十七、辰の家宝 後編
猫猫は大きく息を吐く。
「ではお言葉に甘えまして、いくつか質問させていただきます」
さっきの話で気になった点と言えば――。
「家宝の龍の置物の具体的な形状を教えてください」
「具体的な形状ですか? 大きさは……、描いたほうが早いですね」
補佐の男が大奥さまに紙と筆記用具を渡す。大奥さまはすらすらと見事な龍を描いた。
「お上手ですね」
猫猫は素直に感嘆する。
「素人の手習いです」
描かれた龍は、猫猫の想像する一般的な龍だった。大蛇のような長い胴体に、二本の角。かぎ爪がある前脚には玉を持ち、鬣がある。原寸で描かれているとして、三寸くらいの台座に龍が鎮座している。
特におかしな点はないかに見えた、一か所を除き。そして、猫猫が気づくなら目ざとい羅半が気づかないわけがない。
「指は四本ですか?」
羅半の言う通り、玉を握る龍の指は四本描いてあるように見える。
「はい、そうです。本来、皇族でなければ許されません。ですが、当時の帝はそれほどまでに、当時の東宮を愛されていたのです。たとえ、臣下に下ったとしても、息子には違いないという証でした。玉も、紫を与えられておりました」
紫は黄色に次ぐ高貴な色とされている。
最も高貴な色は黄丹と呼ばれる黄色で、この色は皇帝以外に着用は許されていない。
「像の材料は純金でしょうか?」
「いえ、純金ではなく銀を混ぜたものだったかと思います」
金は柔らかい。加工しやすいが同時に、潰れやすい。銀を混ぜることで強度を上げるのは別におかしな話ではない。
猫猫は目を瞑る。
(異なる金属を混ぜてできた合金は、溶ける温度が低くなることがある。でも、金と銀ではそんなに下がるようには思えない)
大奥さまの言葉に嘘がないとすれば、家宝は焼けて全部なくなったと思っている。
「もう一度、具体的に火事の様子を教えていただけないでしょうか?」
「ああ、もういい! お祖母さま、説明などせずとも、卯の一族をしめあげてしまえば早いのです。行きましょう!」
お祖母さまの手を引っ張る孫の頭に補佐の男がげんこつを落とす。
(わー、なんか見たことがある光景)
体育会系の家柄は皆、肉体言語で語るのだろうか。
「火事の原因はなんでしょうか?」
「……書庫の灯りが燃えたのが原因です」
「そうです……かっ!」
猫猫は慌ててわき腹を押える。変人軍師がいきなり指で突いてきたのだ。
片眼鏡の変人の目は妙に輝いていた。犬がとってこいをして持ってきて、褒められたい顔だ。
(もしかして、今、大奥さまが嘘をついたと言いたいのか?)
変人軍師は細い目をさらに細める。
嘘を教えてくれたのはありがたいが指で突かれると気持ち悪いので、手を叩いておいた。
(火事の原因を誤魔化すのはどういうことだ?)
猫猫は念頭に入れつつ、次の質問に入る。
「蔵は全焼ではなかったと言いましたね。具体的にどれくらい焼けましたか?」
大奥さまは記憶をたどるように俯く。
「蔵が崩れ落ちるまでには至りませんでした。しかし、中は黒焦げで書物が多かったのでほとんど残らなかったのです」
「書物はだめと。では家具の類もだめですね。壺などあれば無事だったでしょうか。いや、美術品なら価値が無くなってしまうはずですね。剣や鎧はなかったのでしょうか?」
「蔵には美術品としての剣や鎧はいくつか。あと代々の嫁入り道具は、火元から遠かったのか燃え残っていたと記憶しています」
これには、変人軍師は反応しない。
「では、最後に。卯の一族が火事を消したと言いましたが、それは元々訪問される予定だったのですか? それとも偶然通りかかったのでしょうか?」
「卯の一族は、我が家門を訪問する予定でした」
「では、その訪問を知っていましたか?」
「……」
猫猫の質問に、大奥さまは止まる。
「……いいえ。突然の訪問でした」
この件に関しては嘘をついても仕方ないと思ったのか、正直に答えている。
「なぜ突然訪問されたのでしょうか?」
「……女帝の命だったからでしょうね。先ほども言いました通り、卯の一族は女帝に従っておりました。当時の辰の一族は、私の夫が長として代替わりしたばかりで、まだ若く血気盛んだったのです。皇族でなくとも皇族に準ずる地位にいると、周りの反女帝派はまくし立てました。そこに卯の一族が訪問するとなれば、大体理解ができますでしょう?」
「謀反の証拠をおさえに来たのでしょうか?」
「おそらく」
曖昧な言い方なのは、火事で何もかもなくなってしまったからだろう。
「数々の家宝は消し炭となりましたが、私はあれでよかったのだと思っています。当時の女帝の勢いを考えると、あのままでは我が一族はとうに消えていたでしょう。ただ、残念なのが、夫が親友と最後まで仲直りできなかったことでしょうか」
大奥さまはほろりと涙を流し、手ぬぐいで押さえるように拭った。
「質問は終わりましたか?」
