八、肉食草食
休み明け、猫猫と組むのは長先輩だった。短先輩と交替になる。
「よろしくお願いします」
「おう、よろしく」
短先輩に比べてくだけた口調だが、背が高いので威圧感がある。猫猫と並ぶと、凸凹な印象だが、李白に比べると厚みが薄く細長い。
今日は、宮廷で半日薬作りだ。残り半日はどうなるかと言えば――。
「午後は後宮の仕事もあるのか」
「はい。以前は後宮女官をやっていたものですから」
表向きの理由は、こうなった。
猫猫たちはごりごりと石臼でもち米を粉にしつつ話す。
(翠苓を宮廷に呼ぶわけにはいかないもんなあ)
彼女の顔が割れている場合が怖い。
「なあ、一つ質問いいか?」
「なんでしょう?」
「後宮って、やはり美女ぞろいなのか?」
直球の質問が来た。
「それはまあ、妃は皆お美しいですし、女官たちも」
後宮に入る際、ある程度選別はされている。勿論、猫猫のようなはずれがまじることもあるが、平均以上の子がほとんどだ。
「ほうほう」
「でも、期待するような世界じゃありませんよ」
猫猫ははっきり言っておく。
「おなごがきゃっきゃうふふとたわむれあうような空気ではないです」
時に、毒を盛り盛られ、悪口陰口が飛び交い、髪を掴みあう取っ組みあいの喧嘩もある。あと、同性や宦官との情事にふけることもあるが、曖昧にしておいたほうがいいだろう。
「はっきり言うなあ」
「それは帝の限られた寵愛を奪い合う場所ですから、みんな仲良くお手手つなぐわけにはいきませんもの」
まだ、玉葉后や梨花妃といった上に立つ者たちに良識があったので良い方だろう。
(先帝の後宮とかひどそうだ)
想像するだけで鳥肌が立ってしまう。
「いや、しかしなあ」
長先輩としてはまだ夢を捨てきれないらしい。真面目そうな先輩たちでも話しているうちに俗っぽい面が見えてくる。
こうして話しながら仕事をしていると、ふざけているように見えるが意外と上官たちは何も言わない。医官の仕事の中に、相手の話を聞きながら情報収集する技術が必要だからだ。手元さえ狂わなければ、話しても問題ない。
「そういえば、先日、皇后を初めて目にしたのだがお美しかった」
「お美しいでしょう」
猫猫は少しだけ鼻を高くする。
「そのお身内の娘も美しかった。異国の血を引いているとあれだけ美しい髪になるのだなあ」
「異国人だからとは限りませんけどね。赤毛は珍しいですよね」
猫猫は玉葉后くらいしか、はっきりとした赤毛を見たことがない。戌西州ではそれらしい髪色にすれ違うことはあったが、ほとんど見られなかった。金髪や銀髪よりも少なかったので、かなり珍しい色なのだろう。
「そういや、後天的に赤毛になる場合もあるって知っているか?」
「心的衝撃で白髪になるとかそういうものですか?」
激しい恐怖体験をすると髪が一晩で真っ白になるという話がある。実際はそんなことはないが、心的な影響で白髪が増えるのは珍しくない。
「いや、私が聞いたのは栄養失調だったなあ」
「栄養失調」
となると、毛髪を作る時に必要な栄養が足りないのだろうか。
「足りない栄養は肉ですか?」
髪や爪の栄養源は肉や魚と聞く。
「そうだな。髪の色が抜け、金髪や赤毛になるらしい」
らしいというので見たことがないようだが、面白い話を聞けたなと猫猫は思った。養父の羅門から色んな話を聞いたり、書物を読むことはあるがそれでも知らない話はある。
「面白い話が聞けました」
猫猫は石臼から落ちてくる粉をかき集める。
「他に何かありませんか?」
「先輩に無茶振りするなあ。何かと言われても――」
長先輩は石臼を回しながら唸る。後輩の頼みを聞いてあげる良い先輩だ。
「肉と言えば――」
「何かありましたか?」
猫猫は目を輝かせる。
「ああ。せっかくなんで問答形式でいこうか」
「問答形式ですか」
別に猫猫は勝ち負けにこだわらないのでどっちでもいいと頷く。
「じゃあ行くぞ。昔、他国と戦をしていた我が国が惨敗したことがあった。軍を指揮していた武人は、とても頭が切れ状況を冷静に判断し、物事を判断する人物だったらしい。状況を確認し、勝てる見込みがあって仕掛けた戦だったらしいが、どうして負けただろうか?」
「……そういうのは専門外なんですけど」
猫猫は想定と全然違う話が来て、眉間にしわを寄せる。
「示唆ください」
「もう少し考えろよ」
「専門外ですから」
石臼をごりごり、粉をさらさらかき集めながら話す二人。
「示唆は肉だ」
「肉?」
猫猫は首を傾げつつ、唸る。
(肉、肉、肉……)
(特別な罠にかけられたとかそういうのではないのか?)
