七、命の天秤
翠苓、三年前に族滅させられた子の一族の血族であり、先帝の孫娘でもある人物。
その特殊な生まれと過去の過ちから、公にできず現在は阿多の下にいる。
そんな彼女は、医療の知識がある。人間を仮死状態にする蘇りの薬は、彼女と彼女の師匠が作ったものだ。
その材料の中に、猛毒である曼陀羅華も含まれる。
阿多は上級妃から下り後宮を出ている。現在は都にある離宮で暮らしているが、色々思うところがある。
(住むところが違うだけで、後宮とどう違いがあるのだろうか?)
思ったところで口にできない。
馬車はがらがらと離宮の中へと入っていく。
子どもたちの声が聞こえる。子の一族の生き残りの子どもたちで、翠苓とともに阿多の保護の下にある。
花街で悪戯ばかりやっている趙迂も本来ならここにいる予定だった。しかし、蘇りの薬の副作用で記憶がなくなってしまい、他の子どもたちとは別の道を選ぶことができた。
ここにいるのは、子の一族の記憶がある限り、表には出せない子どもたちだ。
(すっげー長い目で見ないと)
寿命を考えると、阿多のほうが早く死ぬ。阿多が保護した子どもは数人だが、病気や怪我でもない限り阿多より早く死ぬことはなかろう。秘密を保持したまま、最後まで彼等彼女等を見る者はいるだろうか。
その子どもたちの中に、二人の男がいる。いや、男の格好をした女人二人だ。阿多と翠苓だ。動きやすさか、それとも趣味か、二人とも男装することが多い。
「阿多さま、お久しゅうございますぅ」
案内役の雀が挨拶する。
猫猫も同じように頭を下げる。
前回会った時は、阿多と壬氏の関係についての告白だったので、猫猫は微妙な気持ちである。
「久しぶりというほどでもないがなあ」
阿多はそう言いつつ、侍女たちに子どもたちを遠ざけるように説明する。子どもたちは残念そうに侍女たちに連れていかれる。
「移動しようか?」
「はい」
話の内容が内容だけに密談したいところだ。
猫猫たちは離宮の一室に案内される。小さな卓に椅子が四つ、侍女は茶を用意すると部屋から出て行った。
部屋には阿多、翠苓、猫猫、雀の四人だけになる。阿多に座れと合図され、他三人は椅子に座る。
「さて翠に用事があると聞いたが、どんな用かな?」
阿多は足を組み、猫猫に訊ねた。
「翠……の、医療技術を借りたいと思っています」
翠苓と本名を言うのはどうかと思って、猫猫も『翠』と呼ぶ。
「翠はどう思う?」
「私に意見などありません。阿多さまの命に従います」
「つまらん奴だなあ」
阿多は煙管を手に持ち、くるくると回している。煙管を吸うわけでなくただ回したいだけのようだ。壬氏がよく筆を回すのに似ていた。
「翠に具体的にどんなことをさせたいのだ?」
阿多の言葉に、猫猫は持ってきた荷物を出す。薄い木箱で、蓋を開くと紙が一枚入っている。中には、湿気防止の炭と虫よけも一緒に入れていた。
「これは?」
「麻沸散という薬をご存知ですか?」
「……一度だけ耳にしたことがあります。痛みを遠ざける薬、おとぎ話のものでしょう?」
翠苓は言葉を選ぶように言った。修復された紙片を見、黙読しているようだ。
「その薬が実在したとしたらどうしますか?」
「……どうもしません」
「曼陀羅華が入っていると言ってもですか?」
「薬ではなく毒でしょうか? 何に使うんですか?」
猫猫と翠苓の受け答えに、阿多は傍観、雀は茶々を入れたくてうずうずしていた。
「外科手術のためですね」
翠苓は納得した顔で頷く。
「手術の痛みを取り除くために一度、心の臓を止めようというのですか」
「そこまでではありません。意識を失う程度にできないでしょうか?」
「やめておいたほうがよろしいでしょう」
翠苓は乗り気ではない。
「曼陀羅華は猛毒です。患者のため痛みを伴わせないようにするのは至極理解できます。しかし、このように私のような罪人にまで知恵を借りにくるということは、それだけ切羽詰まった状況だと考えられます。どのようなお相手に対して使おうというのでしょうか?」
