十、医療会議
それは、半分予想通り、半分唐突に始まった。
会議室に医官たちが集められた。猫猫は書記官という形で呼び出されたが、集められた顔ぶれを見るに、何の話をしたいのか想像がつく。
劉医官に羅門、長先輩と短先輩。中同輩はいない。代わりにぎょろぎょろとした目の天祐がおり、他に外科手術が得意な医官が集まっている。
(主上関連だな)
猫猫も中同輩と同じように弾かれる立場だったろう。書記官として呼ばれたのは、壬氏のはからいか、それとも羅門の介護のためかもしれない。ただ、普通に天祐がいるのが気になるところだが、技術だけに関しては飛びぬけていることは猫猫も認めている。
猫猫は羅門の隣に座り、帳面に話し合いの内容を書き留めていく。羅門を中心に薬関連、劉医官を中心に外科関連の話だ。
あと、麻酔を研究していた組、術後の薬を研究していた組もあった。
(一応、おやじに翠苓からもらった資料を渡しておいたけど)
役に立つかわからないが、参考くらいにはなっただろうか。
劉医官の卓の前には、古びたぼろぼろの紙が丁寧に並んでいた。修復された華佗の書だ。腑分けした人体が描かれている。医官しかいないこと、入口は施錠されていることを考えて、見えるようにしているのだろう。
「各々、与えられた課題はどうなっているのか説明してくれ」
劉医官の言葉に、まず長先輩が立つ。
「今のところ、薬の有用性は確認されていますが――」
薬を処方した組と、していない組ではわかりやすい差異があった。処方した薬は効いている。ただし、個体差があり処方した組でも治る者と治らない者がいた。治る者は元々症状が軽かったのも理由に挙げられよう。それでも、処方していない組に比べて、悪化する速度は緩まっていることがわかった。
羅門は長先輩の発表を補足する形で話す。
劉医官は予想通りという顔をしている。
猫猫はさらさらと書き留める。すでに知っている内容だったので、書くのは容易かった。
次に麻酔組が発表を始める。生薬を中心としたものの他、酒、鍼や圧迫、冷却法での痛みの度合いを分けて発表する。もちろん、痛みが無くなる方法ほど危険度は高い。曼陀羅華や鳥兜、恋茄子に芥子、大麻など危うい名前が出てくる。
(切開する以上痛みはつきものだが)
問題はどの程度許容できるかだ。それこそ痛みなど気にせずに手術したという豪傑の逸話はいくらでもある。ただ、痛みを緩和するということは、手術中に乱心する可能性を減らす。
(麻酔を薬と捉えるか毒と捉えるか)
判別が難しいところだ。
猫猫は、できるだけ意味を違えないように記していく。猫猫の他に書記をやっている医官がもう一人いるので間違っていたらそちらを参考にしてもらおう。
意外なほど研究が進んでいたのは外科班だった。
「病について、条件に拠るが根本的な打開策が見つかった」
猫猫は目を見開き、食い入るように見る。重大な発表のため、劉医官が発表している。
「病巣が盲腸ではなく、虫垂であった場合、切除することによって再発を防げる。腑分けの結果、盲腸ではなく虫垂が原因とされる場合が多いとわかった」
猫猫は劉医官を食い入るように見る。
「猫猫や」
羅門に小突かれて、書記だということを思い出し、筆を動かす。
虫垂、確か腑分けをしているとき、ぴょこんとみみずのように飛び出た臓器部分だ。
「虫垂を切除しても問題ないのでしょうか?」
質問を投げかける医官。猫猫が聞きたいことを聞いてくれるので助かる。
「比較的、問題ない部位だと言われている。少なくとも、虫垂に膿が溜まりつづけ、破裂した場合、より害が大きい」
腹の中に膿をまき散らされると、他の病を引き起こし死に至る。
劉医官の前に置かれた華佗の書には、その虫垂部分が細かく描いてあった。
「手術は試されたのですか?」
「試している。経過を見る限り八割がた成功した」
「残り二割はどうなのでしょうか?」
「一割はすでに虫垂が破裂し腹膜炎をおこしていた。虫垂を切除し、散らばった膿はできるだけ取り除いたものの、それが原因で死亡している。あと一割は、手術痕から毒が侵入し化膿、容態がよくならず死亡している」
