六、食堂
友だち価格。克用は資料を銀十枚にしてくれた。
猫猫としては、もっと値切りたかったが、上級医官たちは銀五十枚支払うのだ。あまり欲をかいたらいけないのだと自重した。克用とはまだしばらく仲良くしていたいという打算もある。
上級医官から写しを見せてもらうという方法もあったが、できるだけ早く確認したかったのと克用の書いた原文を読みたかったというのもある。
克用は金にうるさいが、守銭奴ではない。ただ金銭というわかりやすい指標を使い、相手が自分をどう評価しているか確かめているに過ぎない。
ふざけた話し方の男であるが、医療知識は深く論理的な考え方もできる。相手が譲歩しているからといって不当な値切りを続けているとある日突然消えてしまうことも少なくない。
克用のような自分にひどい仕打ちをした人間に対しておおらかな者は、優しいというわけではない。人に執着が少ないからこそできるのだ。そこは肝に銘じておきたい。
猫猫は克用の資料を見ながらふむふむ頷く。上級医官たちから写し終えたので猫猫の手元に来た。宿舎の食堂で読んでいる。自室ではないのは、自室よりも明るく寒くないからだ。銀十枚の出費は大きいので、明かりの油と火鉢の炭は節約したい。
「猫猫さん、それは?」
長紗がのぞき込んできた。
(閲覧料取りたいけど)
後輩官女の給料は猫猫よりもさらに少ない。飯を作ってもらう回数も長紗のほうが多いので見せてやることにした。
「疫病関連の資料です。今後、役に立つかもしれないので一緒に見ますか?」
「いいんですか?」
ぱあっと顔を明るくする長紗。素直な子だ。
(花街にやってくる娘たちとは違うなあ)
花街にやってくる時点で売り飛ばされている娘ばかりだ。貧しい農村出身だったり、急激に落ちぶれた商人の子だったりする。結果、ひねくれても仕方ないと猫猫は思う。性格が良い子もいるが、下手に常識を持つと仕事が長持ちしない。
妓女になる子が性格悪いという意味ではなく、長紗が恵まれているという意味で比較した。
克用は意外に達筆だ。あとところどころに異国語が走り書きされてある。
(こういうのが見たくて原文を読みたくなる)
克用の師匠は異国人だと聞いたことがあるので、克用の医療用語に異国語がまざっていると想定した。
「疱瘡かあ。妤は大丈夫でしょうか?」
「心配しても仕方ないので私たちはやれることをやりましょう」
「そうですね。そういえば」
長紗は少しもどかしそうだ。気分を切り替えようと別の話をし始める。
「姚さんと燕燕さんはいつもどおりと言いたいところですけど」
「けど?」
「先日、燕燕さんと口論になって珍しいなと思いました」
「口論」
猫猫はどんな理由で口論になったか察しがついた。
「もしかして男性関係のことでしょうか?」
「はい。姚さんってとても不器用な人ですよね?」
「あっ、わかりますか?」
猫猫は思わず長紗に同意してしまった。
「ええ。姚さん、羅半さんというかたが好きですよね?」
完全に図星すぎて猫猫は姚が不憫になった。
「好きというかまあ。ってか名前まで知っているんですね」
姚本人がまだ恋心と認識しているかどうかはわからない。
「はい。燕燕さんがよく漏らしていました。鬼のような形相で。あと二人がぽつぽつ漏らす内容で大体把握しています。大胆ですよね。好きな人の家に理由を付けて住み着いているの。口論の内容もそろそろどうにか引っ越しましょうという話題でしたね」
猫猫はそうですよねえとうなずく。
「あと燕燕さんは姚さんのことしか眼中にないですよね。時折、やってくる燕燕さん目当ての人を見るも無残にぶった切っています」
「うんうん」
ふと羅半兄の顔が浮かんだ。本名『漢なんたら』さんだ。
「姚さんも下手ですよね。相手に近づくために相手の屋敷に住み着いたとしても、そこで愛が芽生えるような相手なんでしょうか? 普通ならうるさくて邪魔だと思います。まあ、姚さんは家柄もあるしお金もあるし見た目もいいから、関係ない男性陣から見たらうらやましい限りですけどね。当人からしたらたまったものではありませんよ」
