一、呼び出し
かんかんと照る太陽がやや勢いを落とす季節になった。
「最近、仕事が楽になってきましたね」
「そうだな」
猫猫は李医官と休眠室の掃除をしていた。李医官がするような仕事ではないが、筋力を使うならなんでもやってくれる。わざわざ寝台を移動し、寝台の下を掃除するくらいだ。
仕事が楽になったというのは、最近、武官の小競り合いが減ったのが理由だ。変人軍師がまた共通の敵として認識され始めたか、それとも上層部が睨みをきかせたのか。
どちらにしても猫猫としてはありがたい。壬氏あたりが締め上げたのだろうか。
それにしても休眠室はすぐ汚れる。怪我人病人を一時的に寝かせておく他、医官たちが仮眠をしている。仮眠をするのはいいが、夜食に食べた串焼きの串が出てくるのはやめていただきたい。
猫猫も李医官も集中し始めたら黙々と作業をする。なので、隣の部屋で呼ばれているのに気が付かなかった。
「……ゃん、娘娘ってばー」
こんな呼び方をするのは一人しかおらず、呼ばれたとしても反応する気はない。
「うわっ」
「うわっ、とはなんだ、うわっとは?」
天祐は猫猫とともに李医官を見つけ、顔を引きつらせていた。
「なんだ? おまえ、仕事はどうした?」
「仕事はやりましたよー。それより、今日は用事があってきたんですから、拳骨振るうのやめてください」
天祐は天祐なりに李医官を苦手としている。柳に風の敵なしな奴に見えても天敵がいることは幸いだ。
「で、なんの用ですかー?」
猫猫は敷布を換えたばかりの寝台に座り、足を組んで、耳を掻いていた。
「なんか本当にかろうじて敬語を使ってますよーという態度だ」
猫猫は天祐の話を無視し、小指にふっと息を吹きかけた。
「猫猫、天祐の話はほとんど無視していいが、上からの命令かもしれないから、一応聞こうな」
「わかりました」
「猫猫って話を聞く相手と聞かない相手、はっきり分けるとこあるよね」
「気のせいです」
猫猫は休眠室から移動する。医務室には老医官がいて、日誌を確認していた。
「ちょっと特別な用があるって月の君から呼び出しをもらいました」
天祐も天祐で、老医官には丁寧な口調を使う。
壬氏の呼び出しと聞いて猫猫は「はて?」と首を傾げる。猫猫を呼び出すなら雀あたりが来るだろうし、他者が来たとしても天祐を選ぶ理由はない。
「西都での話か?」
李医官が聞いた。
それならまだ納得がいく。
「そう。二人とも連れていくとちょっと困るなあ」
「いえ、猫猫だけで問題ありません」
(こういうときだけ娘娘じゃない)
「そう、ならいいよ」
老医官は李医官に日誌を渡す。
「私と天祐医官の二人だけでいいんですか?」
猫猫は天祐ではなく老医官に確認する。
「薬関係の話だから娘娘なんだって」
「なら、天祐医官ではなく李医官のほうがいいですね」
猫猫は天祐ではなく李医官に交代を願う。
「私も天祐はいらないから、李医官を置いてほしいな」
老医官も言った。
「ははは、李医官は人気者だなあ」
「天祐、お前どこでも嫌われているんだな」
李医官も天祐には容赦がない。
そういうわけで、天祐と一緒に壬氏のもとへと向かうことになった。
「それで、本当の呼び出し理由はなんですか?」
猫猫は医務室を出てしばらく歩いてから聞いた。
「本当って何が?」
「西都の薬のことで呼び出すなら、私だけで十分かと思います。でも、天祐医官が呼び出されたということは、他に理由があるのでしょう?」
「んー鋭いなあ。まあ、細かい説明は月の君の元でしてもらうとして、ちょこっとだけ教えてあげるね」
上から目線が気になるが、猫猫は黙って聞く。
「月の君がいろいろ調査していたら、俺の実家とつながって、なんかとんでもないものがでてきたんだ」
「さっぱりです」
「そうだよね。じゃあもう一つだけ」
天祐はもったいつけるように両手の親指と人差し指で三寸ほどの長方形の形を作った。
「これ」
「これじゃわかりません」
「翡翠の牌」
「はあ⁉」
猫猫は慌てて天祐に聞こうとした。しかし、天祐はいきなり足を速めて、猫猫を振り切るように走った。
おかげで猫猫は全速力で走る羽目になった。
呼び出された場所は、壬氏が住まいとしている宮ではなく、執務室のほうだった。
(なんかなつかしー)
散々磨いた窓や廊下だ。前に比べて書類を抱えた文官たちが少ない。多少は仕事が落ち着いたのだろうか。
「ふうふう……」
猫猫は息を荒くしながら執務室の前で止まった。全力疾走の男に足で追いつけるわけがなかった。
「失礼しまーす」
