十八、兎と龍
大奥さまの頷きに、横にいた補佐の男と孫は驚きを隠せない。
「どういうことでしょうか? 母上」
「お祖母さま?」
「もし辰の一族を裏切ったのであれば、誰でもない私のことです」
大奥さまは、顔を伏せる。
「四十年前に何があったのか、本当のことを教えていただけますか?」
「はい」
猫猫の問いに大奥さまは口を開いた。
「先代の辰の長が先代の卯の長と親友だったように、私もまた卯の長の妻と親友でした。私と彼女はたびたび文でやり取りをしておりました。相談に乗ってくれることもしばしばでした。夫は熱血漢でたびたび女帝派と衝突していたこと、彼女もまた夫が女帝派に与していたことを。所属する派閥が違うことで、辰と卯、両一族の距離が広がっているのを互いに悲しんでおりました」
大奥さまは顔を伏せたまま、さらに団扇で顔を隠していて表情が読めない。
「夫はまっすぐな性格でした。皇族を暗殺し、実子を帝に据えたと言われる女帝を好ましく思うはずはありませんでした。皇族に対して忠誠心があるからこそ、さらに思いは強かったのです。しかし、女帝の政治的手腕はここ数代の治世の中で最も有能だと言われていました。卯が女帝につく理由もわかりました」
どちらの言い分もわかるからこそ、だからこそ、卯と辰、二つの一族が道を違えることに反対できなかったのだろう。
「女帝は、先帝が即位してからも従わぬ者たちを処罰していきました。皇族の傍系から始まった辰の一族は、さすがに女帝としても罰しにくかったのでしょう。それにつけこんで、反女帝派の首魁と見られるようになりました」
猫猫たちは大人しく耳を傾ける。
「男たちは躍起になり、女たちは怯えました。私は不安を吐露したく、つい彼女に相談したのです」
「彼女とは、卯の元長の奥方ですね」
「はい。彼女から返信はありませんでした。彼女にも彼女の事情がございます。すでに政敵となった相手に会おうなどと言われて、簡単に会えるわけがない。そう、あきらめた頃でした。彼女が秘密裏に私に会いに来たのです」
大奥さまは大きく息を吐く。
「女帝の命にて、卯の一族が監査に入る、何かしら証拠があればそれを理由に滅ぼされるかもしれない、と」
「で、では、蔵に火をつけたのは⁉」
孫が祖母に詰め寄る。
「ええ。お祖父さまはね、蔵の書庫に大切な文を隠すの。たとえ謀反の意がなくとも、その誘いの文が見つかれば我が家門は滅びる。蔵の書庫に隠していることは知っていたけど、詳しい場所は知らなかったの」
だから蔵に火をつけるという強硬手段に走った。
「じゃ、じゃあ、家宝を盗んだのはお祖母さま……」
「いえ、それは違います」
孫の問いに猫猫が代わりに答える。
「大奥さまは家宝の置物は溶けてなくなったと思っていました」
何より変人軍師が嘘をついていないと判断していた。
「では、いったいどこに家宝は消えたのか⁉」
孫はわからないようだが、大奥さまはとうに気づいているようだった。
「なぜ卯の一族が女帝派になったのか。女帝の密命なのに、なぜ彼女が私に密命を教えることができたのか。家宝を盗んだ動機もそれにつながります」
「卯の長が女帝から辰の一族を守るため、女帝派になったのですね。でなければ、密命が漏れるわけもなく、反逆の証拠とも捉えられる家宝の龍の置物を持ち去ることもないでしょう。完全な女帝派であれば、置物を女帝に差し出していたでしょうから」
「卯の長が、盗んだ、だと?」
「ある意味、卯の元長は正解だったと言えますね。一族の頂にいながら、国の絶対権力者相手に間諜をやってのけたわけです。大したものです」
猫猫は素直に息を吐く。
「お祖母さまが卯の一族をかばうのは、それを知っていたからですか……。なら、なぜお祖父さまに言わなかったのですか?」