(いや素直な子、撤回)
先輩の駄目なところを客観視し、ずけずけ言ってくれる。試験に合格しただけあって頭がいい子だ。
「本人の前で言ってあげましたか?」
「言えるわけありません」
長紗は首をぶんぶん振る。
「でも互いのためにもちゃんと気持ちを伝えて玉砕するか、それとも恋心に冷めてしまうかどちらかにしないと終わらないと思いますね。てっとり早く第三者が口を出してくれたらいいんですけど、姚さん頑固だから難しいですよね」
猫猫も同意する。
「燕燕さんが直接姚さんに言うわけないですし、言ってもはねのけられそうですね。遠回しに引っ越しの話で喧嘩するくらいですし」
実際には喧嘩にもなっていないだろう。燕燕はひたすら姚に対して後悔していそうだ。
「あと問題解決にはもう一つ道筋はありますけど、可能性は一番低いですし」
「あー。相手と両想いになるってことでしょうか?」
「ええ」
ないない、と猫猫は首を振る。
「でも羅半さんというかたが根負けすることもあるかもしれませんよ?」
「燕燕という世にも恐ろしい小姑が付いてきますけど?」
「それは怖い」
こうして話しているうちに、食堂も人がまばらになってきた。宿舎の小母さんがそろそろ出て行ってくれないかと目で訴えかけている。
「さて、そろそろ寝ましょうか?」
「はい」
猫猫は席を立って、資料を抱える。
すると、独特の足音が近づいてくることに気が付いた。
「こんにちはぁ」
これまた独特の語尾は雀に他ならない。
「こんにちは、の時間じゃありませんよ。もう日も暮れているのに」
猫猫は厄介な空気を察する。
「長紗さんは寝ていてください。明日も早いですよね」
「すみません」
長紗は気になりつつも、部屋へと向かう。
「では今日は何事でしょうか? また馬閃さまでも観察しますか? こんな夜中に出歯亀はないでしょう? 何より馬閃さまが夜中に女性を誘い出すなんて器用な真似はできるとは思えませんけど」
「ええ、さくっと夜這いやあいびきができる義弟であれば、雀さんも苦労はしないんですよぅ。もう一度練習として緑青館に連れて行っていいですかぁ?」
「絶対やめてください。暴れて建物壊されたらやり手婆にぶん殴られます」
あと賠償金をいくらふっかけてくるかわからない。
「残念。今日は義弟くんの話じゃないですねぇ。ちょっと問題がおきまして、今日は月の君のところに来ていただきたいのですねぇ」
「どんな問題か聞いてもよろしいですか?」
壬氏はここのところ猫猫を呼び出す回数が減った。けがの治療はもう言い訳にできないし仕事も忙しいのはあるだろう。ただ一番の理由は本人がけじめをつけたいからだろうか。
なので猫猫を呼び出すにはそれ相応の理由があると察した。
食堂には他に官女はいない。宿舎の小母さんも空気を読んでか、席を外している。
雀は猫猫の耳元に口を近づける。
「とある役人の家の軒下から呪いの壺が見つかりましてね」
「おや、懐かしい話題ですね」
後宮時代は日常茶飯事に聞いていた話だ。
「ええ。そして役人の娘がどんどん弱って困っているところなんですよぅ」
壬氏の元に話がいくくらいだ。役人といってもかなり高位の家柄だと推測される。
「呪いを解けと」
「はい。猫猫さんのいう通り」
「呪いなんてあると思っています?」
「ふふふ。それは心の持ちよう。猫猫さんには呪いなど存在しなくても、他の人からしたら呪いとしか言いようがない出来事もありますよぅ」
もっともだ、と猫猫も思う。
「毒の可能性はありますか?」
雀はにんまりと笑ったままだ。
「来ていただけますねぇ?」
「しかたないですね」
猫猫はそういいつつまんざらでもない顔をしてしまう。
自分の悪いところだと思いつつ、猫猫の変えられない性質だった。