二十二、養子と婚外子
猫猫は後宮時代の話をした。石の円卓を囲み、使用人に茶を用意してもらった。
細かい説明は省くとして、玉葉后に仕えていたこと、その関係で当時同じ上級妃であった里樹と会ったことを話す。
「園遊会で、空気が読めていない衣装を着てらっしゃいました」
苦い顔をする卯の元長。里樹の異母兄は目をそらしつつ、子どもと遊んでいる。
「里樹さまが食べられない物にとりかえられていました」
卯の元長は眉間にしわを寄せる。異母兄は子どもに水菓子を与えていた。
「茶会で飲めない物を飲まされそうになったり」
卯の元長と異母兄より、猫猫は横にいる人物のほうが気になってしまう。
馬閃は、ぎりぎりと歯ぎしりの音が響き、目が血走っていた。
(大丈夫かな?)
猫猫は心配するが、馬閃の横の麻美が飛び出していかぬよう、後ろで帯をぎゅっと掴んでいた。麻美の旦那もじっと馬閃を見ている。
猫猫は、後宮を出たあとの話もちらほらとした。
特別に旅に出て破落戸に襲われたことなどは、馬閃本人が助けたのでよく覚えているだろう。
「里樹さまは、父親に命を狙われているのではないかと思われておりました」
卯の元長は額を押さえていた。軽く震えているようにさえ見える。
「里樹は、私への文には上級妃としてちゃんとやっていると書いていたのにな……」
「祖父を心配させまいとしたのでしょうね」
卯の元長はだいぶ感情を抑えている。ちゃんと気付いてやれなかった、出家の身になるまで野放しにしていた自分自身に怒りを持っているようだ。しかし、にじみ出る怒りは傍にいた異母兄にも多少向いているように猫猫は思えた。
今更、里樹を虐めていた侍女たちを罰することはできない。いや、里樹が後宮から出て行ったときに、すでに処分は下されているだろう。不名誉な形で後宮を出て行った彼女等は肩身が狭い思いをしているはずだ。
さて、猫猫は考える。
(これからどうしようか?)
とりあえず里樹の話をして、卯の元長と同じ卓についたのは良かった。だが、これ以上何を話せばいいだろうか。
ここから麻美に会話を渡せば猫猫としては十分成果を果たしたことになる。しかし、麻美の目は「もう少しいけるだろ?」と言っていた。
(無茶ぶりすぎるだろ)
とはいえ、無茶ぶりを受けるのに対して定評がある猫猫だ。
「里樹さまの文は、上級妃としての役目を果たしていると書かれてあったのですね」
「そうだね」
「……里樹さま、無理をなさって」
猫猫はわざとらしく小声で言った。
「無理をとはどういうことかな?」
「後宮での妃の仕事、それは言うまでもなく……」
猫猫はちらっと馬閃を見る。馬閃は最初何かわからなかったが、瞬きを数回するうちにようやく察してくれた。さっきの怒りとは別の赤面になる。そこには、羞恥と共にいくらかの悔しさがまざっていた。
(妃の仕事は、皇帝との子作りだ)
玉葉后、梨花妃は果たしていた。子翠いや楼蘭も形だけはこなしていた。
ただ一人、皇帝との夜伽がなかったのは里樹だけである。
「里樹さまは主上にとっても娘のようなものだったのでしょう。一度もお手付きになることはありませんでした」
猫猫は大きな反応を示す。横目で麻美を見ると、なんだか満足そうに唇をぴくぴくさせていた。馬閃は拍子抜けしたような、安堵したような表情をしている。
「でなければ後宮の外に出したりしないでしょう」
基本、皇帝のお手付きとなれば、たった一夜の出来事でも生涯後宮で過ごすことになる。特別な例外ともいえる阿多もいるが、結局は皇帝の離宮に住まわされている。
「やはりそうでしたか」
卯の元長は納得していた。
「はい」
猫猫はふうっと息を吐く。
「お手付きにならないまま後宮を出た妃の多くは新しく嫁いでいると聞きます」
出戻りと揶揄されそうだが、相手が皇帝となれば別だ。役人の娘でも、商人の娘でも後宮と言う秘密の花園に惹かれる者は多い。何より妃に選ばれた時点で、容貌と家柄はお墨付きとなる。
「里樹さまも出家という形でなければ、引く手あまたでしたでしょうに」
「老い先短い身の上でありながら、ひ孫を見たいと思うのは我が儘だろうかな」
(よし!)
