五、記録
羅門の指示の下、猫猫たちは市井の診療所に通うことになった。とはいえ、四人が四人ずっと張り付くのは無駄である。すでに看病する人員はいるし、薬も宮廷の医務室で作る方が効率いい。
「二人ずつ交替でいいだろうか。診療所では記録と患者の看病を、宮廷ではいつも通りの薬作りを」
まとめてくれるのは長先輩だ。こういう時助かる。
「まずは猫猫と私からだな」
最初に、猫猫は短先輩と組むことになった。基本、先輩後輩の組み合わせで行き、たまに入れ替えを行うということで決まった。
「よろしく頼む」
「よろしくお願いします」
短先輩は長先輩に比べると口数は少ないが、優秀なのが見てわかる。三十を過ぎたくらいで、おそらく同年代の長先輩より知識は豊富だ。薬の作り方も丁寧で、そつが無い。手先が器用そうなので、外科手術も得意そうだ。
(手術もできそうなのに)
こうして薬師の真似事をしているのは、猫猫と同じく薬が好きなのだろうかと思っている。
顔立ちは凡庸で背が小さいことから、某算盤眼鏡を思い出すがこちらはまともな大人である。
「さて、行こうか」
「はい」
宮廷から移動する場合、荷物もあるので馬車を用意してくれる。歩いていけない距離ではないが、途中繁華街を突っ切ることもあり、掏摸に遭うことも少なくない。武官ならともかく身なりの良い文官が歩くと、かもにされてしまう。
猫猫たちは診療所につくなり、持ってきた薬の補充をした。
「早速、看病に入りますか?」
猫猫は袖が邪魔にならないように紐を用意している。袖をくくりつけて動きやすいたすき掛けにする。
「いや、その前に記録から確認しようか」
短先輩は記録が書かれた冊子を手にする。
猫猫はのぞき込む形になる。木簡ではなく紙で保存されているのは、書かれてある内容が多いからだろう。だが、あまりいい紙を使っていないのか毛羽立ちが見えた。
(やぶ医者から安く売ってもらえー)
患者の名前は書かれていないが、年齢や体格、職業など事細かに書かれている。
「最初はずいぶん多かったようですね」
投薬実験を始めたのは一か月ほど前のようだ。患者の数は三十人ほどだった。今はその三分の一しかいない。診療所の広さの割に人数が少ないと思ったが、そういうことだったのかと猫猫は納得する。
「虚言でやってきた者がいたようだな」
「いそうですね」
薬の開発のためとはいえ、無料で治療が受けられて衣食住を約束される。募集されている病と称してやって来る者もいただろう。
「あと薬では対処しきれない者も出て行っているな」
「ええ」
猫猫たちは患者の病状を見ていて、大体何の病か気が付いた。腹痛にも色々種類があるが病状によって何か判断できる。
「何の病気だと思う?」
「……盲腸炎ですかね」
「私もそう思う」
冊子には明確な病名が書かれていない。あくまで似たような傾向の患者を集めただけで、必ずその病気と限らないからだ。
「盲腸炎」
猫猫は何度か薬を処方したことがある。その時の薬は、今ここの診療所で患者に与えられている薬と同じ物が多い。
(盲腸炎かあ)
猫猫は唸る。
その名の通り盲腸と呼ばれる部位の炎症だ。薬で症状を和らげることはできるがあくまで対症療法だ。軽い症状なら良くなる者もいるが、ひどくなると、炎症部分が膿んで体内に毒をまき散らすと言われる。そうなると、他の病を併発し死亡率は高い。そこまで行くと半分以上は死ぬと聞いた。
盲腸炎、壬氏が持ってきた華佗の書を思い出す。
(盲腸炎か)
壬氏は皇帝が血縁由来の病ではないかと疑っていたが、猫猫はそう思わない。
近親婚が多く行われていたのは、先々代の皇帝の時代までだ。先代皇帝の母は女帝、身分の低い家の者であり血縁ではない。現帝の母である安氏も元は皇族ではないはずだ。
華佗の時代からの血の流れで同じ病気になったというよりも、たまたま同じ病気になったと考える。盲腸炎ならそこまで珍しくない病だ。
(早く書の復元できないかな?)
時間がかかっているようだ。
華佗の書については待つとして、今の仕事をしなくてはいけない。
「何の病であれど、私たちの仕事をするか」
「はい」
猫猫は短先輩の言葉に従う。
まず、全体の確認。病人たちを簡単に診てまわる。
部屋は二つ。五人ずつ分けられているが、投薬組と偽投薬組に分かれているわけではない。
(さすがにそのままだとおかしいよな)
投薬の際、違う薬を与えないようにしないといけない。
食事は一日三回。粥といった消化にいい食べ物ばかりだ。汁物の具材も細かく刻まれじっくり煮込まれて溶け込んでいる。物足りないように見えるが、栄養も考えて肉と骨からじっくりと出汁がとられていた。
盲腸炎でなくとも胃腸がおかしいのであれば、消化の良い食べ物は基本だ。
記録を確認しながら猫猫は情報を整理していく。
病人たちに聞かれないように、猫猫たちは炊事場のほうへと移動する。
「やはり、患者の容体は投薬した方たちのほうが落ち着いていますね」
「投薬していない組でも、炎症がおさまった者もいるが少ないな」
「体力がある方でしょうね」
この手の実験では、人数が多ければ多いほうがより正確な結果が得られる。あくまで人間の体で試すので個体差があり、それを数でより中間に近い数値を出すためだ。
(羅半がいたら率先してやりそうだなあ)
だからといって呼ぶわけがない。
今やっていることも猫猫が勝手に皇帝の体調が悪いのではと勘ぐっているだけだ。実際は、投薬実験とだけ言って他は何の説明もされていない。
皇帝の体調が悪いのであれば、それは重要機密だ。壬氏が猫猫と天祐に話したのは、華佗の書の件だった。壬氏の口から皇帝が体調不良だとは言っていない。猫猫の言に肯も否も言わなかっただけだ。
猫猫は誰にも聞けないから、劉医官の様子を探ろうと思っていたのだ。
皇帝の体調不良はそれだけで、政治不安を招く。
「医官さま」
「なんだい?」
猫猫は書き物をする短先輩を呼ぶ。
「盲腸炎の場合、薬で治らなかったら具体的にどのような処置を行いますか?」
生憎、猫猫はそこの治療は習っていない。
「外科だな。腹に溜まった膿を取り除く」
「根本的解決になるんですか?」
「ならないんじゃないかな」
短先輩は他人事のように言った。
「その手術はしたことがありますか?」
「したことない。たぶんできない」
短先輩は気まずそうに筆の軸で首の裏をかく。
「どうしてですか? 得意そうに見えますけど」
手先は器用に見える。関係あるかわからないが、こうして書いている字も上手い。
「……駄目なんだ」
「駄目?」
「血、無理……」
「ああ」
猫猫はものすごく納得してしまった。




