、馬閃は馬でついてきている。いうまでもなく雀の計らいだろう。
残念ながら猫猫と壬氏は完全に頭を仕事に切り替えているので、雀が思うような展開にはならない。
「皇太后とその実家の関係は複雑だ」
皇太后は前当主の妾の娘で、今の当主は異母兄だ。豪という名前だが猫猫はすぐ忘れそうだと話を聞きながら思った。
元々は染物を広く扱う商家で、百年ほど前に宮廷御用達となりその伝手で一族の男たちは官になることがあった。禁色の黄丹も皇太后の実家が作っていたそうだ。
成り上がりと言えば成り上がりだが、時がたてば歴史になる。先帝の時代にはしっかり中堅の家柄として扱われるようになっていた。
衣の類も扱い、その流れで後宮関連の事業にも手を出すようになる。後に現帝を産むことになる幼い安氏を送り込んだのも、その情報網を利用したのだろう。
現在確固たる地位を築いた家のはずだが――。
「前当主のことを女帝は警戒しており、皇族の外戚にふさわしい役割につけても『字』を与えられることはなかった」
「はい」
つまり名持ちの一族ではない。
「今の当主の豪は皇太后と仲が良くない。むしろ悪い。文のやり取りは豪と直接ではなくその奥方とかわしていることのほうが多いそうだ」
「はい」
本来ならもっと大きな顔をしてもいい家柄だが、思ったほど権力を振るっていないのには理由があった。
(それでも宮廷内をかき乱す程度には力はあると)
「仲が悪いなら皇太后さまも首を突っ込まないという選択はなかったのでしょうか?」
「言うな。何よりこのまま知らぬふりをすれば犠牲になるのは、妾の子とその母親になる。どうしても自分の境遇と被るのだろう」
たしか皇太后も妾の子だ。
「助けろと言われましても、限度がありますよ。冤罪ならともかく明らかに殺意がある場合私は何もできません」
正直、容疑者として一番怪しい。
「その場合は仕方ない。ただ真実はどうなのか。確認してもらうだけでいい」
「そう簡単にわかればいいですけどね。ところで今回、私はどんな役回りでいればいいのでしょうか?」
「ああ、うん。蟲毒に詳しい者とだけ伝えているが、まあそろそろごまかしても無駄かなと思っている」
「……」
「あとおまえは嫌がるが、正直軍師殿の名前がちらつくほうが色々便利なのだ」
「わかっていますとも」
そんなこと重々承知だ。
面倒くさいなあと猫猫は思いながら外を眺める。
馬車に乗るほどでもない距離に屋敷はある。困ったことに変人軍師の屋敷からさほど遠くない位置だ。
都は広いがどうしても住む場所は限られる。高官が住む屋敷は同じ場所に集められるので近いのは致し方ない。土地の関係もあるので、どうしても後から造られた屋敷は他と比べて小規模になりやすい。
連れてこられた豪の屋敷は、決して狭くはない。ただ、皇太后の実家という肩書の割にはあまりに普通であった。
門には紅花とくちなしを合わせた紋がある。
二つとも生薬として使われることもあるが、染料の印象が強い。黄丹は赤みがかった黄色なので、紅花で赤、くちなしで黄色、二つを混ぜて作っているのだろう。
曲がりなりにも皇弟が来るということで門にはずらりと出迎えの列が並ぶ。
(男系とか言っていたな)
確かに若い娘はいない。いたとしてもあからさまに使用人とわかる服だ。女たちが壬氏に対してどんな目を向けているかは省略させていただく。
五十路ほどの痩せた女がいた。顔色が悪いのに鼻だけは赤く紅を塗っているようだ。一番良い衣を着ているのはその女で、奥方なのだろう。
もう一人三十半ばくらいの美女がいる。控えめに後ろに立っているが、衣は奥方に次ぐ上等なものを着ていた。使用人にしてはずいぶん垢抜けしている。
「夜分遅くに失礼する」
壬氏が声をかけるのは四十いや五十くらいの男だろうか。身なりと立ち位置からして一番偉そうなので当主の豪だとわかるが、どうにも威厳が足りない気がした。理由としては顔が幼く見えるからだろう。ひげを生やせばいくらか上に見えるだろうが、体毛が薄いのか生やしていない。
