34 解雇
「どういたしましょうか?」
寡黙な従者は主に書類を渡す。
どうにもこうにも頭を抱えたくなる案件だ。
「先日の風明の事件より、彼女の実家及びその関係者の名簿なのですが」
風明はそのまま処刑、一族郎党皆殺しは行われなかったものの、親族は皆、財産をすべて奪われ、重さの違いはあるもののすべて肉刑に処せられている。
主である阿多妃にはなにも沙汰がなかったのは幸いである。
関係者の中には、実家の商いの取引先も含まれていた。ただの養蜂農家だとおもっていたが、なかなか手広くやっていたようである。
「後宮内に八十人ほどその子女がいます」
「なんだ、二千人中八十か。なかなかの的中率だな」
「そうですね」
高順は眉間にしわを寄せる主にたずねる。
「隠ぺいしますか?」
「できるか?」
「お望みであれば」
お望みであれば。
高順は壬氏の言葉通りに従うだろう。
それが正しいのかは関係なく、壬氏のいうままに。
深くため息をつく。
関係者の中に見慣れた名前が記述されてあった。
かどわかされて、身売りされた先は、くだんの関係者だったらしい。
「さてどうすべきか」
簡単に決めてしまえばよいのに。
自分の選んだ行為によって、娘がどんな顔をするのか、とても恐ろしかった。
○●○
「大量解雇?」
「そだよ」
おやつに干し柿を食べながら小蘭はいった。干し柿は、猫猫が果樹園から失敬し、こっそり軒下につるして作っていたものだ。
「なーんか、一族郎党皆殺しとかそんな感じで、取引のあった商家とかの娘はやめなくちゃなんないんだって」
(それは、なんだか嫌な予感がする)
猫猫の予感はよく当たる。
書類上の猫猫の実家は、交易をおこなっている商家だった。
(いま、解雇とかかなり困るんだが)
それなりに今の生活は気に入っている。
そりゃ、花街に戻れるのならうれしいことに違いないが、戻ったところで銭の算段しているやり手婆につかまるのがおちだ。
李白ののち、いまだ上客を送り込んでいない。
それが問題である。
(確実に売りとばされる)
猫猫は小蘭と別れると、普段会おうとか思わないその人物を探すことにした。
「珍しいな。息が荒いぞ」
後宮の正門で、麗しき宦官は軽く言ってくれる。
猫猫は、翡翠宮のほか四夫人の屋敷をすべて周り終えた後だった。
「……っ」
「落ち着け。顔が真っ赤だぞ」
壬氏は天女の顔に、いささか焦りを見せている。
「おっ、お話が、あ、あります」
猫猫は切れ切れに言葉をつむぐ。
壬氏は目を細めた。なぜだか、憂いを含んだ顔だった。
「わかった。中で話そう」
通されたのは宮官長室で、いつもどおり外で待ちぼうけを食らう長には悪いと思う。一礼して中に入る。
「どうせ、今度の大量解雇について聞きたいのだろう」
「はい。私はどうなるのでしょうか」
返事の代わりに壬氏は書類を見せる。上質の紙に書かれた中に、猫猫の名もあった。
「つまり解雇というわけですね」
(どうしようか)
解雇といわれてやめてくださいと言える立場ではない。自分はたかが女官だということは重々承知している。
無表情のまま、媚びる目をしないようにこらえた。結果、いつものくせで毛虫でも眺めているような顔になった。
「どうしたい?」
うかがい聞くその声に、いつもの甘さはない。むしろ、逆に甘えるような少し幼い声だった。声色と違い、顔だけは真剣に固まった顔をしていた。
「私は、ただの女官です。言われるままに、下働きでも、まかないでも、毒見役も命じられればやります」
(だから、解雇にしないでくれ)
精いっぱい雇ってくれといったつもりだった。
青年の表情は、固まったままで、ふと視線をそらすと小さくため息をついた。
「わかった。退職金ははずもう」
青年の声は冷たく、うつむいて表情は読み取れなかった。
交渉は失敗した。
○●○
いじけた主を見るのは、今日で何日連続だろうか。
仕事には今のところ支障はないが、執務室に戻ると部屋の隅に座り込み、陰気な空気を醸し出すのは勘弁願いたい。
胞子でも飛ばさん勢いである。
麗しき天女の笑みとはちみつの声を持つ青年はそこにはいない。
猫猫は解雇通告の翌週に出て行った。愛想はないが、礼儀正しく、世話になったところに一軒一軒回って行ったらしい。
玉葉妃は渋っていたが、壬氏が決めたことだと聞くととりあえず引き下がった。「後悔しても知らないわよ」とご丁寧に捨て台詞を残して。
「やっぱり引き止めればよかったのでは」
「なにもいうな」
高順は腕組みをし、眉間のしわを深くする。
お気に入りの玩具をなくしたときは、どんなものだったか。
より新しい珍しい玩具をあたえるのに、どのくらい苦労しただろうか。
玩具といっしょにしてはいけないのかもしれない。
壬氏は娘を道具として扱いたくなくて、引き止めるのをやめたのだった。そこで、新しい毛色の違った娘をあてがえたところで何になろう。
まったくもって厄介である。
「代替がだめなら、本物を用意するしかないか」
壬氏に聞こえない声でつぶやくと、ふとある人物を思い出した。
娘の実家をよく知る武官である。
「手間のかかる」
苦労人、高順は首の後ろをかいた。