天祐は猫猫が到着したと同時に中へと入る。おかげで息を整える暇もない。
そして、中に入るなり目にした人物を見て、猫猫は鼻息まで荒くなった。
「お久しぶりです」
慇懃な態度で頭を下げるのは、弱冠に満たない青年だ。だが、柔和な顔立ちで騙されそうだが、名前は虎狼。
猫猫が戌西州で盗賊に殺されかけた原因を作った男だ。
「……」
猫猫はすかさず飛び蹴りを食らわせたくなったが、我慢した。何よりなんでこんな野郎が壬氏の執務室にいるのだろうか。
「来たな」
壬氏が椅子に座って待っていた。横には護衛として馬閃がいた。執務室の隅っこに妙な帳で仕切られた場所があるので、そこには馬良がいるのだろう。
「ごきげんよう、月の君。ところで、この場にふさわしくないかたがいるようですが、さっさと追い出さないのでしょうか?」
「えっ?」
天祐がすかさず自分で自分に向けて指をさす。残念だが、天祐より不届き者はいる。
「大変言いたくなる気持ちはわかるが、ここで虎狼は文官として働いている。我慢してくれ」
「僕ですか?」
壬氏は少し遠い目をした。一応、表向きは西都の主の弟なので、無下にできないのだろう。
「ところでなんの用でしょうか?」
「その様子だと天祐は説明していないようだな」
「すると思いますか?」
猫猫は吐き捨てるように言った。
「僕は守秘義務があると思い、外部で口にしなかっただけです。悪しからず」
ひょうひょうと言ってのける天祐。
「まあ、良い。さっさと本題に移ろうか」
「よろしくお願いします」
官女がいない代わりに、虎狼が茶を入れている。猫猫は横柄な足組をして、苛立たしげな態度を見せた。差し出される茶に何か毒でも入ってないか、睨みつつ匂いを嗅ぐ。
「娘娘、態度悪い」
天祐が「いっけないんだー」とわざとらしく言った。
「相手に応じた態度をとっているまでです」
猫猫は言い切る。天祐もまた壬氏の前でかなり砕けた態度をとっている。猫猫と同じく「こいつの前ではここまでだったら許される」という線引きをしているのだろう。
「話を進める前に、猫猫に言いたいことがある」
壬氏が神妙な面持ちになった。
「なんでしょうか?」
「まず落ち着け」
「落ち着いています」
「あわてるな」
「あわてていません」
「気を確かに」
「気は確かです」
「準備はいいか?」
「はい」
なんか回りくどいなあと猫猫は思う。一体、何があるのだろうか。
壬氏は桐の箱を取り出す。蓋を開けると汚らしいぼろぼろの書物が入っていた。
「なんです、これ?」
表紙には何もなく、書き付けた紙をただ紐でとじているだけのように見えた。
「華佗の書だ」
「か……だ……?」
猫猫は一瞬止まり、そして奇声を上げた。
「ふぉおおおおおおおお!」
「落ち着いてないねー」
天祐が言った。
猫猫はさっそくぼろぼろの書をめくろうとし、壬氏に手を叩かれる。
「な、なにを……」
「これだけぼろぼろだ。いきなり触ると破れる。まず補修が先だ」
「はい、すぐ補修してください」
猫猫は背筋を伸ばす。
「ところで、どうしてそんな貴重な書物を手に入れたのですか?」
「それは、猫猫も疑問に思っているであろう。なぜ隣に天祐がいるか」
「はい、今すぐ追い出しましょう」
まず天祐がいる理由はない。
「ほんとひどくない?」
天祐はわざとらしく唇を尖らせる。
「天祐の実家がこの書を持っていた」
「えっ⁉」
猫猫は天祐を見る。天祐は頭をかいて照れないでほしい。
「なぜに?」
「いや、なんというかすごい偶然なのだが」
壬氏は、割れた翡翠の牌を置いた。前に猫猫が女華から受け取り壬氏に預けたものだ。だが問題は、その翡翠の牌が二つある。
「なんで二つ?」
しかも、もう片方と組み合わせるとぴったり一つの牌になった。
「この翡翠牌は元々、傍系の皇族のものであった。しかし、時の帝の怒りを買い、処刑された。天祐とおまえに翡翠牌を託した人物は、その皇族の子孫だ」
「はあ⁉」
いきなりで猫猫は頭を抱える。
「この翡翠牌はねえ、もともとうちの爺さんが持ってたものなんだ。それをうちの親父の兄、つまり伯父さんが二つに分けて持ち去ったんだよ。たぶん三十年以上前にね」
(女華小姐との年齢にも合う)
客としてきたのがその天祐の伯父だったのだ。つまり天祐と女華は従姉弟同士になる。
「それと一体全体、なぜ華佗の書が関係しているんですか?」
「罰せられた皇族は、かつて華佗と呼ばれるほど優れた医官だった。その医官が処刑された理由は時の帝が溺愛していた皇子の遺体を腑分けしてしまったからだという」
