二十三、乳母の正体
名持ちの会合怒涛の一日目が終わった。
二日目は一日目に比べると大したことがなかった。
あえて明言するといえば、変人軍師が賭け碁をやりだして他家のお偉いさんを下履きまでひん剥こうとしていたこと。あと、やたら羅半兄が猫猫に燕燕について質問してきたことくらいだ。
猫猫としては、姚の問題は解決したし、馬閃を卯の一族に会わせたので目的は達成した。
しかし、解決した以上の問題が重なった気がした。
ともかく無事、帰れることを猫猫は喜ぶことにした。
「燕燕さん、料理が得意だよな。どんな野菜を作ったら喜ぶと思うか?」
羅半兄、本人は否定しているが、頭の中は完全に農民である。
「私に聞かれても困る」
「なんだよ、燕燕さんの料理をたらふく食っているのは誰だ?」
なんだ、このわかりやすすぎる兄は誰だろうか。
「兄さん、香辛料を育ててみてはどうだい?」
羅半はちゃっかり採算が取れる作物を薦めてくる。
「胡椒でも作れというのか? 作り方知らないぞ」
「でも作れたら料理の幅が広がると思わないかい?」
羅半が頭の中ではじく算盤の音が聞こえそうだ。
「羅漢さま、この荷物はどうしましょうか?」
「んー、好きにしていいぞ」
変人軍師は戦利品を馬車に詰め込ませている。さすがに下履きまではいらなかったようだが、上質の上着や帯がいくつも重ねられているのを見たら、手を合わせたくなった。あとで羅半がしっかり売りさばくだろう。
「猫猫はこのあとどうするの?」
姚が聞いてきた。燕燕は大量の姚の荷物を馬車に詰め込んでいる。たった一泊するのに本当に必要なのかというくらいの荷物だ。
「そうですね、さっさと宿舎に戻ろうかと思います。明日から仕事ですので」
姚と燕燕、猫猫が示しを合わせて休みを取ったので、仕事が溜まっているだろう。新人たちの様子も気になるので、寝る前に長紗にでも話を聞いておこうと思った。
「おーい、羅半」
猫猫は羅半を呼ぶ。羅半は羅半兄に胡椒以外の作物も薦めていた。
「私は宿舎の前で降ろしてくれ」
「ああ、それなら」
羅半はちらっと馬の一族のほうを見る。
「あっちの馬車に乗るといい。義父上は、酒入りの菓子でも食わせておくから気にしなくていい」
もう猫猫の仕事は終わったと思ったが、まだ用があったらしい。麻美がちょいちょいと手招きしていた。
「よろしくお願いします」
「はい、どうぞ」
麻美は猛禽の目を細めて、猫猫を馬車の中に案内する。
馬閃や麻美の旦那は馬に乗っているので、馬車の中では麻美と二人きりだ。
「ところでご用件はなんでしょうか?」
猫猫は単刀直入に聞く。
「以前、月の君に調べものを頼んでいませんでしたか?」
「はい」
「先ほど、伝令が来て結果がわかったそうです」
「そうですか」
猫猫の心の臓がどくんとはねる。つまり、女華に頼まれた翡翠牌の出どころがわかったということだ。
わざわざ会合に伝令をよこしたのが気になる。別に、そこまで急ぎで調べてほしかったわけではない。
「ということで、このまま月の君の元に向かいますので」
「かしこまりました」
普段なら雀の仕事なので、麻美が相手だと少し変な気がした。
「どうかされましたか?」
「いえ。今日の会合では雀さんは来ていないようでしたので」
美味しいごはんが出る場所には必ずいそうな人だ。
「ああ。雀さんですね。あの人はああ見えて語学が堪能なので、手足の一本使えなくても頭と口が残っていれば使い道があります」
雀を評価しているのはわかるがひどい言いようだ。
「誰か異国人の通訳でもしているんですか?」
興味本位で聞いてみたのが良くなかった。
「はい、捕虜をまとめて牢に入れて放置しているのをじっと何か話さないか聞き耳を立てているそうです」
「それはそれは」
物騒な話だ。
