九、怪我人と付添人
翡翠の牌の出どころがわかるまで、何もせずに待っているわけにもいかない。普段通り仕事がある。
なので、猫猫は変わらず、医務室の仕事をやっていた。
「おーい、急患だ」
大声で呼び出されて、猫猫は薬棚の在庫確認をあとにする。
運ばれてきた患者は、胸部と腹部の間に打撲のあとがあった。丸い内出血で青紫色をしている。まだ二十歳ほどの青年だ。
「しばらくやせ我慢をしていたようだが」
「ええ。かっこつけて我慢をしていました」
患者に代わり、付き添いの男が答える。武官らしくない丁寧な口調だ。
打撲は、あとから痛みがひどくなる。それにしても、打撲程度ではない雰囲気だ。
「肋骨が」
「お、折れているのか?」
「ひびが入っているかもしれないです。かなりふっとばされましたので」
怪我人は我慢して声も出せないので、付き添いの武官が応対している。
「何で殴ったんだ? 木剣のあとには見えないのだが」
「素手です」
「す、素手? 熊にでもやられたか?」
思わず真面目な李医官がそんな冗談を言ってしまうくらい、激しい打撲あとだった。
猫猫も思わず瞬きをする。
とりあえず処置は李医官に任せて、猫猫は肋骨を固定するさらしや布、うっ血を冷やす手ぬぐいを用意する。内臓に損傷があれば、他にも道具が必要だ。
「どうですか?」
「内臓にはかろうじて損傷はなさそうだ。勿論、経過を診る。体を固定するので手伝ってくれ」
「患部の冷却はどうしましょうか?」
皇族ならともかく武官の怪我には、氷は難しい。冷えた井戸水を使うので精いっぱいだろう。
「湿布を用意してくれ。いや、その前に鎮痛剤だな」
冷却よりも骨の固定を優先したらしい。
「わかりました」
李医官は、西都で筋肉に目覚めたものの、いたって常識的な医官だ。慌てることなく患者を診る姿は、気持ちがいい。
患者は内臓に損傷はなかったようで、普通に薬を飲んでいる。ただ、怪我をした状況について黙っているので、付き添いの武官に訊ねることにした。
「訓練中の怪我ですか?」
「ええ、まあ。そうとも言えます」
曖昧な物言いをする武官だ。というよりあまり武官っぽくない。全体的に優し気な雰囲気が漂っているし、体つきも李医官よりずっと細い。
「ちょっと、言い争いになりまして、では打ち合いで決めようと」
つまり決闘ではないかと猫猫は思う。
「何が打ち合いだ……」
患者が重い口を開いた。
「化けもんだろう、素手で木剣を砕きやがった」
「素手で?」
猫猫は「はて?」と首を傾げる。どこかで聞いたことがある話だ。
(誰が……)
やったのかと聞こうとしたら、先に李医官が質問した。
「一体、どんな言い争いをしたんだ?」
場合によっては、上司に報告しないといけない案件だ。最近は、派閥争いで怪我をすることが多い。
「別に大したことじゃありませんよ」
付き添いの男が困った顔をする。
「何が大したことないだよ!」
怒ったのは患者だ。まだ腹が痛いのか、叫んで殴られた箇所をおさえている。
「おまえは、自分の妹を莫迦にされてなんで平気でいる?」
「私が妹のことをいまさら何を言われようと、関係ないと思ったからです。むしろ、身内と思われることのほうが、妹にとっては不愉快だろうと思っただけだよ」
「つまり、友人の妹のことを莫迦にされて、怒って決闘を挑んだわけか?」
李医官が確認するように、患者を見た。
「いや、違います」
付き添いが訂正する。
「私の妹のことを、こいつが莫迦にしました。そこに通りかかった違う武官が怒って、こいつと打ち合いを始めて負けたわけです」
「……なんだ、それは?」
李医官が首を傾げる。
猫猫も同じく傾げつつ、状況を整理する。
「ええっと、まず妹のことを莫迦にされたのが貴方ですね」
「はい」
付き添いが返事した。
「そして莫迦にしたほうが、貴方」
「そうだ」
患者が肯定した。
「そして、まったく別の通りかかった第三者が怒りだして、決闘まがいの打ち合いになり大怪我をした。そして、莫迦にされたほうが付き添いとしてやってきた」
「そうだ」
李医官と猫猫が揃えて首を傾げる。
「人が良すぎると言われませんか?」
猫猫は付き添いを見て言った。
「ああ。よく言われるね」
猫猫の問に付き添いは笑って返す。
「ともかく、怪我をさせた相手が知りたいんだが」
「……せん」
「ん?」
「馬閃だよ」
不貞腐れたように患者が言った。
「馬閃さまですか……」
あー、と猫猫は納得した。
ひどい怪我だと思ったが、馬閃が相手なら仕方ない。むしろ――。
「内臓破裂しなくてよかったですね」
しみじみ呟いてしまった。西都で盗賊の腕を小枝のように折っていたのが懐かしい。加減してくれたのだろうか。
「はあ? 木剣で受け身を取ってこれなんだぞ! 木剣が砕けた上で、このだぼ……っぶほっ!」
まだ大声を出せるほど元気はないらしい。
李医官が、喋るなと言わんばかりに固定したさらしをさらにきつく締める。
(人間の皮を被った熊なら仕方ない)
だが、ここで猫猫はあることに気が付いた。
「あのー」
「なんですか?」
武官らしくない、人の良さそうな付き添いの男を見る。
「もしかして、貴方の妹というのは里樹さまではありませんか?」
「はい。そうですが、よくわかりましたね」
付き添いの男は笑って頷いた。