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薬屋のひとりごと  作者: 日向夏
華佗編2
353/387

六、麻

 仕事をしているうちに同僚たちとは少しくらい世間話はする。


 短先輩は、代々医療に携わる家系で否が応でも医官試験を受けさせられるらしい。


「正直地獄」


 変に才能はあるのに、適性がないとなると難しい。


「ご愁傷様です」


 猫猫マオマオはそう言うしかない。


 薬の実験場となった診療所で、二人は役割分担をした。


 血が駄目な短先輩と蕎麦が駄目な猫猫なので、互いに苦手な分野を補うことにしている。内科の治療なのでそうそう血を見ることはないのだが、厠に行く途中誤ってこけた患者がぱっくり額を割ったことがあったので猫猫が診た。


 代わりに偽薬を作るのは短先輩に任せている。


 一見、しっかりしていそうな短先輩だがこうして弱点を見つけると妙に親近感がわいてしまう。






 診療所、初日勤務を終えて猫猫は宿舎へと帰る。宿舎の前には待ち構えていたチュエがいた。


「どうも猫猫さん」

「どうも雀さん」


 猫猫は雀が何のために来たのか理解し、彼女が手招きする方へと向かう。案の定、馬車が置いてあり、そのまま乗ることになる。






 猫猫が連れて来られたのは、書庫だった。壬氏の執務室とさほど遠くない位置にあるが、規模はそれほどでもない。


「失礼しますよぅ」


 雀に続き中に入ると独特のじめっとした空気が心地よい、紙の匂いが充満する空間である。


 人はほとんどいない。入口に一人と奥で作業している者が一人。何の作業をしているかと言えば、紙を水のようなものに浸し、くっついた頁を剥がしているようだ。


「修復作業中だ。邪魔をしないように」


 後ろから声が聞こえた。誰かと思えば壬氏だった。後ろには護衛として高順ガオシュンがついている。


(珍しい)


 高順は帝付きになったと聞いた。なのにこうして壬氏についているということは、何か思惑があるのだろう。


 とはいえ、猫猫の興味は別のところにある。


「例の書が復元できたのですね」


 猫猫は目を輝かせながら聞いた。


「まだ途中だがな」


 壬氏はこちらに来いと手招きするのでついていく。


 一枚一枚並べられた紙があった。ぼろぼろでしみや字の滲みが見える。人体らしき絵も描かれている。


「……おお」


 猫猫は目をまんまるにする。


 病や怪我、薬のことが書かれているが、一番大きいのは腑分け図だ。事細かに人間の内部が描かれている。


天祐ティンユウの先祖とか言ってたな)


 妙なくらいに血縁を感じてしまう。


「……」

「……」

「……」

「なんか喋ってくれ」


 じっくりと書に魅入る猫猫に壬氏が言った。


「すみません」


 とか言いつつ、目線は修復された書に釘付けのままだ。


「これは面白い書です」

「俺にはつまらんが」

「道徳をわきまえていないぶん、派手にやりちらかしていて、だからこそ面白い結果を得られています」

「人間としてどうなのか?」


 壬氏は呆れながら相槌を打つ。


 時代としては百年くらい前だろうか。書には生きた人間の腹を割いた記録があった。


「患者は奴隷ですかね?」

「その可能性は高い」


 人の腹を割くなど到底考えられぬ。皇太后が現帝を産むときに、腹を切開したのは最悪皇太后が死んでも仕方ないからやらせてもらったのだろう。


 猫猫は同じ部屋に壬氏と雀、そして高順しかいないことを確認する。雀が静かだなと思っていたら、高順からやたら長い飴を貰っていた。食べかすが落ちない物を選ぶのが高順らしい。


 顔ぶれを見るに、猫猫はどこまで話していいものか考える。しかし、今更巻き込まれたくないなどと言える立場でもなかったなと思い出した。


「主上のご容体は今、どうなのですか?」

「おまえはどう思う?」


 質問で返されたのが答えだ。


「……あくまで私の知見です」

「お約束の台詞だな」


 猫猫は自分の見解を答えだとは思っていないので仕方ない。あくまで予測なのだ。


「……主上は、盲腸炎ではないかと推測されます。理由は、現在宮廷の医官たちが盲腸炎の薬の効果を確かめているからです。また、盲腸炎であっても慢性的なものではないかと推測されます」

「なぜ、慢性的なものだと思う?」

「薬の効果を確かめるには時間がかかります。急性の盲腸炎であれば、今更投薬実験を行う時間などないはずです。もしくは、一度盲腸炎になってから治り、また再発の危険性があるのなら、調べることもあるでしょう」

「正解は後者だな。主上は一度盲腸炎とやらにかかっている。その時は、投薬で治った」

「では、現在そのときの症状が出ているとでも?」

「その点につきましては、私から説明します。当時、私が主上の補佐に入っていましたので」


 高順が一歩前に出る。


(主上の補佐ということは、壬氏が後宮に入る前か)


 ということは、まだ代替わりをする前だと言える。


「当時、東宮であられた主上は腹痛、吐き気、発熱の症状がありました。当時の首席医官に心的負荷ストレスが原因の盲腸炎だと言われ、煎じられた薬を飲みつつ、食事形態を変えることで落ち着きました」


