十五、兄の役割
姚たちは開始時刻ぎりぎりになってやってきた。
すでに他の家は席についており、馬の一族の席も埋まっていた。
(必要最低限にしますとか言っていたのに)
姚はかなり着飾っていた。勿論、燕燕がやっているのでごてごてとした過装飾ではなく、あくまで見る人が見れば、こだわりを感じる服や髪型、装飾品である。
猫猫も燕燕の見立てで服を用意してもらっているが、とても品がいい。燕燕は、姚専属でなければ引く手あまたの一流侍女だろう。
(逆に嫁に欲しがられるぞ)
嫁の感覚の良さは旦那の服装の趣味に繋がる。良い家では、趣味が悪い恰好をした嫁を貰おうと思わないのだ。
「猫猫やー、かわいいねえ。でも、髪型が寂しいから儂の簪を付けてみてはどうだい?」
変人軍師が猫なで声で、簪を差し出してきた。
「うわっ……」
羅半兄が声に出し、羅半が目を背けた。簪は銀製で剣の形を模しており、龍が巻き付いていた。さらに鎖で紫水晶の髑髏がぶら下がってからんからんと音を立てる。
「龍としゃれこうべが一緒だと不敬になりませんか?」
姚が至極真面目に感想を述べた。猫猫及びその他の者たちは小刻みに首を横に振りつつ、「いや、他にも言いたいことあるけど」という顔をしながらも言及しなかった。
羅半兄が「昔は好きだったけどさー」と漏らしたのは聞かなかったことにする。
「不敬になるので却下です」
「そうなのか」
変人軍師はしょぼんとした顔をするが、猫猫が受け取ったのを見て顔をぱあっと明るくする。
(潰して地金として売ろう)
「猫猫や。今度はどんな簪が欲しいかい?」
「純金。混ざり物無しで」
「そうか、純金だね」
「妹よ。わが家の借金を増やすようなこと言わないで」
羅半が切実な顔をしていた。今、一体いくら借金があるのだろうか。
開始の時間になり、並べられた円卓の中央に丑の好々爺がやってきた。
「皆さま、お集りいただきありがとうございます」
好々爺はにこやかに挨拶をしながらぐるぐると回る。落ち着きがない行動に見えるが、上座も下座も作らない以上、一定方向に向いて挨拶をするわけにはいかないという配慮があった。
「五年ぶりの開催にあたり、前回の会とはいくつか違うところがございますが」
(子の一族が無くなったことと玉の一族が増えたことかな)
玉の席には、玉葉后や玉袁はいなかった。代わりに三十路過ぎくらいの男女がいた。
猫猫は玉袁の子どもたちだろうと推測する。他の席はどうかなと周りを確認する。
「猫猫、きょろきょろするのはみっともないわよ」
姚はちょっと緊張しているのか、顔が紅潮していた。
しかし、丑の好々爺の話は長い。客に配慮を心掛けているのなら、話の長さも考えてほしかった。
変人軍師はあらかじめ羅半が頼んでおいた菓子に手をつけている。
話は終わらないが、料理はどんどん運ばれてきたのは幸いと言えよう。円卓の中央には家鴨の丸焼き。くらげの和え物や皮蛋、冷麺など夏らしい献立が並ぶ。
(家鴨……)
そっと馬の一族の円卓を見ると、複雑な表情をした馬閃がいた。きっと愛玩動物の家鴨を思い出しているに違いない。
「なんか可哀そうだけど仕方ないよな」
羅半兄は、そこらへんは割り切っているのか、使用人に切りわけられた家鴨の肉を美味しそうに食べている。
猫猫は卓に置かれた黄酒の酒瓶を取ろうとした。
「駄目だよ」
羅半が酒瓶を奪う。
「なんでだよ」
猫猫は不満そうに目を細めた。
「猫猫には仕事があるから、酒はほどほどに」
「……」
羅半は使用人に命じて酒の類を全部回収させた。
猫猫は黙って食事をすることにした。
小父さんたちの話は長い。丑の好々爺に続いて、どこぞの一族のご隠居が茘の歴史について話しだした。
全部終わったのは四半時後くらいで、猫猫の腹は料理で満たされていた。
「あとは皆さま、ご自由にお楽しみください」