(こういうところで皇太后と血筋を感じるとは)
皇太后も童顔だった。
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。本来ならば内々で解決すべきことなのにお手を煩わせるような真似を。いやあ、昔から安氏は心配性で」
まるで皇太后と仲が良いような言い方だ。当人としては良好に見せたいのだろう。
「とりあえず中へどうぞ。冷えますので温かい食事を用意しました」
「夕餉は食べてきた。それよりも早く用事を済ませよう」
豪の顔が一瞬歪んだ。
良くも悪くもわかりやすい人だと猫猫は認識する。おそらく皇太后を後宮へと送り込んだ先代当主は頭が切れたのだろう。だが息子には剃刀のような切れ味は見られない。でなければ、皇弟が直々に屋敷にやってくることに対してこうも気楽に構えないだろう。
(親は教育を間違えたなあ)
一代で富を築いたものは三代までに財産を食いつぶすと聞くがこやつもその例に漏れないのだろうか。
最近見た中では西の玉の一族も似たようなものだが、あちらにはまだ優秀な息子娘がたくさんいる。
豪は一瞬猫猫を見て、不愉快そうな視線を送ったがそれ以上は何も反応しなかった。壬氏のいう通り、変人軍師という札は良くも悪くも人除けに使えるのだ。
「では案内いたしますが、病人がいる棟なので月の君はこちらでお待ちいただけたら」
「呪われた壺を持ってきた時点で何を言うか?」
「あれは安氏がやったことですので」
(はいはい)
猫猫は豪という男にも強みがあると思った。幼く整った顔立ちだが面の皮自体は分厚い。後日、呪いという言葉を伏せて、皇弟がやってきたことだけ吹聴するのが目に見えてわかる。
(皇太后も厄介なお方だ)
あえて壬氏を派遣せずともよいのにと猫猫は思う。
「失礼のないよう案内するように」
豪は呪われたと言われる場所に近づきたくもないのか、別の案内をつけた。案内人は豪をさらに若くしたような二十代半ばくらいの青年だ。童顔の血筋を考えるともう少し年齢は上なのかもしれない。
「來と申します。父に代わりご案内いたします」
息子のほうはある程度わきまえた態度で、自分を誇示するような真似をする気はないようだ。
(名前忘れそうだなー)
「ここにいるときくらいは名前覚えておいてくださいねぇ」
雀が耳元でささやく。お見通しだった。
猫猫はいつもの癖で屋敷の中を観察してしまう。月明かりの下でよく見えないが、ふとつんとした臭いがした。
(畑の臭いだ)
猫猫はすんと鼻を鳴らして漂うほうを見る。立派な牛舎があった。
「あれはなんでしょうかねぇ」
猫猫に代わり雀が訊ねてくれた。
「牛舎です。先の帝が後宮内の移動に使われていた牛を賜りました。孫の世代がいます」
今の帝は遅すぎて牛車など使わない。体よく押し付けられたなどと猫猫は口にしない。
その後、來は特に話をすることもなかった。普通なら自慢の庭の紹介や家の歴史など話してくれる。暗くてよく見えないから話していないだけかもしれないが、それにしても静かだ。雀がしゃべりたくてうずうずしているのを麻美が肘で小突いている。
父親はでしゃばりだが、息子は聞かれたことしか言わない。顔立ちは父親似だが、性格は奥方にでも似たのだろうか。
猫猫にとってありがたいが、これから豪の跡継ぎとしてやっていくには周りに食いつぶされないか心配になる。それとも他に兄弟がいるのだろうか。
(中庸って難しいもんだな)
やはり三代で家は潰れるかなどと勝手なことを考えているうちに、目的地に到着する。
「こちらです」
軒下へと案内する。明かりを向けて見えやすいようにしてくれた。北側、じめじめした一画に一尺ほどの大きさの穴が掘られていたようで地面の色が変わっている。その周りに四角いあとがついており何か置かれていたようにも見える。
「ここに壺がありました」
猫猫は壬氏のほうを見る。壬氏は好きなように話を聞けと手の平をひらひらさせた。
「地面に埋めてあったのですか?」