「……お祖父さまは頑固でしたし、下手に口にしようものなら、女帝にばれる可能性もありました。ようやく口にできたのは、女帝の死後、お祖父さまが寝台で寝たきりになりふと昔を懐かしんでいたときでしたのよ」
大奥さまは孫に優しく言った。
もう家宝を探さなくていいと言ったのは、元長が真実を知ったからだろう。
「夫は悲しんでおりました。長い物には巻かれろ、という考えが嫌いなもっと芯がある奴だと思っていたのに。女帝の腰ぎんちゃくに成り下がりやがってと言っていました。だから、一度がつんと喧嘩でもして言いたいことを言い合いたいと言っておりました」
そんなことは無理だと猫猫は思った。子どもならまだしも互いに長となった者たちが喧嘩をすれば、それすなわち内乱になる。
「夫が卯の一族が家宝を盗んだと言い出したのも、喧嘩のきっかけを作りたかったのかもしれません」
「ですが、卯の一族は応じなかったのですね」
「ええ」
対立というより一人相撲。辰の長は親友と再び語り合いたいために喧嘩を仕掛け続け、卯の長は親友を守るために黙秘を続けた。
なんとも歪で不器用な友情もあったものだ。
「では、私たちは……」
「ええ。あなたたちは、本来感謝すべき相手に唾を吐きかける行為を繰り返していたのです」
孫は力なく椅子に寄りかかる。
「あくまで私たちが言うのは憶測であり、真実とは限りません」
猫猫ははっきり言っておく。
ここで卯の一族の誰かが金の置物を金目当てに盗んだかもしれないし、その場合、もうとうに地金に潰されているだろう。
そこまで責任は持てないのだ。
「うーんと」
猫猫の横で声が聞こえた。
変人軍師が卓の上でごろごろしている。持ってきた菓子が全てなくなり暇を持て余しているようだ。最後に残った串に刺さった山査子を名残惜しそうに見ている。
「そんなに気になるなら、確認すればいい」
羅漢はじっと部屋の壁を見た。
「確認?」
一体なんのことだと猫猫は思った。猫猫が壁に掛けられた防音用の布をめくる。
すると、その奥には小部屋があり、何人か座っている。
これでは話が丸聞こえではないか。
「どういうことでしょうか?」
補佐の男が羅半を睨む。
「あっ。そうだ」
羅半がわざとらしく手を打つ。
「卯の一族とも面会の約束をしていたんだった!」
猫猫はわざとらしいくせ毛眼鏡を睨む。
「同じ部屋でか? あえて話を聞かせるように?」
(どんな神経してる?)
辰の一族の問題を解決できたかも怪しいし、下手すれば門前払いを受けていたはずだ。
「では、入っていただきましょう」
小部屋から盗み聞きをしていた人たちがやってくる。
「羅の一族がいつまで経っても来ぬと思いきや。こういう趣向でしたか」
卯の元長、おそらく里樹の祖父は落ち着いている。病弱と耳にしたことがあったがその通りひょろりと枯れ枝のような体に長い髭がついていた。車輪付きの椅子に座り、中年の女性が椅子を押していた。
「失礼を承知で申し訳ない。どうしても黙っていてくれという話でしてね」
卯の元長は部屋の中に入る。
「はい。長年のわだかまりを解くちょうどいい機会かと、荒療治を試みました」
羅半は怪しげな笑みを浮かべ、深々と頭を下げる。
辰の大奥さまも羅半に倣うように椅子から立つと、頭を下げた。孫のほうは盗み聞きされたことに対して憤りを感じているようだが、父親らしき補佐の男に頭を押さえられると大人しく従うしかない。
「四十年前はお世話になりました」
「……なんのことでしょう? うちの妻がいらぬ節介をしたのかもしれませんが」
しらばっくれるところが食えない。
「そういえば四十年前と言えば、預かり物があったので返しに来ました」