 盲腸炎の原因は色々あるので必ずしもそれとは言い切れない。だが、当時の首席医官が言う位なので、それだけわかりやすい強い心的負荷がかかっていたのだろうか。


「心的負荷の原因はわかりますか?」

「はっきりどれとは言えませんが、主上は東宮として父である先の帝よりもその母君と議論することが多かったかと」

「……」


(そりゃ心的負荷だわ)


 猫猫は実際先の皇太后こと女帝を見たことがないのでよくわからないが、逸話を聞く限り只者でないことはわかる。


 巷の噂では女帝の晩年は東宮であった現帝との諍いも多かったと聞く。


「あと小猫シャオマオが聞いてどう思うかわかりませんが」

「なんでしょう?」

「その時、主上の側についたのが羅漢ラカン殿でして」


 猫猫は口をあんぐり開ける。


「ろくでもねえ」

「猫猫さん、本音がこぼれてますよぅ」


 雀が飴を食べ終えたので、高順がもう一本渡す。義父と嫁の関係は良好らしい。


 しかし、聞いてみれば頷ける話だった。変人片眼鏡は十七年、いや十八年前に西都から中央に戻って来た。そこから出世するためには、大きな後ろ盾が必要となる。そこに自分よりも若く女帝と対峙する東宮がいれば肩入れすることで勢力を強めることは考えられる。


 なにより後宮爆破など好き勝手やりすぎている男がなぜ無罪放免なのか疑問だった。


(主上の弱みを握っていたか)


 妙なくらい辻褄があった。


「むしろ心的負荷の原因はその片眼鏡の中年だったのでは?」

「意見は控えさせていただきます」


 高順は逃げた。


「では現在主上はその当時と同じ症状を抱えているわけですね」

「はい。リュウ医官、カン医官が問診を行う限りではまだひどい状態ではなかったのですが」


 漢医官、おやじこと羅門ルォメンのことだ。


「まだ治る気配がないと」


 高順は頷く。


 投薬を続けて治る気配がなければ、外科処置をしなくてはいけない。


(玉体に傷をつけるか)


 猫猫でもわかる。それはたとえ手術であっても死を覚悟しなくてはいけない。成功しても何を言われるかわからない。変ないちゃもんを付けられて死罪にされかねない。


 相手が天上人である以上、皇太后の帝王切開とは重さが違いすぎる。


 猫猫は無意識に頭を掻いた。


 養父である羅門もだが、劉医官のような立派な医官がどうしようもない理由で罰せられることがあってはいけない。


 この華佗カダの書に、画期的な治療法でも書かれていないだろうか。もっと修復が進めば何かありそうな気がする。


(悠長に待ってられない)


 猫猫ができることは限られる。でも何か出来ないだろうか。


「主上に何かあれば国中が荒れるだろう」


 壬氏のつぶやきはもっともだ。東宮はまだ五つにもなっていない。摂政になるとすれば、玉葉ギョクヨウ后の父、玉袁ギョクエンになる。


 遠い西の地の血筋を持つ東宮を嫌う臣下も多い。ならば、同い年の皇子である梨花リファ妃の男児を皇帝にしたいと考える者も多かろう。それ以上に、担ぎ上げられるとすれば――。


 齢二十二、皇帝とは同母の兄弟である壬氏だ。


(荒れる。めっちゃ荒れる)


 壬氏が玉座に興味がなくとも、周りが黙ってはいない。


 そして、昔と違い猫猫も落ち着いていられない。


(なにか、なにかないか?)


 少しでも、何かあったときに、役に立てるように。


 猫猫はまた書を凝視する。


「おい、猫猫」


 壬氏が声をかけるが、今は何か掴める藁がないか見るだけだ。


 その中に滲んだ字を見つけた。


「麻……」


 猫猫は目を細める。


 どうにか滲んだ字を解読しようとして、想像力を働かせて、その字を読んだ。


「麻沸散」


 そう読めた気がした。猫猫はぎゅっと拳に力を入れる。


 原材料らしきものが書かれているが、これまた字が滲んでよく見えない。材料のいくつかだけ


「なんだそれは?」

「名前だけは聞いたことがあります。神医が作ったとされる伝説の麻酔ですね」

「……作れるのか?」


 壬氏は猫猫が何をしたいのかわかったようだ。


「わかりません。材料はほとんど読み取れず、効用もどこまであるかわかりません。でも、私は一人これに詳しい人を知っています」

「誰だ?」


 猫猫は笑った。


 唯一読み取れた原材料には『曼陀羅華マンダラゲ』と書かれてあった。



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― 新着の感想 ―
このストーリーぞくっとしてわくわくが止まらない。麻沸散かあ。華佗を尊敬していた華岡青洲が出てくるなんてね! すっげえ! 
[良い点] “昔とは違い猫猫も落ち着いていられない“か… あの偉い人は大変だな(私は関係ない)スタンスの娘が ここまで思うようになるとは! 壬氏様、頑張ったなぁ!
[気になる点] こんな感じで、白娘々も出てきて、寺から出れるんだろうか? まあ、まずは、ノッポの姉ちゃんからと。
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