五、開拓村
妤と克用を引きはがし、とりあえず話し合いをすることにした。
「きったない所ですが」
「悪かったな」
左膳の言葉に、猫猫が答える。元は猫猫の住まいだ。
「もう少し綺麗なところはないんですかー? 緑青館の一室借りるとかー」
いつのまにか合流してきた雀もいる。
あばら家に五人もいると狭くて仕方ない。
妤はまぶたを腫らしつつも、呼吸は落ち着いていた。拳で克用を殴ったので手が少し腫れている。
克用は口の中を切っているが、歯は折れていない。女の拳とはいえ、抵抗もせずに殴られたら痛いはずだが、本人はへらへらしている。鼻に布切れを突っ込んで鼻血を止めているのが格好悪い。
「さて、妤と克用は知り合いみたいだけど、一体全体どういうことか説明してくれますか?」
猫猫は欠けた茶碗に白湯を入れて配る。茶菓子はないのか、と雀が見るがそんなものはない。
「僕から説明しよか?」
「お願いします」
「僕が呪い師にやっかまれて、村を追い出されたって話はしたよね」
確か聞いたことがある。克用と会ったのは、二年ほど前だったろうか。疱瘡の痕のせいで船に乗れなかったところを助けた縁だった。
「その村が妤とその家族が住んでいた村だよ」
「村が滅びたというのは?」
聞き捨てならない話だった。
「蝗害が原因か? 確か蝗害が来たのを克用のせいにされて、追い出されたとか言っていたよな」
「うーん、正しくは違うかなー。僕の予想だとー」
「流行病です。疱瘡でした」
「疱瘡」
感染力、致死率が共に高い病だ。高熱のあとに発疹ができ、生き永らえても発疹の痕が残ることが多い。
「克用のその顔も、その時に」
「いや、僕は村に来る前から疱瘡にかかってたよー。やばいよね、疱瘡。ほんと、死にかけたわー」
克用らしい緊迫感の欠片もない声だ。
「私たちの住んでいた村は開拓村でした。森を切り開き、畑を作っていました。まだ新しい村で、畑の作物で足りない部分は切り倒した材木を売って外部から食料を手に入れていました」
「なるほど開拓村ですか」
猫猫は村が滅びた理由がわかった。
「食糧難になると、まず打撃を受けますね」
蝗害になる。周りが食糧を売ってくれなくなる。餓える。体力が落ちる。病気になる。
流行病になれば、まず見捨てられる場所だ。地図に名を遺す前に消えてしまうだろう。すぐに誰からも忘れ去られ、なかったことにされる。
「僕が出て行くしばらく前に、近隣で疱瘡患者が出たという話を聞いていたんだよねー。もしかしたらと思ったんだけどー」
「その前に、克用さんは私たちの村を出て行きましたよね?」
妤が声を低くして言った。
「追い出されたんだよ」
克用の声が落ち着いている。
「それでも! あなたが残ってさえいれば!」
妤が立ち上がり、涙をぽろぽろ落とす。
克用は追い出された。その後、疱瘡が流行り、村人がどんどん倒れていく。なすすべなく、ただ見守るしかできない。妤にとって、それはどんな生き地獄だっただろうか。
「克用さんが、克用さんがいてくれたら……」
克用はすでに疱瘡にかかっていた。疱瘡に一度かかった者は、二度めはかからないと聞く。また、医療知識がある克用が残ることで、助かる命はあっただろう。
「ごめんね。ごめんね」
克用は謝るが、彼に非はない。彼を追い出すことは呪い師が決めたことだし、村の代表に出て行けと言われたら、立ち去る他ないだろう。妤が殴りかかったのはどう見ても言いがかりだ。でも、彼女自身それがわかっている。わかっているが、何もできないやるせなさを、大人である克用にぶつけているのだろう。
(それにしても、馬乗りになって殴るとか。お育ちがよろしいようで)
相手が克用でなければ、反撃にあっただろうに。
「なんで、なんで、残ってくれなかったんですか!」
「ごめんね」
(ちゃらそうだけど案外大人だ)
克用は腫れた顔に笑みを浮かべ、泣きじゃくる妤の頭を抱く。
「さーて、感動の場面のところ悪いですが、質問があるんですけどぅ」
雀が話の腰を折ってきた。
「たしか、妤さんは家族で都にやってきたと言っていましたねぇ。村は滅びても、ご家族はみんな無事だったんですかぁ?」
雀は鋭いところを突く。猫猫も不思議に思った。
「私の場合は、流行する前に、克用さんに処置してもらいました」
「処置?」
猫猫はぴくんと耳を震わせて、興味深そうに克用を見る。左膳も多少気になるのか、真剣な顔をしていた。
「昔からある方法だよー。疱瘡は一度かかると、二度めはかかりにくい。だから、健康な時に疱瘡にかかっておくんだよー」
「もしかして、毒を弱めた膿を体内に移植する方法?」
おやじこと羅門からちらっとだけ聞いたことがあった。