肉は関係なかろう。
(栄養状態? いや)
猫猫は手の粉を叩き落とす。もち米の粉は白粉に使えそうなほどきめ細かい白さだ。ぬかが混じらぬよう、わざわざ精米した米を石臼で粉にして使う。
「……ぬか」
猫猫はぱちんと大きく手を叩く。
「わかったか?」
「ええ。その頭が切れる武人とやらは相手の隊の規模を読み間違えたのではありませんか?」
「どうしてそう思う?」
「相手が肉をよく食べる者たちだったからと。敵部隊の規模を知るのに、敵方の排泄物を調べる方法があると聞いたことがあります。肉を主食とする場合と、穀物を主食にする場合。肉食動物より草食動物の糞のほうが多いですから」
繊維質の食物を摂取していた場合は、糞の量が増える。時に二倍、三倍も違う。白米よりも玄米のほうが繊維質は多い。
自分たちの基準で排泄物の量から敵の人数を予測、それが完全な読み違いだったというわけだ。
長先輩は両手で丸を作る。
「他になにかありませんか?」
「なんか探しとくよ」
長先輩は勘弁してくれと石臼をまた回した。
午後からは、阿多のいる別邸に向かう。
「思い出す限りの資料です」
翠苓は猫猫に書き付けを渡す。曼陀羅華を代表とする毒草が並んでいる。
「普通に死にそうな毒ばかりですね」
「ええ。仮にも死を与える薬ですので」
「痛みは感じませんね」
「起きたら痛いですけどね」
翠苓はとことんやる気がない台詞ばかり吐くが記述はしっかりしている。
「一応、砂欧の知識もこちらに書かせていただきました。まだ検証はしていません」
砂欧は茘の隣国だ。砂欧の元巫女を阿多の別邸で匿っている。
「痛みを感じないようにするなら、他にも使える薬物があるのでは?」
翠苓が例を書いていく。
「これは駄目かと」
「なぜです?」
「最初はよく効きますが、依存性があるのと、体が慣れると効き目が弱まります」
猫猫は首を振る。
「それを言うなら毒物使うのも問題でしょう?」
「そうなんですよね」
完璧な麻酔など存在しない。いかに状況にあった、副作用の少ないものを探し出すしかない。
「鍼はどうでしょうか?」
「さすがに腹かっさばくのには無理じゃないですかね。普通に意識を落としてしまうのは?」
「落とした相手は不敬罪で斬首でしょうね」
「我慢してもらう」
「痛みで暴れたら恐ろしい」
「そこをなんとか」
「できても周りが許しません」
「皇族って面倒くさい」
「同意」
後半は猫猫も翠苓もぐだぐだになってしまった。
「たぶん、私たちの話していることはすでに他の医官たちもやっていることでしょう」
翠苓は書き付けをつまみながら言った。
「でも、どの医官もやることでしょう」
「そうですね」
翠苓は部屋の隅から、ねずみが入った籠を持ってくる。文句を言いながら、ねずみを使った投薬実験は始めているようだ。
「薬というのは難しい。量を半分にすれば、眠る時間が半分になるという単純なものではないですから」
「ええ。半端な量は全く効きませんもの」
猫猫も自分の手で投薬実験をしているのでわかる。
「私の個人的な意見を述べてもよろしいですか?」
翠苓がねずみを捕まえ、動きを確認している。
「私は皇帝がどのような人かはわかりません。ただ、痛みに怯え、手術を否定する人でしょうか? 処置方法さえ確立すれば、麻酔はそこまで重要視されない気もします。どちらかといえば、術前か術後のほうが大切かと」
「術前とは?」
術後はわかる。開腹手術のあと化膿して死亡する例は多い。
「帝が手術をする気があるかどうか。周りがその手術を許すかどうか」
「……そこは私たちの仕事の範疇ではありません」
皇帝や壬氏が動くところだ。
「ですね。なので、麻酔のことは私が調べます。貴方は術後の薬について調べたほうが効率いいでしょう」
「わかりました」
猫猫は書き付けを懐に入れる。
(やれることはやる。やれないことはまかせる)
自分でなんでもしようとは思わない。なんでもできると思うほど、傲慢になれるほど実力があればどれだけいいか。
猫猫はため息を吐きながら、離宮をあとにした。