猫猫はもうこれ以上は何もないぞ、と麻美に視線を送る。麻美は満足した顔で目を鷹のようにきらきらさせていた。
「質問をよろしいでしょうか?」
麻美が挙手する。
「なんだろうか?」
「里樹さまの出家は終わりのないものでしょうか?」
「主上は里樹にしばらく療養するように、と伝えたそうだ」
「しばらく、ですか」
「しばらくだ」
「つまり、主上の命があれば里樹さまは出家先から帰ることも可能ということですね」
麻美は、言質は取ったと言わんばかりの反応だ。
「里樹さまは、卯の一族に戻り、婿を取ることはないでしょうか? ただ一人いる直系ですよね?」
「そうだ。私の一人娘が生んだたった一人の孫だ」
里樹の異母兄は目をそらしている。猫猫はこの青年もまた被害者だと思った。直系でないがゆえ、入り婿の婚外子であるがゆえ肩身が狭いのだ。この会合に連れて来られたのも、ある意味見せしめのように思えた。
「だが、里樹は娘の二の舞にはできん。もう次の後継者はこの子に決めた。もう絶対に不幸な結婚はさせん」
卯の元長は、水菓子を食べる子どもの頭を撫でる。ずっと異母兄が面倒を見ていた子どもだ。
(陰湿と言えば陰湿)
だが、里樹の父が里樹にしたことのほうがよほど辛辣だった。
直接の原因ではないにしろ、異母兄がこの程度の見せしめですんでいるのは幸運だろう。何より異母兄は屈辱には慣れているように見えた。自尊心が無いほうがより生きやすい場合もあるが、異母兄はまさにそうだろう。
「では、我が馬の一族が里樹さまに縁談を持ち込んでも問題はないでしょうか?」
麻美がようやく本題に入った。
馬閃がぎゅっと唇を噛みすぎて紫色になっている。
「馬の一族が縁談を?」
「ええ。本家を継ぐのであれば、傍系の男子を婿にとらないといけませんよね。ですが、継がないのであれば是非、我が家門の者を会わせたいと思っております」
「ほう」
元長はちらりと馬閃を見た。相手が誰かすぐさま察してくれたらしい。
「かつて馬の一族とは縁を取りたいと思っておった。だが――」
(だが?)
「我が一族と縁を結んだところで、意味はないだろう。かつてほど卯の一族に権力はない。他の家ならともかく馬の一族にとって得するものはない。何の利点もない話を鵜呑みにはしたくない」
「辰の一族と先ほど何やら話しておられたようですが、仲たがいは終わったのではないですか?」
麻美はどこまで話を知っているのだろうか、それとも鎌をかけたのだろうか。とりあえず猫猫は何も話していません、と卯の元長に訴えかける。
「辰の一族とは色々あったが、そなたらには関係ないことだろう」
「そうですね。ですが、里樹さまに関しては、家柄とは関係なく縁談したいと言っても話を聞いてもらえませんか?」
「里樹自身をか?」
卯の元長は値踏みをするように麻美と馬閃を見る。かつて娘にろくでもない婿をあてがったことを後悔しているのだろう。
「里樹をどこかに嫁がせるのであれば、いくつか候補を考えていたのだが――」
「その候補に馬の者も入れてくださいませんか?」
麻美はぐいぐい来る。失礼ととられかねない近づき方だが、卯の元長にとっては悪くない、いや魅力的な提案だろう。
だが、卯の元長は頷かない。
「今はどこの家門にも嫁に出せぬ。どこに敵がいるのかわからないのだ。我が家門は、私の見込み違いのせいで弱体化している。しかし、それだけでは説明できないことも起きているのだ。まるで、里樹を見殺しにしてきた罰を受けているかのようにね」
「どのような?」
「ははは、家門の恥をこれ以上言えと? まあ、いい。高順の娘は勘が良いからわかるだろう。どうやら私は軍の新派閥に嫌われているらしい」
卯の元長は、それだけを言った。
(軍の新派閥)
最近どこかで聞いたような話だった。