国境で異国人を捕まえることは珍しくない。大体は盗賊まがいのことをしているので、すぐさま処刑することが多いと聞く。捕虜というだけあって、それなりに地位がある人間なのだろうか。
「ところで猫猫さん」
「なんでしょうか、麻美さん」
猫猫は、つい雀にするような返事をしてしまう。
「今の軍部の力関係を説明しておきましょうか?」
「いえ、関係ないので結構です」
猫猫はきっぱり答える。
「と言われましても、猫猫さんと私、正直趣味は合いませんよね?」
「薬の調合と実験、それから少々の毒見をたしなんでおります」
猫猫はきりっとした顔で答えたが、麻美は「んなもん興味ない」と顔に書いてあった。
「乗馬と剣術、あと領地経営。また他家の子女と会話する際の話題として、最新の恋愛小説と簪や服の流行程度はおさえています」
(馬の一族はこの人が継げばええやん)
弟二人の弱点を完全に補っている人物がここにいる。
なお、猫猫の顔にも「全く興味ありません」と書いてある。
「一時もの間、そんな話を聞きたいですか?」
「いいえ。では薬の話は?」
「無理です。聞きたくありません」
はっきり断られた。
「では、馬車が都に到着するまで寝ませんか?」
猫猫は話が合わない相手と無理に会話するつもりはない。麻美としても合理的な性格のはずだ、頷いてくれると信じていた。
「このあと、月の君の元へと行くということは、うちの母がおそらくいると思います。母は、私が猫猫さんと同行していたとして、何を話したのか聞くかと思います」
麻美の目は鋭かった。その鋭いまなざしの持ち主でも、母親である桃美が怖いらしい。
「わかりました。というか、まだ桃美さんはいらっしゃったのですね?」
桃美は、壬氏の侍女として西都に随行していた。
「雀さんが月の君の侍女から抜けましたので、何かと補佐することが多いのです。現在、馬の仕事は私がほぼ引き継いでいるので問題ないのです」
(それは怖い)
「本来であれば、水蓮さまはとうに引退してもおかしくない年齢ですし。立場上、あまり月の君にべったりするのも良くないですから」
「立場上?」
猫猫は聞き返す。
「猫猫さんは知りませんか? 水蓮さまが何者かについて」
「後ろ盾がなかった幼い皇太后を守った伝説の侍女とは聞いた事があります」
どこの活劇だろうかと思う謳い文句だ。
「ええ。侍女であり乳母です。幼かった皇太后は、赤子に乳を十二分に与えることはできません」
「侍女であり乳母」
壬氏の乳母であり、主上の乳母だったことは聞いている。ただ、乳母と言っても必ずしも乳を与える役ではないので、お世話係くらいに思っていた。
(待てよ)
阿多は皇帝の乳姉弟だ。
「阿多さまの母君ですか?」
猫猫は首を横に傾ける。
「はい、知りませんでしたか」
「似てないですよね?」
「阿多さまは父親似だと聞いていますね」
猫猫は少し頭の中がぐるぐるしてきた。
「本来、皇帝の妃の母を皇弟の乳母につけるものなのでしょうか?」
「皇太后、安氏さまがご兄弟に同じ乳母を付けることは珍しくありません。ただ、異例なのは主上と月の君の年齢が離れすぎていたこと、それから乳姉弟を妃にしたことですね」
麻美の言う通りだ。
「我が馬の一族は、代々皇族の乳兄弟になることが多いのですが、それゆえ役職をいただくことはありませんので」
身内だからと権力を持たない処置だ。
そうなると阿多がどれだけ特殊な立場であるか、猫猫は改めて思う。
「今、東宮であらせられる玉葉后の皇子には、私の夫ともう一人の馬の一族がついております。また、梨花妃の皇子も後宮を出る際に、最低一人は付けられるでしょうね」
「月の君はずいぶん馬の一族を独り占めしているようですね」
「それは十数年、東宮をやっていましたからね。どうしても手厚くなるでしょう。さて、余談はさておき先ほどの話をしましょうか」
(いや、もう頭に入らないよ)
猫猫はそう思いながら、麻美の説明を聞く羽目になった。