「はい。地面に壺が埋めてあり、その上にあちらの棚が置かれていました」
棚は少し離れた場所に移動されていた。野外用で庭仕事用の道具などが置かれている。
(地面を掘る道具はそこから拝借すればいいと)
じめじめした離れの軒下。普段はあまり人が来ることはなさそうだ。来たとしても道具を置いている庭師くらいだろうか。
「どうやって見つけましたか?」
「偶然です。猫が泥だらけで何をしたかと思っていたら、ここで穴を掘っていたのです」
「猫がですか?」
「はい。猫は従姉妹の娘が入内したので我が家で引き取りました」
庭師の動向にさえ気を付けていれば誰だって壺を埋めることは可能だ。
「この離れに誰かが住んでいると聞きました。お会いすることは可能でしょうか?」
「……病弱な年齢が離れた妹がいます。まだ年齢は十四で、聡明な子ですが食が細く外に出ることもめったにありません」
「一度、容態を確認してもいいでしょうか?」
來は壬氏を一瞬見た。
「せっかくだ、診てもらえ」
「わかりました」
皇族の提案を断るわけにはいかない。
「私はここで待たせてもらおう。男が女性の部屋に入るのはよくなかろう」
壬氏は部屋の前で立ち止まる。女側としてはよくできた男の配慮だ。実際は、変に顔を出して気に入られたら困るという、なんとも壬氏らしい理由だ。
(うん、嫌味でしかない)
「では隣の部屋でお待ちください」
壬氏は隣の部屋で待機し、猫猫には雀が付く。
「入るぞ」
來が戸を開けると、二人の女がいた。
一人はまだあどけなさが残る顔色が悪い娘。
もう一人はさきほど門で出迎えてくれた一人で、三十代くらいの美女だった。
(やっぱりお妾さんだったか)
母娘はよく似た顔立ちをしている。これで病弱でなければ、豪は後宮に娘をつっこみたかっただろう。
部屋は暗い。明かりを灯して白い顔が浮かんでいるようにさえ見える。
視覚情報が少ないためか、猫猫の鼻はより過敏に反応した。ろうそくから蜂蜜の甘い匂い、急須から薬湯の匂いがした。成分は眠りを誘うものだろうか。
あと美女になつかしさを感じる。
(花街出身、身請けしたってところだなあ)
装いは質素になっているが、着こなしや空気はなかなか変えられるものではない。薄暗いと妓女の閨の姿を思い起こさせる色気があった。あえて突っ込む必要はないので黙っておく。
「月の君のお連れのかたが梔子を見てくれるそうだ」
(梔子!)
大変いい名前だ。梔子はくちなし、染料として使われるが生薬としても利用される。
(そういやお土産に何かもらえないかな)
紅花でもくちなしでもどちらでもよい。
「そのかたが?」
妾の美女は猫猫をじっと観察する。
「皇弟君の太鼓判の薬師ですよぅ。なにか疑いでもあるんでしょうかぁ?」
雀がにこにこしつつ脅している。
「滅相もありません。ですが、この子の病は今までどんな医者にかかっても治らず……」
妾は娘をそっと抱きながら嗚咽を漏らす。
娘は生気のない目で自分を抱く母の腕を握る。
「それでも診せてください」
猫猫は梔子の手を握る。脈を取り、目や舌も確認した。
「……」
舌を確認するときに、梔子からかすかに乳の匂いがした。
「……すみませんが、お茶を一杯いただけますか?」
猫猫は薬湯の匂いが漂う急須を指した。
「では入れなおしますね」
「いえ、そのままで結構です。安眠効果があるとても良い匂いがします」
猫猫は鼻をすんすんさせる。
「いえ、こちらは出がらしですので。お湯も沸いておりますし新しい物をご用意します」
「ありがとうございます」
猫猫は薬湯をもらう。
(やっぱり)
湯飲みを一気に飲み干した。
「娘さんの病状にあった薬を用意しますので、後日こちらに来てもよろしいでしょうか?」
猫猫は來のほうを向いて言った。
「私としては願ってもない話ですが……。あの――」
來は妾と娘を見ている。
本題は呪いの壺ではないのかと言っているようだ。
「そちらについては後日話したいと思います」
猫猫は湯飲みの底に残った茶葉を揺らして言った。