翠苓は鋭い。そして、翠苓の言葉で阿多は察したようだ。
「ほほう。もしや、あやつの病でも再発したのか?」
(不敬だなあ)
阿多にとっての『あやつ』は皇帝のことだろう。
「当時の病状はどうでしたか?」
猫猫は名前を出さずに聞いてみる。
「体調不良が続いていたのを覚えている。私よりも医官たちの記録のほうが正確だろう。私が語れるとすれば、おばあ様との喧嘩の内容くらいだ」
阿多はしっかり記憶しているようだ。
「女帝とのですか?」
「女帝とは、まあわかりやすくていいだろう。聞きたいかあ? 御年八十をこえてもまだ政の舞台から下りようとしないおばばと、反抗期の東宮だぞ。当時のぎすぎすぶりは私のところにまで聞こえてきたし、毎度愚痴を聞かされる側にもなってもらいたかったが、本当に途中から苦しそうにしていた」
阿多は煙管を置き、茶椀に口をつける。
「どのようなことで諍いがあったのですか?」
「……言っていいものかなあ。まあ、いいだろう。女帝は、晩年に痴呆の症状があったようだ」
猫猫と翠苓はぴくっと反応する。雀だけは菓子に手を付け始めていた。
「それでは政など」
不可能ではないかと猫猫は思った。
「いや、極端に何もかも忘れてはいない。たまに、危うげなうっかりがある程度だったのだが――」
「危うげな事態でもあったようですね」
「ああ。十八年前の戌西州といえばわかるだろうか」
「……」
(どうしようもない話やんけ!)
昨年、猫猫たちが奔走しまくった話だ。
「当時、戌の一族の謀反について文書が届いていたらしく、何かの手違いで皇帝の是の印が押されていた。その件で、陽……いや、今の皇帝が女帝の異常に気付いたのだ」
(怖い怖い怖い)
たとえ身内であれど、常に顔を合わせているわけではない。何より、国の最高権力者ともいえる人物に苦言を申す者などいない。いくつか兆候があったとして、提言できるはずがない。
祖母が実権を握り、実父は傀儡、そんな中東宮としてなんとかやろうとしていたのなら、心的負荷は半端なかろう。
「でも一度は症状がなくなったのですよね?」
「ああ。いいことか悪いことかわからないが、女帝、そして先帝と次々に亡くなられたのだ」
つまり心的負荷の原因が取り除かれたことになる。
「戴冠など忙しかったが、仕事の引継ぎは意外と楽だったようだ。あと、喪に服す期間に療養できたようだ」
「一応聞きますが」
「安心しろ。暗殺の類ではない」
「ですよね」
女帝は高齢だったし、先帝も六十を過ぎていた。自然死の線を信じたい。
「再発したとすれば、また何か悩みの種ができたのかな」
「悩みの種……」
猫猫は女帝以外の皇帝の身内を思い出す。一人いる。皇弟の肩書でありながら、一年も蝗害対策に奮闘していた人物がいる。
(実子とあらば気が気でなかろう)
翠苓は、大きく息を吐く。
「なおさら、私の知識ではお役に立てるとは思えません」
改めて断ってきた。
「私の命なら聞くのではなかったのか?」
「阿多さまの命で尊きおかたに毒を盛ることはできません」
「毒ではありません。用法を守れば薬です」
「阿多さまを陥れる者がいるかもしれません。そのときはどうするのですか?」
翠苓の話も一理どころか何理もある。阿多の離宮関連は調べられると危ない要素がてんこ盛りだ。ただでさえ、妃を廃されたというのに、後宮の外で囲われているという不思議な状態なのだ。
(派閥によっては政敵と見なされてもおかしくない)
猫猫は言い方を変えることにした。
「麻沸散を必要とする患者は他にもいるでしょう。その患者のために、使うというのならどうでしょうか?」
現在やっている投薬実験と共に、外科手術する際に使えないか試すこともできよう。そこに危険性があれど、痛みで何の処置ができないのに比べたらましかもしれない。
(帝と市井の民の命)
猫猫にとって思うところはあるが、目を瞑るしかない。
「やってくれるか?」
「……わかりました」
阿多から念を押され、翠苓は了承するしかなかった。