七、呪いの壺 前編
猫猫は雀の案内で壬氏の宮へと案内される、かと思った。
馬車でついた場所は、壬氏の宮の近くの倉庫だ。かがり火に照らされた先には、壬氏と馬閃、それから麻美がいた。他にも顔見知りの護衛たちがいたが、いつも通り名前を憶えていないので省略させていただく。
(夜分遅くに失礼しまーす)
倉庫の中は、意外と暖かった。明かりがともされ、火鉢がいくつもおいてある。ただ換気が不安なので、猫猫はそっと窓や入り口に隙間があることを確認する。
「呼び立てしてすまなかったな」
壬氏は簡易の椅子に座り、怪しげな壺を見ていた。宮ではないができるだけ過ごしやすくしようという周りの努力が見える。倉庫の中に小さな部屋のような空間ができていた。
「早速で悪いがこちらを見てくれないか?」
ちらちらと猫猫に視線を送るが、今はそんなときではないと軽く首を振ったりする。
「これはきちゃない壺ですね」
「汚いといいつつ触ろうとするな」
壬氏は猫猫の手をはじく。
「触らねば中身はわかりません」
「そういうのは別の者に任せるというのがあるだろう?」
両掌の載る大きさの壺だ。しっかり封がされており、札のようなものが蓋に幾重にも貼られている。札には呪詛が書かれてあり、絵に描いたような呪われた壺だった。
呪物の類を宮に持ち込むことは、水蓮が許さなかったのだろう。だから、こんな倉庫でやっている。
「中身は?」
「まだ調べていない。液体が入っているようだ。蟲毒の類ではなかろう」
「まあ液体になるほど放置したらいやですねえ」
猫猫も飼育していた蛇を放置してしまったことがあった。その時は、干物になっていた。
「血液とか入れているんでしょうか?」
「想像するのが嫌なことを猫猫さんはいいますねぇ」
雀がわざとらしく怖がる。
「これが高官の家で見つかったのですね」
「ああ」
「そして壬氏さまの元に持ってこられた」
「ああ」
猫猫は大きく息を吐く。
宦官壬氏ならともかく皇弟の元に呪われた壺を持ってくる御仁。よほど図太くなければやれることではない。普通なら不敬であると思うはずだ。
(一人、やらかしそうなのは心あたりがある)
けれど、その人物ではないだろう。猫猫が真っ先に思い浮かんだのは変人軍師だった。壬氏に対して嫌がらせのためならもっと趣向の違うことをやりそうだ。あと自分に害がある行為をしたのなら、直接手を下すのが変人軍師だ。壬氏の手は借りないだろう。
(となるとー)
消去法で考える。
「……皇太后のご実家の関連でしょうか?」
口にすべきか迷ったが、今更だ。壬氏は返事をしない代わりに大きなため息をついた。
あと馬閃の反応がわかりやすいくらい動揺していたので確実だろう。
「軒下に埋めてあったそうだ。飼っていた猫が見つけたらしい」
「賢い猫ですねえ」
猫猫は懐から手ぬぐいを取り出し、右手に巻く。
「どうする気だ?」
「調べろと言われてもこのままでは何もできません。とりあえずこれなら触れてみてもいいでしょうか?」
「しかし――」
壬氏はもの言いたげな顔をしている。雀は面白そうに、麻美は馬閃に手ぬぐいを差し出す。
「私がやりますよ」
馬閃が手ぬぐいを手に巻いて言った。
「私は呪いなどに負ける軟弱な体をしておりません」
「いや、そうだが」
壬氏も猫猫も不安な顔をする。こういう時、なんというのだろうか。何か旗がひらひらと立っているように見えた。
「馬閃さまがやるくらいなら私がやります」
「いえ、猫猫さん。さすがに我が愚弟でもこれくらい……」
麻美の発言を待たずに、ばりんと音がした。
馬閃の手には割れた壺があった。気まずそうな顔をした馬閃。
「手ぬぐいごしで力の加減が……」
「この愚弟が!」
麻美のかしこまった顔が鬼の形相に変わり、馬閃の顎に拳がさく裂する。他の護衛たちは、止めるべきか否か考えていた。
「馬閃さまに壊れ物は駄目ですね」
「ああ。わかっていたが、わかっていたが」
壬氏も頭を抱える。
猫猫はしゃがみこみ、割れた壺とこぼれた液体を確認する。
「猫猫さん見えますか?」
雀が明かりを近づけて見やすくしてくれた。
「はい、助かります」
中身は黒っぽい液体。独特の臭いがする。血液ではないようだ。
「……」
「おい!」
液体に指を突っ込んだ猫猫を壬氏が止めた。
「呪われたらどうする?」
「呪われませんよ。ただ呪いよりも厄介ですね」
猫猫は指先についた液体を嗅ぐ。茶の臭いがした。
「案の定、毒物。正しくは熟成途中の毒物でした」
それは濃く煎じた茶だった。