「うん。疱瘡のかさぶたを取っておくんだ」
「そ、それ、私にもできないか?」
「うーん、やってあげたいのはやまやまだけど、手元にちょうどいいかさぶたがないし、何より失敗することもあるから難しいかなー」
克用は腕を組んで唸る。妤は落ち着いたのか、白湯を飲んでいた。
「失敗? 重症化するってこと?」
「数十人に一人くらいやばいねー。たまに死ぬ」
「それは考えてしまうな」
左膳は眉間にしわを寄せる。
「もっと毒性の弱い安全な方法が取れたらいいんだけどねー」
克用は遠い目をする。
「そんな危ない方法をこんな若い娘さんに試したんですねぇ。親御さん、怒りませんかぁ?」
「父は昔、疱瘡になったことがありました。開拓村に来たのも、疱瘡で家族を亡くし貧しい生活を強いられていたせいもあります。最初は、恨みました。高熱で苦しみましたし、こうして肌には一生もののあばたが残りましたから」
妤は、袖をめくってあばたを見せる。
「妤のところの小父さんは親切だったなー。飢え死にしかけの僕を拾ってくれて助かったよー。でも村の人たちから不気味だって嫌われていたけどねー」
また、暗い過去を笑い飛ばす克用。
「結果、私たち家族は生き残りました。村人はほぼ死に、生き残った子どもを引き取って都に来たのが三年近く前のことです」
「家族を養うために後宮勤めをはじめたわけですね」
「はい。克用さんが簡単な字を教えてくれていたおかげで、後宮で勉強するのにも役に立ちました」
妤が優秀とされた理由がわかった。
「そんな恩人を殴ったのか?」
左膳が至極冷静に言った。
「……はい。わ、わかってるんです、わかってるんですけど、どうしても……」
「そうですねえ。多感なお年頃ですから、感情の表現もへたくそになりますよねぇ」
雀が知ったかぶっている。
「あと、言葉足らずな気もしますね。最初から、顔に痘痕がある男だと言えばいいのに」
「言葉足らずは猫猫さんが言うことじゃないと、雀さんは思いますぅ」
雀はそう言って、家探しを始める。竈の蒸籠に饅頭が一つだけあった。
「これだけですかぁ。しけてやがんなぁ」
「勝手に他人の朝飯取るんじゃねえ」
左膳が慌てる。
「さて、一応色々あったものの、お望みの訳あり薬師に会わせたのですが、これからどうしますか?」
猫猫は妤に確認する。
「克用さんの安否がわかったならそれでいいと思っていました」
「僕も妤と小父さんたちが元気ならそれで安心だよー」
克用はにこにこ笑う。
「でも、妤は僕の安否以外にも知りたいことがあるみたいに見えるなー」
「はい。また、疱瘡が流行したとき、どう防げばいいのかわかりませんか? それを聞きたくて来ました」
「うーん。僕はわかんないー」
「僕は?」
猫猫が聞き返す。妤だけでなく、猫猫も耳を大きくして聞きたい話だからだ。
「僕のお師匠さんが疱瘡とか流行病の研究をしていたんだけどー」
「けど」
「死んじゃったなあ」
「なんだ……」
猫猫はがっくり肩を落とす。
「たぶん、いい所まで進んでたと思うんだー。僕ともう一人が同じ条件で、疱瘡の種を植え付けられて、僕はこの通りだけどもう一人は全然大丈夫で」
「ちょっと待った」
猫猫は手のひらを見せて制止する。
「なんか聞き捨てならないことを聞いた気がする」
「聞き捨てならないこと? ああ。僕ともう一人、僕の双子の弟なんだけど、実験の比較にちょうどいいからって、師匠に引き取られたんだよー」
また重い過去を軽く言ってくれた。
「その時、弟にはかなり毒性が弱まった疱瘡の種を植え付けられたらしいんだけど、記録に残ってないんだよねー。師匠死んじゃったからもうわかんないかー」
「その弟はどうしたんだ?」
左膳が何気なく聞いた。
「死んだー」
にこにこと笑いながら言った。
「だから、師匠の研究は誰もわからないー。ごめんねー」
手のひらを合わせてかわいこぶる克用。
「……疫病を無くす方法はないんでしょうか」
妤は顔を伏せる。
「難しいだろうねー。それこそ華佗の書でもあれば、違うのかもしれないけどさー」
「華佗っていったら伝説上の人物だろうが。んなもんあるわけねえだろ」
「それがねー。師匠はあるって聞いたんだってさー。百年近く前に華佗とか呼ばれていた医者がいて、その秘術を子孫が隠し持っているとかー」
「眉唾だな」
左膳は雀から饅頭を取り返すのを諦めたらしく、白湯を飲んでいる。
(華佗か)
猫猫は腕を組みつつ、考える。力んだせいか、ぐうぅっと腹が鳴った。
「そういや、飯まだだった」
「ごはんにしましょ、しましょ」
雀が饅頭を食べ終わり、他に食えるものはないかと家探しを始めた。
猫猫は通りにあった露店を思い出し、串焼きを買いに行くことにした。