「……」
(祖先が祖先なら、子孫も子孫だ)
猫猫はとても納得してしまった。
「猫猫に頼まれ翡翠牌を調べていたとき、華佗の名があがった。そして、改めて生前の動きをたどったのだ」
華佗は、猫猫たちがやっていたように家畜や獣の解体を行うことで腑分けの訓練をしていた。
(ぶっちゃけて言えば、そのころに猟師の娘とねんごろになったと)
お偉いさんというものは面倒だ。ご落胤が見つかると大変だが、見つからないのも大変だ。証として妙に立派なものを女の元においていくものだから、変ななりすましがあったりする。
華佗とやらが渡したのは、翡翠牌だった。
「じゃあ、翡翠牌が傷をつけられていたのは」
「処刑された皇族の子とばれないようにするためだろう」
妻や子であれば、ともに処刑される。でなくとも、重罪となる。庶子ならその命はさらに軽い。
「捨ててしまえばいいのに」
「そう割り切れるほど簡単じゃない」
壬氏は妙にこもった口調で言った。
「そういうわけで、猫猫から預かった翡翠牌の持ち主には知らせたほうがいいか?」
「いいえ。元の持ち主は、自分の身の安全が保証してもらえたら十分でしょう。父親がだれかなんて全く興味がないでしょうし」
女華小姐が、どうでもいいと一蹴する姿が目に見える。
「わかった。私もそのほうが望ましいと思う」
壬氏としても、元皇族のご落胤が増えても面倒なだけだ。なかったことにするほうが望ましい。
さて女華小姐の問題は解決した。しかし、次の問題が起こった。
「ところで、月の君。私の隣にいる天祐という者はどう処しますか?」
「なんで⁉」
猫猫の言葉に天祐はつっこみ、壬氏は苦笑いを浮かべる。
「おかしくない?」
「おかしくありません。天祐医官もまた今後、ご先祖さまと同じく何かしら問題を起こす可能性があります。未然に防ぐためにも処すべきでは?」
猫猫ははっきりきっぱり早口で言った。
「猫猫。今日、天祐を罰するために呼んだのではない」
「そうそう」
「華佗の書を手に入れる際、天祐の父とも話をした。華佗の書は、あくまで一医官の記録だが内容について気になることがある」
猫猫は耳をぴくりと動かす。
「華佗の時代、帝に寵愛を受けた皇子は早逝した。その病について調べるため、華佗は書にまとめたと考えたら?」
「……それは気になりますね」
「華佗の書がいつ預けられたかはわからないが、書かれている可能性が高い」
(つまり解剖図が描かれていれば、腑分けに詳しい天祐は役に立つわけだ)
猫猫にとって悔しいが、天祐の腑分けの技術に関しては劉医官もお墨付きだ。
「他にも、当時疱瘡が流行したらしい。そのことについても書かれてある可能性が高い」
医術に大切なのは症例と、試した治療の記録の多さだ。何度も挑戦し、失敗し、より正解に近いものが今後の治療方針となる。
「というわけで、書の修復が終わったら医官たちに任せる手はずだ。協力してくれるか?」
「かしこまりました」
猫猫と天祐は頭を下げる。
二人は退室し、医務室に戻ろうとしたが――。
「どうしたの? 娘娘?」
「ちょい忘れ物」
「ふーん」
天祐のことだからもっと突っ込まれるかと思ったが意外と簡単に引き下がった。
猫猫はもう一度壬氏の執務室に入る。
「どうした?」
壬氏は自分の仕事の続きをしていた。周りには、仕切りの奥にいるであろう馬良くらいしか見えない。護衛の武官はいるが、馬閃ではなく名前は知らないが壬氏が重用している者だ。
虎狼がいないのはよかった。
「いえ」
猫猫は壬氏の顔色をうかがう。
さっき妙に気になった。何がと言えば――。
「壬氏さま。質問ですが」
「なんだ?」
壬氏は猫猫が周りを気にしているのに気が付いた。ちらりと周りを確認し、追い出すべき者がいないか見ている。
「早逝された皇子のご病気は、血縁に由来するものでしょうか?」
「……」
壬氏の手が止まる。
「なぜ、そう思う?」
「同じ病気でも、政を行うかたが気にするのは流行病です。なぜ、疱瘡よりも詳しく早逝された皇子の病を強調したのか気になりました」
壬氏は筆をおき、手を組んで額に当てる。
「……血縁に由来するかはわからない。ただ、お前の想像したものは外れていない」
「壬氏さまですか?」
壬氏は否定する。
「皇子ですか?」
これまた否定する。
猫猫は大きく息を吐いた。
かつて皇族がかかった病。そして、壬氏でもなく皇子たちでもないとすれば――。
「似た症例がでているのですか?」
誰とは言わない。いうまでもなく主上のことだった。