十一、説明と同意
どこから漏れたのかはわからない。むしろ、隠すのがうますぎたほうだろうと猫猫は思う。
壬氏ですら、確信が持てない様子だったくらいだ。
打ち合わせも終わり、あとは執刀するのみという段階で周りから邪魔が入る。
(珍しい話でもないか)
街中の薬屋ですら、常連客の身内が来て薬を高価だ無駄だと文句をたれた挙句、違う治療法を探すと言って連れていくくらいだ。
(生きているといいけど)
それが国の頂に立つ人物になれば、治療法に首を突っ込まれても仕方ないだろう。
外科手術はよほどでない限り行われない。外傷ならともかく緊急を要すことはわかるが、病ともなると薬で治せというのが一般的だ。
(薬で治んないからやるんだよ!)
猫猫はごりごりと力いっぱい薬草をすりつぶす。
「疲れちゃうわよ」
横から声をかけてきたのは初老の女性だ。医官たちにまざって猫猫が浮かないかと言えば、彼女がいるおかげだろう。
「小母ちゃんは年だから体力配分が大切。あなたも若いからって体力配分を怠るとあとでどっと疲れが出るわよ」
本人が小母ちゃんと自称するように、見た目はやはり小母ちゃんだ。実年齢は五十をいくつか過ぎた頃とはっきり言わなかったが、外見年齢も相応の皺がある。適度に豊かな体型は豊かな食生活を送っている証拠だが、指先はいくら洗っても落ちないほど黒ずんでいた。長年、調薬していた指だと猫猫にはわかる。
通称劉小母さん。どこにでもある名字であるが、医官たちの間で『劉』となると代表的なのは劉医官だ。劉小母さんは、その劉医官の妹である。
「今回は縁故採用が多くなるが恨まないでくれ」
劉医官は言った。
もし皇帝の治療が失敗すれば、関わった医官及びその身内は処刑される。故に、劉医官は関わる医官たちの身内を採用することにした。言うまでもなく、縁故とはいえ劉医官が素人を採用するわけがない。
「ふふふ、実家以外で仕事をするのは初めてだから緊張しちゃうわね。よろしくね、先輩」
劉小母さんは、医術の才能がある人だ。劉医官の実家で長年医療に携わっているだけあって、手つきも慣れている。
しかし、結婚しておらず子どももいないらしい。その理由は黒ずんだ指先が語っていた。医術を下賤の仕事と見る者は多い。汚れた指先だけを見て嫁には不適合と思う者はどれだけいただろうか。
劉小母さんはある意味、猫猫が辿るかもしれない人生の一つを歩んだ人だ。
猫猫がいらいらしているように、他の医官たちもいらだっていた。
「準備は万端だというのに」
「このままでは悪化してしまう」
劉医官の診立て通り、虫垂炎であった場合は時間との勝負になる。
「はいはい。いらだっても問題は解決しない。私たちがやれることをやりましょ」
劉小母さんは適度にひりついた空気を和らげてくれる。年齢的に壬氏のばあやである水蓮を思い出すが、それよりも裏表がない。
(劉医官とは全然似てないなあ)
いや、むしろ性格が似ていないから上手くいっているのかもしれない。でなければ、この場に劉小母さんを呼んだりしないだろう。
劉小母さんのおかげで仕事場の空気がよくなるので、それを見越して劉医官が派遣していたのなら策士だ。
劉小母さんは他の医官たちとすでに顔見知りらしい。
「小母さん、でもなあ」
「うんうん。俺たちだって命かけてるんだけどさあ」
普段、格式ばった言い方が多い医官たちも、砕けた雰囲気になる。
