十九、付きまとい男
『変人軍師は計算に入れるな』
こんな金言を得られたところで、なすすべがない時もある。
ぶち壊した家宝については、なんとかなったのが助かった。
「今後のために、潰すかどうか考えるべきところでしたので」
大奥さまのこの言葉に助けられた。結果、玉は交換、龍の指は三本に作り替えることになった。
羅半はせめてものお詫びとして、技術と信頼がある細工師を紹介することになったが――。
「ははは。それでは、今後の――」
「いえ、私たちは一度、宴会場に戻りますので」
「そうですな。私も」
「ええ。他の家との交流もありますもの」
辰の大奥さまと卯の元長がよそよそしい。それだけでなく、その従者たちも遠巻きに見ている。
猫猫はそっと横を見る。
「なんか菓子ないの?」
「羅漢さま、もう少しお待ちください」
変人軍師が二番に窘められている。
羅半は眼鏡を曇らせ、しおれていた。
「おい」
猫猫は小声で羅半を小突く。
「相手方に恩を売って交渉するとか言ってなかったっけ?」
「わかってる」
猫猫はどうしようかと考える。とりあえず、宴会場に戻ることにした。
宴会場に戻ると『羅』の円卓が騒がしい。なんだなんだと向かってみれば、羅半兄と知らない男が言い争っているようだ。羅半兄の後ろには姚と燕燕がいる。対して、口論している男の後ろには何か見覚えがある男がついていた。
(誰だっけ?)
人の顔と名前を覚えられないのが猫猫だ。見覚えがある男は、姿勢が悪い。どうやら動きが固定されているように見える。
(あっ!)
猫猫は誰だったか思い出した。たしか馬閃にぼこぼこにされ、医務室に運ばれた男だ。
なぜ、羅半兄と言い争っているのか。
「姚さんに用があると言っている。おまえには用はない」
「おまえとはなんだ! 俺の名前は――」
「姚さん。僕の家族に会ってくれ」
羅半兄を押しのけて姚の手を掴もうとする。護衛二人が睨んでいるので、手が届かないが付きまとい男は帯剣している。
(あの男なー)
羅半が速足で円卓に戻る。
「何をやっているんだい?」
羅半が止めに入る。
「何をと言って見てわからないのか?」
羅半がやってきたところで、弱そうな男が増えただけだ。付きまとい迷惑男は羅半を相手にしようとしない。
変人軍師は戻ってこない。何をやっているかと言えば、料理を運ぶ使用人の足を停めて、盆の上の料理を奪っている。二番は変人軍師についていた。
これは駄目だな、と猫猫が思っていると助け船が現れた。
「何をやっているのですか?」
凛とした声は、辰の大奥さまだ。
「大伯母さま、お久しぶりです」
付きまとい男と怪我人男が、大奥さまに膝をつく。
「挨拶など良いです。遅刻してきた上、何やら口論をしているようですけど、理由は何ですか?」
(遅刻かよ)
最初、いなかったからと油断してしまった。
「大伯母さまに紹介したい女性がいます。彼女です」
迷惑男は、一点の目の曇りもなく、姚を紹介する。
「彼女は姚といい、実家は名持ちではないものの、叔父は魯侍郎です。家柄として我が家の嫁にするには十分かと」
何の疑いもなく説明するのが恐ろしい。怪我人男も少し目をそらしている。親族だから一応加担していたが、迷惑男の非常識さはわかっているらしい。
「嫁と言いますと、そちらのお嬢さんは承諾しているのですか?」
「向こうが勝手に言っているだけです。私は、まだ結婚する気などありません」
毅然とした態度で姚が言った。普通のお嬢さまなら尻込みしてしまうところだが、そういう風にはっきり言えるところは姚の長所であり短所だ。
「本人の意見など関係ない。家柄として釣り合うのだから、親との話し合いをすればいい。女というものはそういうものだろう?」
姚の顔が引きつりまくっており、燕燕が懐から暗器でも取りださん勢いだ。
しかし、茘の女は基本、迷惑男が言うような結婚の仕方をする。平民ならともかく姚のような良家のお嬢さまには、個人の意見などない。
とはいえ、それでも迷惑男はすじを通していない。
(親がいないときを狙っているじゃないか)
「保護者である叔父がいないときを狙って話をつけに行こうとしている時点で、どう考えても卑怯だろうが」
猫猫が言いたいことを代弁してくれたのは羅半兄だ。
「母君がいるだろう?」
「母君? 女には意見を求めないおまえさんが相手の母君に対して敬意を払って対応できるとは思えない」
羅半兄がはっきり言ってくれる。
「部外者が口を出すな」
これで堂々巡りになっている。
「全く話が通っていないようですね」
大奥さまは呆れた顔をしていた。
「私に紹介したいのであれば、ちゃんと順を踏まえてからにしてもらいたいものです」
「しかし、姚さんの父君はすでに他界しています。彼女と彼女の母君のことを考えれば、僕の妻になることに何の不満があるというのですか?」
あまりに堂々と矛盾したことを口にするので反吐が出る。
正直関りたくないという顔をしていた羅半でさえ、蔑みの目を見せていた。
「ふふふふふ」
羅半が笑う。
「何がおかしい⁉」
「いえね。もてない男の言う言葉だなと思いまして」
「何だと!」
