十二、迷惑な恋文
「そんなもの行くわけありませんよ」
猫猫は「名持ちの会合に一緒に来て欲しい」という馬閃の頼みをばっさりきっぱり断った。
断ったのだが――。
『妹よ、今度一緒にお出かけしないかい?』
『妹よ、楽しい宴があるんだ』
『妹よ、いい商売があるんだが』
羅半から連日、文が届くようになっていた。
(なに企んでんだよ!)
「また文が届いたんですか?」
長紗がやって来た。長紗は猫猫と同じく宿舎に住んでいる。同僚の妤は家族がいるので、宿舎にはいない。
長紗は呪い師の祖母を持つ農民の娘だ。猫猫と同じく小柄だが働き者で、最近は夕餉の菜を作り合っていたりする。燕燕の料理には及ばないが、素朴な味付けは悪くない。
「はい。これ、焚き付けに使っていいですよ」
「なんか申し訳ないですね」
と言いつつ、長紗は竈近くの箱の中に入れる。すでに竈には火がついて、鍋が置いてある。
「今日の菜は何?」
「豚と芋の煮込みです。猫猫さんのほうは?」
「私は花巻を買ってきました」
「はさみます?」
「はさみましょう」
猫猫は包丁で花巻に切れ目を入れると、間に煮込みの豚肉を挟む。
「なんか色味が足りない」
猫猫は宿舎の庭に出る。管理人が野菜を作っており、頼めば貰える。
猫猫は萵苣を収穫する。
「もうだいぶ薹が立ってるけど」
管理人は植える時期を間違えたのか、あまり出来は良くない。もっと涼しい時期に作っていれば美味しかったのだが、贅沢は言わない。
収穫した葉野菜を花巻の間に挟む。肉のうまみが生地にしみこみ、萵苣の歯ごたえがしゃきっとなる。
皿に盛らずに花巻に挟んだのは、洗い物をしたくないためだ。燕燕なら細かく言うのだが、長紗はそこまで良い育ちではないので、省けるものは省く。
特に会話もなく食事を終えると、湯あみの準備を始める。宿舎にはありがたいことに湯舟があるが、後宮とは違い自分で湯をはらねばならない。煮物の鍋の代わりに寸胴な鍋に水を入れて沸かす。湯舟を満杯にするには何度も沸かさないといけないので、三分の一程度の深さで我慢する。
「温かさはどれくらいにしますか?」
「湯と水の割合は一と三で」
「わかりました」
長紗が水桶から水を運ぶ。汲み置きの水を使うのは、井戸水を直接使うと温度が低いからだ。猫猫は井戸から水を汲んでおいて、あとから水桶に足す。
正直面倒くさい。他の宿舎に住む者たちは誰も湯舟に湯をはろうとしない。猫猫たちがやるのは、劉医官に毎日風呂に入れと言われているからだ。
「面倒くさいですね」
「やりたくないときは、風呂屋に行きましょうか」
「はい」
二人で湯の準備をするが先に入るのは猫猫だ。別にどちらが先でもいいが、一応先輩を敬う行動をしておかないと長紗も居心地が悪いだろう。
下着と寝間着を用意し、風呂に入ろうとした時だった。
「猫猫いますか?」
聞き慣れた声がすると思ったら、姚と燕燕がいた。
「いますけど、今からお風呂に」
長紗が対応していた。
猫猫は着替えを置く。
「どうしたんですか?」
すでに宿舎に彼女たちの荷物はない。
「ちょっと頼み事があって」
(また羅半がらみか?)