猫猫は茶を用意しつつ、小母さんと一緒に話の聞き手に回る。
手術に反対しているのは、一人ではないらしい。皇太后の実家と玉袁派閥の者が声をあげている。つまり皇太后派、皇后派どちらともの勢力からだ。
「まあ、どっちの声もわかるけどさ」
皇太后派としては、もし手術が失敗したらまだ数え五つの東宮が皇帝となる。その場合、皇后の父である玉袁が摂政となるだろう。
逆に皇后派としては、まだ盤石ではないうちに幼い皇帝を擁立させると、反感を食らうことは目に見えている。何より年齢的に壬氏という皇弟がいるのは大きい。壬氏を皇帝にという声は大きく上がるはずだ。
(どっちにとっても不利益が多い)
大きな混乱がない時代だからこそ求められている。これが乱世ともなれば、わんさわんさと前時代の血筋がわいてきて、玉座は血に染まっていただろう。
(それよりましなのだろうけど)
こうして何もしないのは、悪手でしかないことをどう説明すればいいだろうか。
猫猫は愚痴に近い医官たちの話を聞きながら、茶をすすった。
その日、猫猫の宿舎に見慣れない男たちがいた。立派な馬車が停まっており、宿舎の管理人が怪訝な目で見ている。
「なんでしょうか?」
後輩の長紗が不思議そうな目で見ている。最近、仕事場で会うことはないが、宿舎では二人でかわるがわる食事を作っていた。今日は仕事帰りに食材を買い出しに行っていたのだ。
(雀さんではないな)
雀が壬氏関連で呼ぶときは、もっと気を使う。馬車はもう少し質素にするか、少し離れた場所に停車していることが多い。
「ご同行いただけますか?」
そう言って牡丹の紋を見せる。
(玉葉后の紋だ)
猫猫は男たちの顔をじっと見る。知っている顔がいればまだ安心できるが、生憎そんな顔はなかった。一度は会ったとしても、覚えていない鶏頭の猫猫だ。
玉葉后の使いならついていく。ただ、玉葉后を騙った誰かなら、断りたい。
躊躇している中、馬車から見慣れた顔が出てきた。
「猫猫」
「紅娘さま」
玉葉后の侍女頭だ。
「来てくれるわね」
「はい」
侍女頭が直接来るのであれば、猫猫も断ることはできない。
「長紗さん。一人で夕飯を食べてくれませんか?」
「はい」
猫猫は買ってきた食材を長紗に渡すと、馬車に乗り込んだ。
馬車は予想通り、皇后の宮へと入っていく。
宮の中を歩く途中、紅娘からいくつか聞かれた。
「なんで呼び出されたかわかる?」
「主上のことでしょうか?」
高官たちがやんややんやと手術について口を出している。玉葉后が知らぬわけがない。
「ええ。何を聞かれるのかわかっているのかしら?」
「医官から聞いた説明が本当かどうか。私の口から確認したいのかと」
「ええその通りよ」
「勿論、上司にお伺いを立ててから行くのではだめですよね」
「口裏を合わせられては困るもの」
(私にも私の立場があるんだけどなあ)
猫猫はぼやきつつも、この場で断れるわけがない。
案内された部屋の前には、護衛がいた。紅娘が手をあげると、護衛は扉を開ける。
部屋の中には、長椅子にもたれかかる玉葉后がおり、隣には見慣れた侍女たちの他に、玉葉后に似た髪が明るい娘が一人いた。以前、玉鶯が送りつけたという娘だろうか。
もう一人、目が細い三つ編みをした女性がいた。地味な顔立ちで背丈が高い。紅娘と同年代、三十をいくらか過ぎたように見える。
(西の出身だろうか?)