二割、その数字は高いとみるべきか低いとみるべきか。
(安心できる数字ではないな)
「虫垂が病巣でなかった場合はどうなりますか?」
「そのときはまた考えねばなるまい」
劉医官の言葉は、時間がないと言っているようだ。猫猫はできるだけ私情を挟まずにまとめて書いていく。
最後に、手術後の処置について説明がある。化膿させぬよう清潔に保つ方法とともに、化膿止めの生薬について説明がある。
(私たちの仕事はもう主上には何もできないのだろうな)
手術をする前提だとしたら、投薬で回復させることは不可能だということだ。
「失礼ながら確認してもよろしいですか?」
麻酔班の医官が手をあげる。
「言ってみろ」
「私たちの研究結果は、誰に使われるのでしょうか?」
質問だが、確認。この場にその『誰』がわからない人間はいないだろう。
「おまえらの想像通りのおかただ」
劉医官は明言しない。明言しないことが正しいのか、それはわからない。ただ、医官たちにはっきり名前を言わないことは、劉医官がやろうとしていることの不安定さを表している。
皇帝に外科手術を行う。つまり、一歩間違えれば毒である麻酔を投与し、腹を刃物で切り分け、内臓を切除しなければならない。さらに手術が成功しても術後の経過も要注意ときたものだ。
(ここにいる全員が関わったとしたら、医局が成り立たなくなる)
ゆえに、手術の詳細を知る者は最低限にしようという考えだろう。
(劉医官とおやじ、ほか数名)
失敗は首を斬られることを示す。場合によっては、九族皆殺しの可能性もある。
(そうなると私も殺されるなあ)
変人軍師や羅半は仕方ないとして、羅半兄はなんとか逃がせないかと考える。
勿論、尊敬するおやじが失敗するなどと考えたくもない。
「あとこれから呼ばれる者は残るように」
劉医官が名前を呼ぶ。呼ばれた者は皆が皆、覚悟した顔だ。
一人飄々とした顔がいるかと思ったら天祐である。
(こいつ、腕だけはいいからな)
猫猫は舌打ちする。
「猫猫」
(⁉)
最後に呼ばれ、猫猫はびくっと動く。長先輩、短先輩が心配そうに見つつも、部屋を退室する。
猫猫もまさか呼ばれるとは思っていなかった。猫猫が作っていた生薬は、手術後にはあまり役に立たない。
きょろきょろしながら、席を立ち、劉医官のほうに近づく。
「どうして呼ばれたかわからない顔だな」
「はい」
「簡単だ。どうせ羅門とは一蓮托生になるなら、他の関係ない奴らを入れるよりおまえを選んだほうが被害は減らせる」
「なるほど」
合理的な判断と言える。
「あと何かあった時、漢太尉を確実に巻き込める」
「なるほどー」
猫猫は半眼になってしまった。
もし、処刑されそうになったら、変人軍師がなにやら騒いでうやむやにしてくれるのを願っているのだろう。
劉医官は食えない人だ。
それから数日、猫猫は今後の手術の流れについて説明を受ける。とはいえ、適材適所ということもあって、使用する生薬を選び、調合するのが主な役割だ。羅門の指示の下、より品質の高い生薬を買い付け、丁寧に処理していく。基本、術後経過班に入れられた形になる。
長先輩たちは引き続き、薬の臨床実験を続けている。容態が悪くなった患者は麻酔をかけられ、手術を受け、その後の経過を看てもらう。
麻酔については、曼陀羅華が使われることはなかった。翠苓が言っていたように危険性が高すぎることもあげられるが、主上ならば完全に痛みが消えなくとも我慢できると考えたからだ。
まだ幼く我が儘で痛みに弱い者であったら、意識があるまま身を切られることは我慢できない。ただ、主上なら我慢していただけると劉医官は踏んだようだ。それだけ、慢性的な痛みが続いている中、表向き仕事に支障をきたしていないのはかなりの精神力に違いない。
滞りなく治療は進むと思っていた。
「手術だと⁉ ふざけるな!」
妙なことを言い出す高官が現れるまでは――。