十三、丑の別邸
馬車に揺られること一時。
都からさほど遠くない場所に大きな屋敷がある。
「あそこが丑の別邸だ」
羅半が不機嫌そうに説明をする。まだぽつんと遠くに家らしきものが見えるだけだ。近くに川と森があり、農村も見える。
「ふーん」
猫猫は興味なさそうに答えた。朝早くに出てきたので正直眠い。ただ、食べ物だけは美味しそうな立地なので期待しておきたい。
「丑の一族の長がその昔、みんなでたまには集まって茶を飲もうかと言い出したのがきっかけで、名持ちの会合は始まったんだよ。というわけで言い出しっぺの丑の一族が毎度仕切っている」
「子孫には迷惑甚だしい」
「記録によれば、毎年やっていたのを数十年前から一年おきに、今では五年に一度の開催になっている」
やはり予算的にはきつかろう。
「うちじゃなくて本当に良かったと思う。とはいえ、僕も今回初めて参加だけどね」
羅半は馬車の窓から外を見る。馬車は三台。それぞれ、二人ずつ乗っている。
「前の馬車大丈夫かなあ」
「大丈夫って。なら、あのおっさんとおまえが一緒に乗ればよかっただろ」
猫猫は呆れた顔をする。
今回の会合には変人軍師も参加することになった。色々、なんやかんやあったが、とりあえず図説のために猫猫は我慢する。
後ろの馬車には、姚と燕燕が乗っている。この二人の同行についてもなんやかんやあった。
では、変人軍師の相手をしているのは誰かという問題になる。
答えは――。
「羅半兄、いつのまに帰ってたんだ」
「うん、帰ってたよ」
「怒ってなかったか?」
猫猫としてはとても気まずい。
「兄さんが怒らない日はあるのかい?」
「そうだね」
羅半兄に怒られたとしてもどうにか誤魔化そう。
屋敷は確かに立派だった。馬車がいくつも停まっている。
(立派は立派だけど)
猫猫自身は貧乏性が残っているのに、妙に目が肥えてしまった。つい皇族の住まいと比べそうになる。
なので、住まいの評価の焦点はいかに豪華なのかではなく、いかに趣味が良いかに変わってくる。
門をくぐると石畳があった。その先に玄関があり、左右には庭が広がっている。
(建物自体は古い。でも丁寧に管理されているので、老朽化しているようには見えない)
屋敷自体がとても広いのは会合のために造られたからだろうか。似たような部屋がずらりと並んでおり、それぞれ客を案内しているようだ。派手な装飾はないが、柱や壁の細工自体は細かい。無駄な調度品はなく、風通しは良い。過ごしやすさを重視して造られているのだろう。
庭に竹林があるのも、雅な空間を造っている。竹は見た目よりもずっと繁殖力が高く、放置すればいたるところに筍が生えて、床下から突き破ってくる。
季節を想定して庭が区画ごとに分けられており、百日紅の花が見事に咲いていた。夏の花といえば薔薇が頭に浮かぶが無いのを見ると、一つ一つよりも全体の調和を考えて植えられているのだとわかる。
「猫猫やー」
馬車から降りた変人軍師が猫猫の元にやってくる。
猫猫は面倒くさそうな顔をしつつ、これ以上近づくなと間に羅半を置く。
変人軍師の後ろに羅半兄がいる。兄はじっと猫猫を見ると、ぷいっと顔をそむけた。
(怒ってる)
ただ、その仕草が妙に幼女じみていて、怖くないのは指摘すべきだろうか。
「さあさあ、行きましょう。部屋も用意してくれているそうです」
羅半が手を叩きながら、みんなを誘導する。御者三人は護衛も兼ねており、三人ともがたいが良かった。もしかして三番も来るのだろうかと冷や冷やしたが、さすがに羅半とてこれ以上、火種を増やすことはなかった。何より三番までいなくなると、都の屋敷を管理する者がいなくなるだろう。
「子どもじゃねえんだから」
羅半兄がぶつくさ言った。だが、精神年齢が子どものような生き物がいるので仕方ないと猫猫は思う。
屋敷の玄関には使用人が左右に列を作って並んでおり、頭を下げている。
「ようこそ、いらっしゃった」
恰幅のよい好々爺が出迎えてくれる。三十貫は優にありそうで、頬はつやつやと輝いていた。
「いやあ、羅の一族が会合に参加とは。これまた記録によると、なんと二十年ぶりですな。私は、丑喜と申します。すでに一族は息子に長を任せて隠居の身だが、こうして皆さんをおもてなしするのは、まだ現役なのでよろしくお願いします」
好々爺こと丑喜は羅漢に手を伸ばす。しかし、羅漢と言えばぼけっと屋敷を眺めつつ耳の穴をほじっていた。
「お招きいただきありがとうございます。祖父の代は何度か参加していたと聞いております。みなさんと有益なひと時を過ごせれば、幸いです」