その言葉をどれだけ待っていただろうか。猫猫は別に気にせず食事を続けるが、真面目な若者は年長者に失礼がないよう、ご馳走が冷えるのを前にしながら、長話を聞かねばならなかった。大体馬閃のことである。
中央の円の舞台から、ご隠居達が降りると、華やかな衣装を着た踊り子が現れる。帔帛を巧みに操って舞う姿は見ものだ。どちらかといえば緩めの会合とあって、音楽も若者向けの明るいもので、歓談に花を添える。
若者たちは席を立ち、周りに挨拶をし始めていた。
引率の長老たちは座ったままその様子を微笑ましく眺めるか、中には長老自身が気に入ったのか自ら挨拶に出かける者もいる。
さて、猫猫たちの席といえば――。
「誰も来ねえな」
羅半兄が羹を飲みながら言った。
「待っているのに飽きたなら、回っていいですよ、兄さん」
羅半はまだゆっくり食事を楽しみたいのか、立ち上がる気配はない。
「いや、そういうわけじゃねえけど」
羅半兄は一般的な感性の持ち主なので、この円卓だけはぶられているのが落ち着かないのだろう。
「燕燕、このお料理美味しいわね」
「はい、お嬢さま。今度再現しますね」
姚と燕燕に至っては、それを見越してやってきたので落ちついたものだ。
猫猫も料理を楽しみつつ、本題を忘れてはいけない。
「それで、姚さんに粉をかけてきた不届き者はいますか?」
「いないけど、家自体は参加しているわね」
「どこの一族なんですか?」
「辰の一族よ」
(まじかよ)
猫猫は羅半をちらりと見る。羅半の眼鏡の奥の細い目がめんどくさそうに鋭くなっていた。
「これから行きたいのだけど」
姚が席を立とうとする。
羅半と猫猫、それから羅半兄は思わず慌てる。さっきの卯と辰の一族の話を姚と燕燕は知らない。なお関係ない羅半兄は、空気を読んで慌てている。いい人だ。
「ちょっと待ってください」
猫猫は羅半と目配せをする。
(姚に説明したほうがいいのか?)
いやここは首を突っ込ませないほうがいいだろうと判断し、大きく息を吐く。
「辰の一族と伝手はありますか?」
「……ないわよ」
「はい。ないと思います。なので、いきなり姚さんが一族の重鎮に一言申しあげるというのは、礼を欠く行為ではないかと思います」
「それはわかっているわ」
姚は軽く口を尖らせる。
(一年見ない間に少しは大人になったかな?)
猫猫は羅半を見る。羅半はすでに姚たちの状況を把握しているのだろう。
「僕は今から辰の一族に商談を持ち掛ける。まず、僕らが先に行って話をつけておきたい。姚さんとしては早く自身の問題解決したいのはわかるけど、本来君たちは部外者だ。変に顔を出して、我が家に赤字をもたらすようであれば、即刻家から出て行ってもらいたいんだけど」
羅半の言葉は辛辣だが、真っ当な話だ。姚は唇を噛んでおり、燕燕が鬼女の様相になっている。
(むしろ変わっていないのは燕燕のほうか)
燕燕をどうにかしないと姚は成長できないのではと心配になる。
「なんで、僕らは今から辰の一族と話をしてくる。その間、君たちは残ってもらいたいんだ。勿論、僕らの話が終わったら、君たちを紹介するよ」
「質問ですが、私たちだけ残っていたら面倒なことになりませんか?」
燕燕が眦を上げたまま羅半に言った。
「大丈夫だよ。兄さんが代わりにいてくれる」
「はあっ⁉」
羅半兄は初耳らしく思わず立ち上がる。
「そ、そんな話聞いてないぞ」
羅半は羅半兄の肩を叩く。
「兄さん。美しい女性二人を置いていくのは忍びない。申し訳ないが、ここで二人を守ってくれないだろうか?」
羅半兄は姚と燕燕を見る。
羅半はそっと羅半兄に耳打ちする。
「義父上は交渉には必要不可欠な人だ。男たちが全員いなくなると問題だろう。頼むよ、兄さんにしか頼めないことなんだよ」
耳打ちしつつも、丸聞こえだ。
「うっ、わかったよ」
羅半兄が折れた。
「助かるよ、兄さん」
猫猫は横で見ながら、こんな風に西都にも連れて行ったんだろうなあ、と察した。羅半兄はあまりに人が良すぎる。