孫が猫猫に対してかろうじて敬語を使って話す。
「はい」
「なにかわかりましたか?」
「はい」
「えっ⁉」
孫だけでなく、大奥さまと補佐の男も目を見開く。
「今のでわかったというのですか?」
「全部ではありません。ですが、いくつか怪しいところはわかりました」
羅半も気づいた点があったらしく頷いている。変人軍師はじっと大奥さまが嘘をついていないか観察していた。
「怪しいところとは一体?」
「書物は燃えて、剣や鎧、嫁入り道具は燃え残っていたと言いましたね。嫁入り道具とは、銅鏡も含まれていますよね」
「ええ」
「じゃあおかしいね」
「おかしい」
猫猫と羅半は顔を見合わせる。
「どこがおかしいのですか?」
補佐の男が珍しく口を開いた。
「それはですね」
羅半が話し出したので、猫猫は説明を奴に任せることにする。
「先ほど、家宝の金の像が溶けてなくなったと言っていましたよね。ですがその時の火事では溶けるほど高温になったと考えにくいんです」
「ど、どういうことですか?」
「銅鏡、材料は銅ですよね。銅と金は大体溶ける温度が一緒なのです」
羅半は眼鏡を光らせる。
「銅鏡が溶けていないということは、金も溶けていない可能性が高い。何より、金は溶けても無くなったりしません。溶けた塊がどこかに落ちていたはずです。金は地金の時点で価値が高いので、溶けた塊を利用していないとは考えにくいのです」
「そうなのですか?」
大奥さまは目を丸くする。普通、溶けた金属の温度なんて、良家の女性は知らないはずだ。一般常識ではない。猫猫や羅半の場合、おやじや商売関連の知識で得ているので、そっちのほうが特別なのだ。
「で、では、一体、家宝はどこへ行ったというのですか?」
「その前に、あと二つほど確認を」
「なんでしょう?」
「卯の一族は突如、辰の一族の屋敷に訪問した。ちょうど火事の真っ最中であり、火事を消してくれた。でしたね」
「ええ」
「火事を消した後、入念に焼け焦げた蔵の中を確認し、謀反の証拠を探したのですよね」
「おそらく」
そこで証拠がなかったのだから、女帝は辰の一族に何も手を出せなかったと考える。
では、本当に謀反の証拠は出なかったのだろうか。
猫猫は懐から独特な趣味の簪を取り出す。簪についている紫水晶の髑髏をむしった。
「妹よ。いくらなんでも貰った人の前で貢物を破壊するのはどうかと思うよ」
「猫猫や、髑髏だけが欲しかったのかい。じゃあ、今度は水晶で髑髏の数珠を作ろう」
『やめてください』
猫猫と羅半の声が重なった。
猫猫は髑髏を大奥さまに見せる。
「龍がつかんでいた玉というのは、こんな紫水晶ですよね」
「ええ。色合いも同じだったと思うわ」
「では」
猫猫は部屋の隅っこにある火鉢を見る。この季節に火鉢となると暑苦しいが、茶を入れるのに必要なのだ。
「火鉢を持ってきていただけますか?」
猫猫は二番に頼む。羅半や変人軍師に頼んでも、非力すぎてひっくり返すのが落ちなので頼む気にならない。
「かしこまりました」
二番は軽々と火鉢を持ってくる。
猫猫は火箸を取ると、髑髏の紫水晶を炭の上にのせた。紫水晶をころころと転がす。
「おや?」
灰にまみれた髑髏の色がみるみる変化していく。藤のような見事な紫色が薄まり、白っぽくなったと思ったら黄味を帯びていく。
「出来上がり」
猫猫は火箸で髑髏をつまむと、ふうっと息を吹きかけた。灰が落ち、濃い黄色の髑髏が現れる。
「色が変わった?」
孫が目を丸くする。
「金属が高温で溶けるように、宝石も色を変えます。紫水晶は色が変わりやすく、日光に当て続けるだけで青みが落ちてしまいます」
そして、火事など高温にさらされると、宝石は割れたり変色したりする。
「家宝の龍の置物は、部外者に見せることはありましたか?」
「いいえ。滅多なことでは見せませんでした。代替わりなどのお披露目の際に、客人に見せることはありましたが、そのまえに火事になりましたので」
「じゃあ、みんな知らなかったのでしょうね。皇族でもない一族が、四本指の龍の置物を持っているなど。さらに濃い黄色、黄丹を思わせる色の玉を握っていたとすれば――」
「そ、そんな偶然があってたまるか」
孫が真っ青な顔をする。
「で、では、火事の時に家宝が燃え残っていたのなら、とうに我が一族は女帝に処分されたのではないか?」
その通りだと猫猫は思う。だが、そうでないということは、誰かが家宝を持ち去ったということになる。
猫猫は大奥さまを見る。
「誰が家宝を持ち去ったのか、大奥さまは見当がついていそうですね」
「はい」
「何より、その方から教えてもらったのではないでしょうか? 卯の一族が訪問する旨を」
「何もかもお見通しのようですね。そうです」
猫猫は一呼吸置く。
「知らせを聞いた大奥さまが、蔵に火をつけたのでしょうか?」
猫猫の質問に、大奥さまは大きく頷いた。