正直面倒くさいが、なんだかんだで猫猫は同性に弱い。
「先に湯あみしてて」
湯が冷えるといけないと、長紗を風呂場に押し込む。
部外者が立ち入ることを管理人はあまり好まないが、姚と燕燕なら顔なじみなので問題なかろう。燕燕はそういう時のために、ちゃんと管理人の好物を土産に持ってきていた。抜かりない。
「何の用ですか?」
「猫猫、名持ちの会合って知ってる?」
「……」
そっと姚から目をそらす。
「知ってますね」
「知っているわね」
ちらっと姚と燕燕の表情を確認する。
姚はいつも通り、燕燕は諦めと共に懇願に近い表情。
(羅半がらみだ)
猫猫は確信する。
「私も行きたいんだけど、もちろん資格がないわ。だから、猫猫の連れとして行きたいのよ」
「思ったんですけど、名持ちの会合なのでしょう? ほいほい色んな人連れて行ってもいいものなのでしょうか?」
「そこまで格式ばったものではなく顔合わせに近いものです。新しい人脈を作るのに適しているので、紹介したい相手を連れて行くこともあります」
さすが情報通の燕燕だ、よく知っている。
「私は行く気はないので、当たるなら他を当たっていただきたいのですが」
「羅半さまには頼んだけど無理だったのよ」
(ん?)
てっきり羅半が目的だと思っていたら、少し違うようだ。
「なぜ行きたいのです? 人脈でも作りたいのでしょうか?」
「反対よ、反対」
姚はばさっと卓の上に文の束を置いた。
むあんと香の匂いが漂う。
「もしかして恋文ですか?」
「そうよ!」
恋文にしても趣味が悪い。なんというか香の趣味も、匂いの強さも悪い。猫猫は普段、いかに上品な手紙しか受け取ってこなかったのだなと痛感させられた。
「中を見ても?」
「どうぞ」
猫猫は中を見た。正直、他人の恋文を見るのは失礼だと思ったが、尋常ではない香の匂いになんだか嫌な予感がした。
「うわああ」
「うわああ、よ」
姚は呆れた声だ。
燕燕も頷く。
恋文というのは普通相手を称える文章で彩るものだ。だが、この書き手はいかに自分が有能かどこの家柄かを語っている。自分に自信があるのは悪いことではないが、これは自己愛がすぎる。しかもやたら字だけは上手いので、代筆を頼んでいる可能性が高い。
「これを毎日持ってこられるのはいただけません」
燕燕が心底蔑んだ目を恋文に向ける。よくやってたなあ、と猫猫は懐かしむ。
「仕事中にやってこられるし、他の医官に追い出されてもめげないのよ。その上、家族にはもう前向きに付き合っているとか言い出して――」
猫猫が別の医務室に異動している間に色々あったようだ。
「へえ、やばいじゃないですか」
「気軽に言わないでください」
燕燕が猫猫を睨む。
「ええ。しかもお母さまに話をつけにいくとか言い出すのよ。まさか叔父さまの不在があだになるなんて思ってもみなかったわ」
「姚さまのお母さまは、少し世間に疎いところがありますので」
「口車にのせられたら、両家公認で結婚させられることになるわけですね」
「これなら叔父さまのほうが、見合いを挟むだけましよ」
少なくとも姚の叔父は、姪っ子のことを考えて相手を選んでいたようだ。
「名持ちの会合に出たいというのは、この恋文の相手が名持ちの一族であり、その長に直談判をしたいわけと」
「ええ!」
(無謀だ、無謀すぎる)
猫猫は燕燕の表情の理由がわかった。
確かに恋文の男はどうしようもない。しかし、男子が尊重される茘では、そのどうしようもない男の行動で姚は無理やり結婚させられるかもしれない。
とはいえ、いきなり名持ちの一族の元に直談判しに行くのはどうだろうか。
猫猫は燕燕の表情を読み取る。燕燕は何かしら猫猫に訴えかけている。
(来いと言っている?)
どうしてだろうかとふと考えた。
(もしかして変人軍師を連れだそうとしている?)
そうなると、しっちゃかめっちゃかになる。
(よし、断ろう)
そう思った瞬間だった。
「これ、本屋で見つけたんだけど」
姚は、分厚い図録を差し出した。生薬が描いてある。
「承ります!」
猫猫は、すかさず図録を手にした。