日に焼けた肌と少し変わった服は、戌西州の人間に見える。
猫猫は深々と頭を下げた。
「お久しぶりね。調子はどうかしら?」
玉葉后から声をかけられてから、猫猫は頭を上げる。
「変わりなくやっております」
「そうみたいね。椅子に座って頂戴」
「はい。ありがとうございます」
猫猫は椅子に座る。
桜花たち三人娘が猫猫を懐かしそうに見る。
「はい、あなたたちは他の仕事。大事な話があるから出て行って頂戴」
「ええ……」
「ええ、じゃないの!」
『はい!』
紅娘と三人娘の関係は健在のようだ。玉葉后は面白そうにそのやりとりを見ている。
三人娘と見慣れぬ異国風の娘は、部屋を出る。見慣れない三つ編み女性は残った。
しっかり施錠をし、誰かが聞き耳を立てぬよう外には護衛が見張りに立つ。
最初に口を開いたのは玉葉后だった。
「紅娘から話は聞いているわね。早速で悪いけど、どのような状態か教えてくれるかしら?」
「すでに薬で病を治すのは無理であるというのが、医官たちの見解です。症状から、虫垂炎であり、病状が悪化する前に外科手術を行い、病巣である虫垂を取ることが必要とされます」
猫猫は考えつつも、正直に答える。劉医官や羅門が嘘の病状を教えるわけがない。教える理由がない。
玉葉后たちの表情を見る限り、同じ説明をされたのだろう。
「病巣を切り取るということは、腹を切るということでしょう?」
「そうです」
「成功するの?」
玉葉后は心配そうに言った。そこに含まれているのは東宮の将来だけでなく、皇帝を案じる気持ちが感じられる。
皇帝と后という関係は、愛だの恋だのいう言葉で決められるものではない。それでも玉葉后に情が全くないわけではなかろう。
「医官たちは最善を尽くしております」
「失敗することもあるのね?」
「……」
猫猫は一瞬考える。
「今の状態なら成功する確率は九割を超えます。ですが、時間経過と共に下がっていくでしょう?」
「下がる理由は?」
「病巣に膿が溜まり破裂することで、違う病を引き起こします。故に時間経過は、死活問題につながります」
猫猫はできるだけわかりやすい言葉を選ぶ。
「では、それ以外の失敗の例は何かしら?」
「手術痕から毒が入り、化膿する場合があります」
「毒を盛られるということ?」
「いえ、膝を擦りむいた時、傷口を洗わずにいると付着した土から毒が体内に入り込み、膿んでしまいます。それと同じです。汚れた手で傷口を触ったりするとよくありません」
猫猫は正直に失敗例も答える。隠したところで、疑われるだけだ。
「最後の質問。医官の診立てが間違いで、虫垂炎とやらではなかったらどうするの?」
「その時は仕方ありません。ただ、開腹が無駄になるということはないでしょう」
直に見ることで違う病巣を目視できればいい。また、腹の中の膿を取り出すことで
いくらか症状は緩和される。
根本的な治療が先延ばしになるが、放置するよりもいいだろう。
玉葉后、紅娘、三つ編み女性は顔を見合わせる。
「私の話は、他の医官の説明とは違うものでしたか?」
「いいえ」
玉葉后は困った笑いを浮かべる。
「最初から口裏を合わせていたってことはないわよね?」
「口裏を合わせていれば、手術が失敗する確率などもっとうまく隠します」
「そうよね」
玉葉后はため息をつくように言うと、三つ編み女性を見た。
「こういうことよ。お父さまにはちゃんと説明してくださるかしら? 姉さま」
(姉さま)
ようやく三つ編み女性が誰なのかわかった。玉葉后の数多いる異母兄姉のうちの一人だ。
「わかりました。ですが、周りがどうかまでは責任をとれません」
「つまりお父さまは納得するということですね」
三つ編み女性は無言だ。
「ふう、猫猫もいきなり呼んで悪かったわね」
「いいえ」
猫猫としても、間違った説明をしなくて良かったとほっとする。
「夕餉はまだでしょう? せっかくだから、食事をしていったら?」
猫猫は腹を思わずおさえてしまう。
(食べたい、食べたいけど)
ここで食べてしまうと、せっかく正しい説明をした意味が無駄になってしまう。
(食事が賄賂と捉えられかねない)
猫猫はぎゅっと唇を噛むと、頭を下げる。
「申し訳ございません。食事は済ませたあとでして」
ぎゅるぎゅると鳴る腹をおさえながら、猫猫は部屋を出た。