四、臨床
猫猫は連日、薬をひたすら作らされた。
(ごりごりごりごーり)
薬研で手にたこができそうだ。猫猫たちが作らされるのは、配合は変われど、ほぼ同じ生薬を使うことが多い。
化膿止め、血の巡りを良くするもの、消炎作用があるもの。
「一体、何を作らされているんでしょう?」
中くらいの背の同輩の医官が言った。年齢はまだ若く猫猫とさほど変わりない。弱冠をいくつかこえたくらいだ。
「大黄牡丹皮湯に多少調合をかえているなあ」
血のめぐりを良くする薬だ。
集められた三人の医官と猫猫。老師である羅門は、今日は後宮の医務室に寄ってから来るらしい。
「他のはなんでしょうか?」
中同輩は、一番知識が少ないためか積極的に話を聞いてくる。
「甘草に芍薬、芍薬甘草湯だなあ」
身長が高い先輩医官が答える。背が高いほうが積極的に質問に答えてくれて、背が低い先輩医官は気になった時だけ意見することが多い。
「そうですねえ」
猫猫も同意する。
「筋肉のけいれんを抑える薬ですよね」
「腰痛、腹痛にも作用する」
「腹が痛い時、具体的な場所を探るのにも使う」
猫猫は考える。
(循環器系かと思ったけど、消化器系か?)
大黄牡丹皮湯は便秘や腹痛にも作用する。月経不順にも使われるので、女性に処方することが多い。
(何の病気かなあ?)
いっそ、薬を飲ませる患者たちの元に行けばわかるのにと猫猫は思った。
そして、教え子たちにその考える能力を付けさせないわけがないのが羅門である。
あとからやって来た羅門は、馬車を用意していた。
「今から、薬を届けに行くよ。みんなも来なさい」
馬車に乗ること、四半時。郊外の屋敷についた。屋敷と言っても派手な様相ではなく、ただ広い簡素な家である。
周りは住宅街だが、家の周りには庭木が多く中が見えないようになっていた。
「荷物を運んでおくれ」
羅門の声で、医官三人が荷物を運ぶ。猫猫は特に必要なさそうなので羅門の隣に立ち、歩くのを補助する。
中には、十代から四十代くらいまでの男たちが十数人いた。大部屋に衝立が立てられ、それぞれ寝台が置いてある。看護が行き届いているのか、布団も着ている寝間着も綺麗に見えた。
(顔色が悪い。寝台の近くに桶がある。嘔吐用か?)
職種は様々のようだ。手足が節くれだっているのは農民だろうか。指にたこができているのは代書屋かもしれない。
薬の実験に付き合う人たちなので、そこまで裕福な人はいなさそうだ。
白い前掛けを着けて歩き回っているのが、医療関係者だろうか。
「薬を持ってきましたよ」
羅門が白い前掛けの男に声をかける。
「ありがとうございます」
「せっかくなので在庫確認も兼ねて補充させてもらうけどいいかい?」
「はい。よろしくお願いします」
猫猫たちは薬の在庫置き場に案内される。炊事場の傍で、まだ新しい薬棚が二つ置かれていた。
「仕分けするから薬をくれないかい?」
「はい」
羅門は薬をどんどん棚に補充していく。薬はすでに個包装されており、一回分ずつにわけている。
(やることないなあ)
医官たち三人は猫猫に雑用を押し付けたりしないので、気が付けば暇になる。猫猫は手持ち無沙汰に、周りを確認した。
元々は、ただの民家のようで急ごしらえで診療所にかえているようだ。乳鉢や薬研、粉ふるいに薬匙などおなじみの道具がある。
(ここでも薬を作っているのか?)
しかし、猫猫は鼻を鳴らす。
(あんま薬の匂いはしない。甘い匂いはする)
猫猫はくんくん鼻を鳴らしつつ、土間に下りた。竈にかかっている鍋を開けると、どす黒い蜂蜜があった。
水分を飛ばした蜂蜜、すなわち煉蜜は丸薬を作るのに使う。使うが、肝心の混ぜ込む生薬の類が見つからなかった。
あるのは小麦粉やそば粉といった普通の粉だ。
「そば粉……」
猫猫はそっと離れ、口元を手ぬぐいで覆う。
「猫猫や。勝手に色んな物をいじってはだめだよ。こちらに戻ってきなさい」
「はい」
他にも変なところが多い。
薬棚は二つあるが全く同じ形をしていた。薬の名前が書いてあるが、どちらの棚も同じ引き出しに同じ薬の名前が書いてある。
(なぜわざわざ二つに分ける?)
猫猫が疑問に思っていると白い前掛けをかけた男が炊事場にやってきた。
「そろそろ投薬の時間です」
「そうかい」
羅門が薬棚から離れると、男は先ほど補充した薬を五つ取る。そして、隣の全く同じ薬棚の同じ引き出しからも薬を五つ取って出て行った。
妙な行動を疑問に思うのは猫猫だけではない。
「漢医官」
手をあげたのは長先輩だった。
「もう一つの薬棚の中身を確認してもよいですか?」
「いいよ」
羅門の了解を得て、長先輩はもう一つの薬箱から包み紙を取って開く。猫猫や他の医官たちものぞき込む。
「猫猫や。おまえは遠目にしておきなさい」
羅門に言われて、猫猫は身構える。
包まれていた丸薬は褐色をしている。よくみると中に黒い粒が見えた。
「……もしかして、そば粉?」
「も含まれているだろうね」
小麦粉やそば粉に染料を混ぜて生薬に似せた丸薬だ。いや、薬になっていない。
「効用がない薬もどきがこちらの棚に入っているということですか?」
中同輩が声を荒立てる。
「声が大きいよ」
「なんで、そんなことをするんですか?」
「なぜそんなことをするのか。考えてみてごらん」
考えてごらんと言われると考えるしかない。
羅門は考えたらわかる問題しか出さない。わからないのなら、情報を見逃しているだけにすぎない。
(さっき、五袋ずつ取っていった。患者が十人いたとして、半分ずつ)
患者たちはこちらで治療を受ける際、それなりの待遇を受けていた。食べ物も良いものが与えられているだろう。
(環境を同じくして薬の効果を確かめる)
薬ではなく清潔な環境と栄養がある食事で改善したかのように見えるかもしれない。そうなると困る。
だから、二つの型を用意する必要がある。
「猫猫や、わかったかい?」
「はい」
「どう思う?」
「環境、食事の変化ではなく薬の効用を確認するために二つの組に分けて調べているのだと思います。同じ環境で同じ病状を持っている人たちが、薬の有無で違いが出るかを確かめるためです」
羅門は笑みを浮かべるが、納得していない。
「あと、あえて効用があるであろう薬と薬もどきを用意したのは――」
「はい、そこまで。他に答えたそうな子がいるから、そちらに答えてもらおうか」
猫猫は少し消化不良になりつつ横を見る。短先輩がきりっとした顔をしていた。
「衣食住だけでなく、気持ちも同じにするためです。病は気からと言うように、逆に薬も気からということもあり得るからです」
「正解。不思議なことに、薬を飲んでいるという気持ちで薬が効いていると体が錯覚することがあるらしいんだ。それを揃えるための丸薬がこれさ」
羅門はそば粉入り丸薬をつまむ。
わざわざ色も似たようなものにする芸の細かさだ。
「君たちには普段の薬の生産に加えて、ここで患者の容体の記録も行ってもらおうと思うけどいいかい?」
羅門はそういうと、丸薬を薬棚に戻した。