付きまとい男だけでなく、羅半兄もなぜか目を血走らせていた。
護衛が即座に羅半のそばによるが、羅半はそっと制止する。
「あなたは家柄、家柄と言いました。確かに辰の一族は、名持ちの中でも由緒ある家だと思います。比較的歴史の浅い『羅』の家とは比べるべくもありません。ですが――」
羅半は自分よりも背が高い付きまとい男を見下している。あまりいい表情ではないが、相手が相手なので猫猫は気に留めない。
「僕はまだまだ下っ端で、色んな部署に使い走りをさせられることが多いんですよ。家柄もさることながら、それだけ自信満々に魯侍郎の姪君を嫁にというのであれば、さぞや名が知れているかと思います。失礼ながら、僕の見識が不十分でして、お名前をいただいてよろしいでしょうか?」
(うわー、嫌味だなあ)
羅半は目ざとい男だ。他部署であっても仕事ができる相手であれば、記憶しているはずだ。
「こいつ、名持ちの家とか言いながら、自分は名前を貰ってないらしいぞ。まあ、俺が言うことでもないけど」
羅半兄が言った。
「な、なんだと!」
羅半兄の言葉が逆鱗に触れたのか、付きまとい男は顔を真っ赤にする。
(女にもてないより、名持ちの一族なのに名前を貰っていないことのほうが気に障るのか)
標的は完全に羅半兄に移った。
「お、おまえ! 僕のことを莫迦にしているのか!」
つきまとい男は、ぎゅっと拳をつかんで羅半兄に殴りかかろうとする。
護衛は羅半兄との間に入ろうとする。
「おやめなさい!」
大奥さまの声が響く。
「ですが、こいつは僕を侮辱した」
「本当のことでしょうが!」
大奥さまも容赦なく言い放つ。大奥さまの付き添いの男が止めようとしたときだった。
「なんの騒ぎですか?」
聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、馬閃と麻美の馬姉弟がいた。馬閃は先日怪我をさせた男がいたのに気が付いて、あからさまに嫌な顔をする。
対して麻美は母親似の猛禽に似た目をぎらつかせていた。
(てんこもりだあ)
猫猫はこっそり卓子の上の料理をつまんで食べる。ちゃっかり羅半も食べて、椅子に座っていた。どうしようもない男だ。
「なにかもめごとのようだけど」
麻美があくまで親切な第三者のふりをして話しかける。
大奥さまにも叱責された付きまとい男は、新たな観客にすがることにしたようだ。
「この男が僕を侮辱した。同じ武人の一族である馬の者なら、こういう場合どうすればいいかわかるだろう?」
どうやら馬閃とは顔見知りらしい。一応、武官なのだろうか。
「決闘だな」
至極真面目に馬閃が答える。
「け、決闘!?」
姚がさすがに狼狽えた。
「決闘とか野蛮じゃないですか?」
羅半兄をちらちらと見る姚。
「立ち合いを求めれば、合法です。ちょうど修練場もありますし」
こういう時は脳筋馬閃だ。先日も練習試合にかこつけて同僚に大怪我をさせただけのことはある。
羅半兄にいつも通り妙なとばっちりが来ているようだが、羅半も馬閃も落ち着いている。猫猫はとりあえずそのまま傍観者を続けることにした。
「大体、僕のことをけなすが、おまえこそ何者だ⁉ 当たり前のように羅の卓に座っているが、見たことがない顔だぞ」
見たことがないはずだ。農村で芋を作っているのだ。宮廷に出仕などしていない。
「このかたは関係ありません。ただの農家さんです!」
姚が羅半兄を庇うように出てきた。
(ここでは逆効果、逆効果)
猫猫は串焼きを食べる。
「農家? 農民だと」
にやあっと付きまとい男が笑った。
「農民かあ。なぜ農民などがこの席にいるのか。やはり変わり者の集まりの羅の一族らしい」
「失礼ですね、美味しい芋を作るんですよ」
猫猫は思わず口にしていた。ぼそりと呟いたのと、相手は羅半兄を完全に見くびっているため気づいていない。
大奥さまは呆れて声も出なくなっているようで、付き添いが前にでる。
「大概にしろ! おまえが名前を与えられぬのはおまえ自身に問題がある。それがわかるまで、後継者になれると思うな!」
付きまとい男は悔しそうな顔をする。
ここでようやく収まるかと思いきや、前に出たのは羅半兄だった。
「ちょっと待ってくれ。俺だってあんたに侮辱された。ここで大人しく引き下がられると、俺の立場はどうなるんだ?」
「兄さん」
羅半が兄を見る。
「もういっそ、ここで白黒決めちまうってのはどうだ? あんたが俺に勝てたら、羅の家のものはあんたの結婚どうこうに口を出さない。でも、あんたが負けたら、きっぱり姚さんのことを諦めてくれ」
「いいぞー」
にやっと笑う付きまとい男。
猫猫は串焼きを食べながら周りを見渡す。
はらはらする姚、それなりに緊迫した顔をしながらも姚の観察を止めない燕燕。
呆れた顔の大奥さまに付き添いの男。
平然とした羅半に、他人事のような馬閃。そして、猫猫と同じく状況を再確認する麻美。
農民と聞いて完全に舐めた顔でいる付きまとい男。連れの怪我男は、なんだか顔色が悪い。
意外なのは、肩を回し、決闘にやる気な羅半兄だった。
(どうなるのかねえ)
なお、変人軍師は宴会場の隅っこでいびきをかいていた。