羅半が代わりに好々爺の手を握る。
「ははは。羅漢殿は鳥のようなかたですな」
好々爺は特に気にした様子もなく、羅漢を飛ばして羅半兄に握手を求める。丁寧に猫猫たちの前にきて挨拶するが、手を握るまではなかった。
「若い娘さんがたと握手をしたいのはやまやまだが、いらぬ嫉妬をされるわけにもいきません。泣く泣く断念いたしましょう」
丑の祖先はお調子者だったようだが、子孫もまたその性質を受け継いでいるのか口が達者だった。
「さあさ、控えの間は用意しております。今宵はごゆるりとお楽しみください」
猫猫たちは使用人に案内される。
長い廊下からよく庭が見えた。すでに先客たちがいる。四阿で茶を楽しんでいたり、池の鯉に餌をやっていたりした。
廊下を渡る猫猫たちに気が付いたのかこちらを向いたが、その中の一人が真っ青な顔をして四阿の柱に隠れたのを見た。ぼんやりひらひら飛ぶ蝶を目で追いかける変人軍師か、それともやたら笑顔をはりつけた羅半か。どちらかが原因だと考えられる。
「姚さん」
猫猫はちらりと姚を見る。
「な、なに?」
「姚さんが不安なのはわかりますが、私の腕をそんなに強く握らないでいただけますか?」
(燕燕が怖いから)
「あっ」
姚は慌てて猫猫の腕を放す。屋敷に入ってからずっと腕を組まれていた。
姚はきまり悪そうな顔をして歩く。彼女なりに緊張しているらしい。
(少なくとも、この変人が抑止力になるのは確かだなあ)
臭い植物は虫が避けるものだが、同じく虫よけにはちょうどいい。その臭さを我慢できれば。
使用人はずんずん廊下を進んでいく。同じような戸が並んだ客室らしき部屋を通り過ぎ、離れへと案内した。
「こちらでございます」
「こちらでございますか」
部屋数は十分あるが、他の一族と扱いが違う気がした。
「離れかあ。これなら義父上が歌ったり踊ったりしても迷惑はかからないし、火がついても母屋には移らないね」
羅半の想定はまず物騒だが、無いと言い切れない。後宮を爆破しようとした過去がある男だ。
離れの中には三つ部屋があった。
「儂、猫猫と同じ部屋がいいのう」
おっさんは長椅子に寝そべり、自宅のようにくつろいでいた。
「義父上は年長者なので一人部屋です」
きっぱりと言われてしょぼんとするおっさん。羅半兄は、別邸をきょろきょろ見回している。
「女性陣は一番広い部屋で三人でも問題ないでしょうか?」
「ああ」
護衛三人の部屋はないが、居間が広いので問題なかろう。
猫猫たちは割り当てられた部屋に荷物を置く。部屋には寝台が三つあり、宿泊もできるようになっている。
(基本、泊まりなんだろうな)
猫猫はさっさと終わらないかなと思ったが、そう上手くいかない。
「会合と言っても本当にゆるいのね」
「正午に宴会場で食事会がありますので、身支度を整えましょう」
燕燕は荷物から姚の服を取り出す。化粧品も完備で、じゃらじゃらと重そうな簪が出てくる。
「燕燕、一つ質問が」
猫猫が挙手する。
「なんでしょう、猫猫?」
「ずいぶん張り切っているようですね」
「ええ、名家の方たちに姚さまを披露できるのです。私に手落ちがあってはいけません」
「もう、どんな服でもいいじゃない? 昨晩から何枚も服を確認させられて大変だったのよ」
姚が辟易している。
燕燕は侍女として大変優秀だが、一つ抜け落ちていることがある。
「綺麗に着飾ったら、さらに求婚者増えるのではありませんか?」
本来の目的は、求婚を断りにきたはずだ。着飾って良家のお嬢さまに見せては、違う虫が寄ってくるのではないか。
「……」
燕燕は姚と服を交互に見て、なにやら悩んでいる。燕燕は優秀だが、姚のことになると多少莫迦になる。悩んだ結果、お嬢さまを飾り立てる簪を一本減らした。
「猫猫も多少は着飾りなさいよ。若草色が擦り切れた普段着じゃ、いくらなんでも一緒に歩くのが恥ずかしいわ」
「これが着心地いいんですけど」
ふと猫猫は思った。さっきの好々爺は、護衛三人には挨拶をしなかったが、猫猫たち三人には挨拶をした。猫猫のことを下女として見なかった。
(単なるお調子者でもないのか)
猫猫はふむと顎を撫でる。
「猫猫の分も服を用意しています。どうせ普段着で来たのは、『私はこの通り、ひと前に出られるような恰好をしておりません。宴には皆さんで楽しんできてください』とか言って部屋に籠るつもりでいたのでしょう」
「……」
燕燕の言葉に猫猫は黙る。
「さて、時間になりますので早く準備をしましょうか」
燕燕は猫猫に服を押し付けると、姚の着替えを手伝った。
「めんどくせえ」
猫猫は仕方なく服を着替えることにした。