介助の女性が車輪付きの椅子の下から何やら取り出す。包みはずっしり重そうだ。
「これをどうぞ」
卓の上に置かれ、包みが開かれる。
包みの中には、見事な龍の置物があった。
(うひゃあああ)
売ったらなんぼになるのか換算してしまうのが、猫猫だ。というか、きっと羅半は頭の中で算盤をはじいている。置物の大きさと形から重さを概算しているはずだ。地金で相当な重さなのに、細工の見事さを考えると屋敷の一つ二つ建てられる代物だ。
そして、卯の元長の目は潤んでいるように見えた。
「私は不勉強でしたな。辰があれほど自慢する家宝がなんたるかしっかり聞いていなかった。だから、あの日私は動揺するしかなかった」
卯の元長は手のひらを広げる。両手に熱い物を掴んだような火傷の痕が見えた。
黄丹の玉を掴むのは四本指の龍。別の誰かが見つけ、女帝に報告すれば辰の一族の今はなかったのだろう。まだ熱が残る龍の置物を掴み、隠したのだ。火傷はその時の物かもしれない。
「あやつが存命のうちに返したかった。同時に、これを返せばまた謀反を企てるのではないかと不安にもなった。あやつは先の皇太后を嫌っていたが、誰よりも皇族を尊く思っていたことを知っていたはずなのに」
監査を引き受けたのも、そんな証拠が出るわけがないと信頼していたのかもしれない。
「あの世へ行ったら、早とちりをするなと一発殴られるかもしれん」
「いいえ。あの人のことです。逆に土下座して謝るかもしれません。私はがみがみ怒られるでしょうけどね。ふふ、家宝を焼いてしまったのですもの」
大奥さまは笑いながら一粒だけ涙をこぼした。
「こ、これが我が家の家宝ですか?」
孫が龍の置物を見る。感動するとともに、これでは謀反を企てていると思われても仕方ないと顔に出ていた。
「家宝が戻って来たとしても到底、公開できませんね」
「そうね。置物を貰った逸話は書として残していて、指の数の記載もあったんだけど、よく燃えてしまいましたから」
大奥さまはばつが悪そうに言った。
「龍だけならともかく、指の数と玉だけはどうにかしないと」
「どうにかすればいいだろう」
ずんと入り込んできたのは変人軍師だ。
「何かお考えでもあるのでしょうか?」
卯の面々も変人軍師には少し距離を取る。一体、これまで方々にどれだけ迷惑をかけてきたのだろうか。
「指と玉がなければいいんだろう?」
変人軍師は持っていた山査子の串から、残り一つとなった山査子をつまみ取る。そして、串を龍の指と指の間にずぼっと突っ込んだ。
『……』
いきなりの行動に誰もが反応が遅れる。結果、変人軍師がぐいっと串を傾けて、ぼきりと嫌な音がした。
細かい指先は他よりも強度が低く、かぎ爪が一本砕け落ちる。共に、黄丹色の玉も転がった。
「これでよしと」
変人軍師は残った山査子の赤い実を折れた龍の指にのせる。変人軍師の指先からべたっと飴の糸が伸びた。
時が停まる。
さっきまで感動の雰囲気だったのに、大奥さまの目は一瞬で乾いていた。補佐の男と孫は、顎が外れるほど大きく口を開けている。
卯の一族も、目をこれでもかと見開いていた。
羅半に至っては、びっしり計画通りにすすめていた最後にやらかされたのだ。灰のように燃え尽きていた。
護衛達も動けなかった。この流れでいきなり家宝を破壊するなど、誰も思うまい。
ゆえに最初に動けたのは猫猫だった。
「なーーーにやってんだ、この莫迦!」
猫猫が人目を憚らず変人軍師に蹴りを入れた。運動が壊滅的にできないおっさんは見事椅子からふっとばされる。
本来、ありえないくらい無作法な行為だが、誰も猫猫を咎めることはなかった。
羅半は計算間違いをした。変人軍師は計画に入れるものではない。